きょう沖縄「慰霊の日」 戦後79年 犠牲者悼み恒久平和を誓う【知事メッセージ全文あり】(2024年6月23日『沖縄タイムス』)

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沖縄戦の犠牲者を悼んで「平和の礎」上空に照射された「平和の光の柱」=22日午後8時半過ぎ、糸満市摩文仁(金城健太撮影)
 沖縄は23日、住民を巻き込んで20万人超が犠牲となった沖縄戦から79年の「慰霊の日」を迎えた。県内各地で犠牲者を悼む催しが営まれ、恒久平和を誓う。
 糸満市摩文仁平和祈念公園では、午前11時50分から県や県議会が主催する沖縄全戦没者追悼式が開かれる。正午の時報に合わせて黙とうし、戦没者に祈りをささげる。
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連載「あの日 あの時 戦場で~若者とたどる沖縄戦80年」  

 

 

 1944年3月22日に、大本営が日本軍の第32軍を創設し、沖縄に配備されることが決まった。部隊配備により、陣地構・・・
 追悼式では、玉城デニー知事が平和宣言。不戦と恒久平和を希求する沖縄の心を国内外に発信する。岸田文雄首相らも参列する。式典終了後の一般焼香も実施する。
 県庁と平和祈念公園を往復する無料シャトルバスも運行。午前8~10時にかけ約10分おきに県庁正面玄関前を出発。帰りの便は午後1~3時に公園を出る。車いす対応バスは2便で、午前9時半と午前10時に県庁を出発し、帰りは午後2時と午後3時発となる。
 県警関係者によると、今年の沖縄全戦没者追悼式では、過去最大規模だった昨年同様、千人以上の警察官を動員する予定。式典会場は入場の際に金属探知や手荷物検査がある。県警の担当者は「首相をはじめとした警護対象者だけでなく、参加者全員の安全確保のための対応だ」と説明している。
(社会部・下里潤、豊島鉄博)
■慰霊の日 玉城デニー知事のメッセージ
 本日、「慰霊の日」を迎えるに当たり、全戦没者のみ霊に対し、謹んで哀悼の誠をささげます。
 沖縄は、先の大戦において、一般住民を巻き込んだ凄惨(せいさん)な戦闘の地となり、多くのかけがえのない尊い生命と、美しい自然、財産および貴重な文化遺産を失いました。
 終戦から79年もの月日が流れましたが、今なお、その傷痕は癒えることはなく、戦争で犠牲になられた方々のみ霊に対する哀悼の念は、一層深まるばかりです。
 私たちは、沖縄戦をとおして、戦争の愚かさと平和の尊さを学びました。戦争体験者が苦しくも語り継いでいただいた戦争の実相と教訓を、次の世代へ正しく伝えるとともに、平和を願う「命どぅ宝」という「沖縄のこころ」を世界に発信し続けることで、平和な社会を築きあげることが、私たちの使命であり、大きな責務であります。
 「慰霊の日」は、この冷厳な歴史的事実を厳粛に受け止め、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久平和を希求するとともに、戦没者のみ霊を慰める日として定められています。
 県民の皆さまには、御家族や御友人と共に戦没者を追悼し、平和を誓う日としていただきたいと思います。
 本日は、沖縄県の主催により糸満市摩文仁平和祈念公園において午前11時50分から「2024年沖縄全戦没者追悼式」を開催します。
 それぞれの家庭や職場においても、正午の時報に合わせて戦没された方々のみ霊に1分間の黙とうをささげてくださいますようお願いいたします。
 2024年6月23日
 

きょう慰霊の日 平和創造の次の一歩を(2024年6月23日『沖縄タイムス』-「社説」)
 
 県内各地に慰霊塔や慰霊碑があり、地域や団体による慰霊祭が、6月23日の「慰霊の日」前後に執り行われる。
 この日に合わせて、企画展や芝居の上演、講演会、講座など平和を考える催しもめじろ押しだ。
 沖縄戦体験は、沖縄にとって地域アイデンティティーの核である。
 広島・長崎の被爆体験や東京・大阪などの空襲体験と、住民を巻き込んだ沖縄の地上戦体験は、多くの民間人が犠牲になったという点では共通するが、その質は異なる。
 米国の2人のジャーナリストの証言を紹介したい。
 80年前の1944年6月、サイパン戦を取材した米誌タイムのシャーロッド記者は従軍日誌に書き記した。
 「サイパン島戦こそ、あらゆる戦争中でもっとも残忍なものであった」
 日本軍にとってサイパン戦は多数の民間人を巻き込んだ最初の地上戦だった。沖縄県人の戦没者だけでも約6200人に上る。
 沖縄戦を取材した米紙ニューヨーク・タイムズボールドウィン記者は指摘する。
 「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」
 2人の文章が同じような表現になっているのは、サイパンでも沖縄でも、目を覆いたくなるような惨劇が起き、多くの民間人が犠牲になったからだ。
 サイパン戦や沖縄戦で表面化した「戦争と民間人保護」の問題は、ウクライナやガザの戦争にもつながる現代の課題でもある。
■    ■
 多くの民間人が犠牲になっただけではない。
 沖縄戦のもう一つの特徴は、子どもや親きょうだい友人を死なせ自分が生き残ったことに罪責感を抱き、心身の不調を来す人が多かったことである。
 心の傷、心的外傷のことをトラウマという。住民を巻き込んだ激烈な地上戦は、生き残った人々の中に深い心の傷を残した。
 学童疎開船「対馬丸」の引率教員だった新崎美津子さんは「多くの教え子を死なせ、自分は生き残った」と自責の念にとらわれ、生前、「私は生きるべき人間ではなかった」と語っていたという(上野かずこ著「蕾のままに散りゆけり」)。
 蟻塚亮二医師らの研究によると、生活の場が戦場になり、戦後、基地と隣り合わせの生活をしている人が、米軍の事件事故などに接すると、戦争のつらい記憶が呼び覚まされ、ストレス症状が表れたりするという。
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 慰霊の日のきょう、糸満市摩文仁で沖縄全戦没者追悼式が開かれる。
 慰霊の日は県条例によって「平和を希求し、戦没者の霊を慰める」日だと定められている。
 戦争で生き残り、米軍統治下の沖縄で新たな苦難に直面し、それでも希望を失わず、語り部として平和の尊さを若い世代に伝え続け人生を全うした人々に対しても、慰霊の日に感謝の気持ちをささげたい。
 平和創造の次の一歩を踏み出す誓いを込めて。
 

鬼気迫る演技も戦争語らず(2024年6月23日『沖縄タイムス』-「大弦小弦」)
 
 取材する者として心を動かされまい。そう念じながら涙があふれるのを抑えられなかった。俳優北島角子さんが生前演じ続けた、慶良間諸島の「集団自決(強制集団死)」を題材とする一人芝居「赤いブクブクー」を見た時のことだ
▼鬼気迫る演技の一方で、北島さんは南洋パラオで体験した自身の戦争は積極的には語らなかった。その理由として、より悲惨な沖縄戦を体験した人の前で語る言葉は持ち合わせないとの趣旨を言われたのを覚えている
▼区切りを付けた人もいる。やはり南洋サイパンでの戦争を体験した名護市の仲兼久文政さん(86)。経営する老人ホームで今月あった慰霊祭で、犠牲になった人の血が混ざった水で炊事したことや追い詰められ多くの人が身を投げた「バンザイクリフ」近くの海岸でたくさんの遺体が打ち上げられていたことなどを初めて話した
▼米軍の砲撃により亡くなった姉妹の名前がようやく平和の礎に追加刻銘されたのを機に話そうと思ったのだそうだ。中東ガザで続く民間人の殺害を憂える心も後押ししたという
▼ある人は台湾有事の際先島住民を九州・山口に避難させるという国の計画にひどく立腹していた。「なぜ沖縄が戦場になるのが前提なのか」と
▼きょう23日は慰霊の日。犠牲者を悼むだけでなく不戦の決意を新たにする日としたい。(前田高敬)
 
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