「新1000円札の人」は静岡・伊東の恩人だった 北里柴三郎、私財で通学用の橋を整備 鉄道誘致にも尽力(2024年6月29日『東京新聞』)

 
北里が私財を投じた「通学橋」の名前が残る=いずれも伊東市で

北里が私財を投じた「通学橋」の名前が残る=いずれも伊東市

 20年ぶりとなる新紙幣の発行が7月3日に始まる。新1000円札の肖像に採用された北里柴三郎(1853~1931)は静岡県伊東市に別荘を構え、「千人風呂」と呼ばれた日本初の室内温水プールを一般開放し、私財を投じて子どもたちが通学するための橋をつくった。地元の人らは、新紙幣発行に合わせ改めてその功績をたたえている。(岩崎加奈)

◆別荘内の温水プールを一般開放していた

 伊東市などによると、北里は1913年、市内に数千坪の純和風建築の別荘を建てた。別荘には全長20メートル、幅10メートル、深さ2メートルの日本初の室内温水プールがあった。一般開放され近所の人らも利用、「千人風呂」と呼ばれた。
 北里が同市を選んだ理由は、豊富な湯量にあったとされる。ドイツ留学中に訪れたハンガリーの首都ブダペストで、温泉を利用し治療・療養する人らの姿を見て、日本でも実現しようと決意したという。

◆今も残るコンクリの「通学橋」

 14年には、通学する児童のために私財を投じて市内の松川に橋を架けた。北里が散歩中に、丸太でできた橋を渡って通学する児童を見て危険と感じたからだったという。その後、暴風雨の影響で橋は2度流失。3度目も北里は町の有力者とともに多額の寄付を申し出て、21年に市内初のコンクリート橋が完成した。現在も「通学橋」の名前が残る。
 そのほかにも北里は鉄道誘致運動に協力し、後の伊東線開通につながった。
 別荘は37年に講談社創業者の野間清治に渡った。その後、2001年に建物は取り壊され、現在は幼稚園の園舎が建っている。
 別荘や千人風呂の面影がなくなった中でも北里の功績を形で残したいと、市民有志で作る「北里柴三郎博士顕彰委員会」は今年1月29日、北里の誕生日に合わせ、松川沿いの遊歩道で顕彰碑の除幕式を行った。
北里のひ孫、北里英郎さん夫妻が顕彰碑を訪れる場面も

北里のひ孫、北里英郎さん夫妻が顕彰碑を訪れる場面も

 クラウドファンディングなどで資金を募り、地元の彫刻家、重岡建治さんがブロンズ製の碑を手がけた。「千人風呂」で子どもたちが遊ぶ姿が表現されている。

◆北里と市の関係を紹介する企画展を開催中

 顕彰委事務局長の武智幹夫さん(80)は「北里博士は、自分のことよりも子どもたちのためを思って行動し、子どもたちをかわいがろうとする思いが強かった人。新紙幣の顔になり、市民にとっても大変喜ばしく感慨深い」と話す。
 市文化財管理センター(伊東市竹の台)では、往時の写真などで北里と市の関係を紹介する企画展「北里博士からの贈りもの」を8月25日まで開催している。担当者は「新紙幣をきっかけに、人間味あふれる北里柴三郎と伊東の人々のつながりをより多くの人に知ってほしい」としている。