原爆投下翌日の長崎の惨状…旧日本軍カメラマン山端庸介撮影の写真、米国オークションで落札(2024年6月9日『読売新聞』)

 米国のオークションで落札された写真の中に、原爆投下翌日の長崎の惨状を収めた23枚が含まれていた。撮影したのは、旧日本軍の報道カメラマンとして長崎市に入った山端庸介氏(故人)。これまで別の写真と思われていた2枚が、実際は1枚の写真からトリミングしたものだったことを示す写真も含まれており、写真を管理する長男の祥吾さん(77)は「貴重な発見」と評価する。

 落札したのは、化学メーカー勤務だった頃に米国に駐在した経験がある埼玉県富士見市の廣田薫さん(73)。昨年8月、山端氏が1945年8月10日に撮影した可能性が高い1枚が新たに確認されたと報じた読売新聞の記事を読み、「私の持っている写真と同じだ」と気づいた。本紙を通じて祥吾さんらが確認したところ、2020年8月に落札した写真167枚の中に、この1枚のほか、山端氏撮影の23枚が含まれていたことがわかった。

山端氏が原爆投下の翌日に撮った当時の長崎市浜口町一帯。中央の県道は現在の国道206号で、爆心地から250メートルほど離れた場所から南向きにカメラを構えたとみられる
山端氏が原爆投下の翌日に撮った当時の長崎市浜口町一帯。中央の県道は現在の国道206号で、爆心地から250メートルほど離れた場所から南向きにカメラを構えたとみられる

 このうち、原爆翌日の浜口町(現在の長崎市浜口町、川口町、平野町の一部など)一帯を写した1枚は、これまで別の写真とされてきた2枚の写真と同じ画角で、より全体の状況がわかる構図だった。専門家の間では「同一の写真ではないか」との指摘も出ていたが、ネガがないため断定できずにいた。今回の発見を受け、長崎平和推進協会写真資料調査部会長の松田斉さん(68)は「2枚は、同一の写真からトリミングしたと推測できる。全体を捉える“引き”の撮影が多い山端さんの特徴も併せ持っている写真」と話す。

これまで線で囲まれた2枚の写真とされていたが、オリジナルプリントの可能性が高い1枚が見つかった
これまで線で囲まれた2枚の写真とされていたが、オリジナルプリントの可能性が高い1枚が見つかった

 また、山端氏の写真は何度も複製されて出回ったとされ、画像が粗いものも残る。今回の23枚は、祥吾さんによると印画紙の質が格段に良く、銀の含有量も高いことなどから、ネガから焼かれたオリジナルプリントである可能性が高いという。

長崎駅前の台場町1丁目(現在の長崎市西坂町・大黒町)付近。負傷者を背負う人たちが長崎電気軌道(電車)の線路を歩いている
長崎駅前の台場町1丁目(現在の長崎市西坂町・大黒町)付近。負傷者を背負う人たちが長崎電気軌道(電車)の線路を歩いている
山端庸介氏=長男の祥吾さん提供
山端庸介氏=長男の祥吾さん提供
 廣田さんは、著名人のサインや手紙が出品されることからオークションに関心を持ったが、戦争に関する日本の資料や写真も出品されていることを知り、「海外の人の手にわたり、所在が分からなくなるのはよくない」と積極的に落札してきたという。「日本人にとって大事な記録。大切に保管したい」と話している。

廣田さんは、著名人のサインや手紙が出品されることからオークションに関心を持ったが、戦争に関する日本の資料や写真も出品されていることを知り、「海外の人の手にわたり、所在が分からなくなるのはよくない」と積極的に落札してきたという。「日本人にとって大事な記録。大切に保管したい」と話している。