上皇さまは日本語だったが…天皇陛下の「異例の英語スピーチ」から見えたこと(2024年7月16日『現代ビジネス』)

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〔PHOTO〕Gettyimages
天皇、皇后両陛下の英国訪問終了から2週間余りがたった。天皇として初めてとみられる「晩さん会での英語スピーチ」を実現し、国際人の側面を存分に発揮した両陛下を、家族のように、友人のようにもてなしてくれた英国に、日本人としてお礼を言いたい気持ちにかられた。
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日本国民の心にそのような思いをともしてくれただけで、国際親善としての訪英は成功だったと思う。いくつか感じたことを振り返ってみたい。
オリジナルは英語、日本語はその翻訳
英語によるスピーチを多くの人は「国際派の本領発揮」のようにとらえたが、私は、天皇という立場を考えると、そう簡単に賛美ばかりしてよいのかと疑問を持った。天皇のスピーチは「お言葉」とも呼ばれ、一度発せられた以上、その表現や文言の細部がさまざまな議論の対象となるのは宿命とも言える。それを母国語でない言語で行うのがふさわしいのだろうかという疑問だ。
陛下の父である上皇さま、祖父である昭和天皇もかつて国賓として英国に招かれ、同じバッキンガム宮殿での晩さん会でお言葉を述べたことがある。いずれも日本語であり、英国側にはその英訳が示された。
今回は、お言葉がもともと英語で発せられたわけであり、現に宮内庁のホームページは日本語と英語の全文を公開した上で、「実際のおことばは、英語で述べられています。こちらのページでは、和訳したものを掲載しています」と注釈を付けている。オリジナルは英語であり、日本語での表現は、その日本語訳に過ぎない、ということになった。
どんな言語でも思いを尽くす
第2次大戦の交戦国だった英国で、過去の関係についてどのような言及をするかは、注目の対象だった。日本語版によると、陛下はこのように述べた。
〈日英両国には、友好関係が損なわれた悲しむべき時期がありましたが、苦難のときを経た後に、私の祖父や父が女王陛下にお招きいただき天皇としてこの地を訪れた際の想いがいかばかりであったかと感慨深く思います。〉
戦争を体験していない世代である陛下は、直接戦争に言及することは避け、父や祖父の言葉からの引用を基本形にするだろうというのが、私の予想だった。それだけに、言葉を引用することもなく、父と祖父の訪英という行為そのものに自らの想いを託す今回の表現は斬新に思えた。
常識的に考えれば、陛下はこのお言葉を、まず日本語で書いたのだと思う。実際のオリジナルはおそらく日本語であっただろう。だからこそ、オリジナルであるはずのこの日本語が、英語からの訳文に過ぎないという体裁にしてしまうことに、何かもったいないような思いを抱いてしまうのだ。
もっとも、二つの文章を詳細に読み比べてみると、どちらが劣っているということもなく、むしろ英語の方がより踏み込んでいて、深い意味を持っているように思える部分さえあった。同じ部分は英文で次のように書かれている。
There was previously the sad period during which the friendly relationship between our two countries suffered, and hence I am struck by profound feelings as I extend my thoughts to what was in the minds of my grandfather the Emperor Showa and subsequently my father the Emperor Emeritus as they set foot in this country after times of great difficulty, as emperors of Japan at the invitation of Her late Majesty.
「strike」「extend my thoughts」「what was in the minds」などの言葉に注目し私なりに訳してみると、このようになった。
〈祖父と父の心の中にあったものに思いをいたすと、私は深い想いに打たれます〉
「いかばかり」という日本語が、昭和天皇上皇さまの思いの「量」を問題にしているのに対し、英語の方は、「質」に思いを馳せている。心の中に何かがあったのは確実で、それが何だったのかということに、陛下が思いを馳せているように読める。昭和天皇上皇さまの心のうちを、より強く想像させる。
日本語でも、他言語でも、自らの意思で思いを尽くすのならば、それでよいのではないか。招いてくれた国の人々にできる限りの真心を伝えるために、日本語以外の言語を使うことは、前向きにとらえるべきだと思い直した。
個人の親交が国の関係を象徴する
注目したのはスピーチのことだけではない。今回の訪英では、両陛下の留学時の思い出という、どちらかと言えば個人的な事象に両国が重きを置いたことも新鮮に映った。
多くのマスコミが取り上げたように、訪英のクライマックスは、2人が若き日を過ごしたオックスフォードの訪問だったと思う。大学総長による昼食会や、カレッジ学長による案内でもてなされ、陛下は訪問終了後に発表した感想の中で「思い出に満ちた場所を再訪することができた」「懐かしい方々にお会いできた」「心からありがたく思いました」と感謝の気持ちを述べている。
チャールズ国王も、陛下との個人的な思い出を大切にしてくれた。晩さん会では「お帰りなさい」と日本語で語りかけ、遠い日にオペラ鑑賞をともにし、フライフィッシングで兄弟のように川に鱒を追った時間を振り返った。
天皇と国王という公の立場に照らし、こうしたふるまいが「私重視」であるとして好ましくないと思う人もいるだろう。だが私は、「個」としての陛下を英国側がそのまま受けとめ、繊細な心遣いで友人として扱ってくれたことに、まるで自分がもてなされたかのような嬉しさを感じた。かつて宮内庁担当記者だったころに天皇の外国訪問に同行したことがあるが、訪問した多くの国々が「日本の天皇」に関心を持ち、歓迎してくれることに驚き、感激した記憶がある。
個人と個人の親交が、国同士の関係と友好を象徴する。その親交を見た両国民が互いのもてなしに胸打たれ、互いを敬愛する。そのようなことが実現するならば、それこそが、象徴としての天皇が担う「新しい皇室外交」なのではないだろうか。
大木 賢一(ジャーナリスト)