露の戦術核演習 国際社会に向けた卑劣な威嚇(2024年5月24日『読売新聞』-「社説」)

 核兵器を脅しの道具とすることは断じて許されない。愚かな威嚇が自らの孤立をさらに深めることを認識すべきだ。
 ロシア国防省は、戦術核の使用を想定した軍事演習を、ウクライナに近接する露南部で開始した、と発表した。
 短距離ミサイル「イスカンデル」を移動式発射台上で空に向けたり、極超音速ミサイル「キンジャル」を搭載した軍用機が出撃したりする模様を公表した。いずれも核弾頭を搭載可能な兵器だ。
 演習は3段階に分けて行われるとされ、次の第2段階では、露の戦術核兵器を配備している隣国ベラルーシも参加するという。
 プーチン露大統領はこれまでも核の使用をちらつかせてはいたが、ロシアが実際にウクライナでの使用を念頭に、核の演習を公表したことはなかった。
 今回、核の脅しを一段と強めたのは、ウクライナ侵略が泥沼化し、弾薬の調達さえままならないロシアの苦境の裏返しではないか。
 危機をあおる卑劣な振る舞いは看過できない。
 ロシアは演習について、西側諸国の「挑発的な発言や脅迫への対抗」だと主張している。
 米国によるウクライナへの軍事支援の再開や、フランスのマクロン大統領が、仏軍部隊のウクライナ派遣の可能性に言及していることを口実にしたいのだろう。
 だがそれは言いがかりだ。こうした事態を招いたのは、ロシアの蛮行が原因である。
 大都市を住民もろとも一瞬のうちに破滅させる戦略核に比べ、戦場など局地的に使用する戦術核の被害は少ないと言われる。だが、核の殺傷力と残虐性が通常兵器と比べものにならないことは、広島、長崎の惨状からも明らかだ。
 このため米国とソ連(ロシア)は、厳しく対立した冷戦時代でも核戦力を慎重に取り扱ってきた。そうした歴史と教訓をプーチン氏は学んでいないのか。
 侵略開始から2年以上が過ぎたウクライナで、ロシア軍は多くの民間人を虐殺したほか、子供らをロシアに強制的に移送し、ロシア人の養子にしようとしてきた。非道ぶりは際立っている。
 5期目に入ったプーチン氏が、2012年から国防相を務めてきたショイグ氏を交代させ、後任に経済専門家を起用したことは「戦時経済の体制作りが目的ではないか」などの臆測を呼んでいる。
 プーチン氏が作戦を主導し、合理的な判断を退けるようになれば危険極まりない。