6月12日は「日記の日」…(2024年6月12日『毎日新聞』-「社説」)

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イスラエルによる大規模空爆が始まる前のアシュラフ・ソラーニさん(右から2人目)と家族=パレスチナ自治区ガザ地区ガザ市で2021年11月、三木幸治撮影
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息子のムハンマドさん(右)らとパレスチナ自治区ガザ地区ガザ市から退避するアシュラフ・ソラーニさん(左)=2023年11月10日(アシュラフさん提供)
 6月12日は「日記の日」。1942年、アンネ・フランクが13歳の誕生日に日記を始めたことにちなむ。ナチス・ドイツユダヤ人迫害を逃れようと一家はオランダに移り住んだ。だが、やがて「隠れ家」での生活が始まる
▲人々がきょうも日々の出来事や思いをつづる中、戦争の悲惨さを刻み続ける日記がある。パレスチナ自治区ガザ地区で避難生活を送る高校教師、アシュラフ・ソラーニさん(48)の手記だ。小紙で随時掲載している。昨年10月23日、暮らしていた北部ガザ市でパンを求める行列やイスラエル軍による空爆の恐怖を伝えたのが最初だ。11月5日には「間違いなく『虐殺』だ」と記す
空爆を逃れるため、妻や8人の子と中部地区に避難した。12月18日、「こんなに長い戦争になると誰が予想しただろう」と嘆く。だが、その後も南部ラファ地区、先月は別地区への移転を強いられた▲1月の開戦100日は「100年に感じる」と記した。生活必需品もないテント暮らしは「原始時代に戻ったよう」だという。市民がいや応なしに戦争に巻き込まれる状況が浮かぶ
▲理不尽な戦闘が続く。イスラエルの人質奪還作戦で4人が救出されたが、ガザ側は274人が死亡したという。言葉を失う
ホロコースト(大量虐殺)で落命したアンネの日記は逮捕で途絶えるまで、希望を失わなかった。ソラーニさんは「ただ、(開戦の)10月7日以前の生活に戻りたい」と望む。ささやかな喜びを記せる日を実現せねばなるまい。一日も早く。