「誰も戻ってこないかも」 それでも限界集落で暮らす夫婦(2024年5月19日『毎日新聞』)

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集落で寺を守る岡本満葉さん(右)と妻の八重子さん。右奥には隆起した海岸が見える=石川県輪島市門前町吉浦で2024年5月2日午後4時9分、国本ようこ撮影
 日本海を望む猿山岬(石川県輪島市)は、国内有数のユキワリソウの群生地として知られる。その近く、門前町吉浦地区の海に面した斜面には、数十軒の木造の建物が並ぶ。今、この限界集落には夫婦2人しか暮らしていない。
住んでいたのは8世帯15人
 集落にはこれまで、8世帯15人が住んでいた。ユキワリソウは例年、3月下旬ごろに見ごろを迎え、植物の愛好家が県内外からバスで訪れる。住民は遊歩道で愛好家を案内したり、盗掘されないよう見守ったりしていた。
 ところが、今年の元日に震度7の揺れに襲われた。集落内に建つ「覚成寺(かくじょうじ)」の住職、岡本満葉さん(75)は「生き地獄のような揺れだった」と話す。集落では家屋が倒壊し、山の斜面から引いていた集落の水道が枯れてしまった。土砂崩れなどにより周辺の道路は全て寸断された。
 集落には集会所がなかった。岡本さんは妻八重子さん(71)とともに隣の矢徳地区の集会所に避難した。金沢市内の避難所に逃れた住民もいた。
本堂や住居は被災免れる
 浄土真宗の覚成寺は大きな揺れにより本尊の阿弥陀(あみだ)仏が倒れて割れ、鐘突き堂も崩れた。ただ、本堂や隣接する住居は倒壊を免れた。地震から1カ月近くたった1月27日、夫婦は自宅に帰宅することにした。翌日は親鸞聖人の月命日とされている日。法要を催すためだった。
 それから、夫婦は自宅で敷地の井戸水を利用して生活している。道路は既に開通したが、集落では断水が続いていることもあり、他の住民はまだ誰も戻ってこ…
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「誰も来んわ。こんな何も無い所に」人口21人の限界集落を次世代に繋ぐ挑戦(2022年9月25日『Yahooニュース』)
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限界集落と言われる地域が増えている。人口の50%以上が65歳以上の高齢者となり、共同生活の機能を維持することが「限界」に近づきつつある集落のことだ。福井県西畑町にある人口21人の集落もそのひとつ。藤井省三さん(68) は帰郷した当時、「限界集落がこんなに凄まじい勢いで村にくるなんて想像すらしていなかった」という。2016年に開業した『農家民宿』 がきっかけで動き出した故郷存続への道とは。
福井県西畑町。2022年現在、この町に人口21人の小さな集落がある(旧西畑村)。「この村は(地理的に)行き止まり の集落なので、通り抜ける道がない。入ってくるのは郵便局員と宅急便のお兄ちゃんぐらい。このまま何もしなければ、いつか誰にも気づかれることなくそっと消えていくだろう」 。そう話す藤井さんは、西畑町の自宅と所有する5000平方メートルの耕作放棄地を利用して 農家民宿・カフェ・牧場を営んでいる。
西畑町で生まれ育ち、18歳で上京。高校の英語教師となり20年間都会生活を送っていた藤井さんは、両親が揃って病気になった事を機に38歳で帰郷。父は農作業、母は家事、自身は英語教師を続け、生活を送っていた。両親と3人で暮らすほのぼのとした日常は、特別なことがなくとも楽しかったと藤井さんは語った。
かつては村のほとんどの世帯が専業農家として暮らしていた。集落の最盛期は昭和初期。当時の人口は70人だったそうだ。藤井さんが帰郷した1990年代の人口は46人だったが、それでもまだ30代が多く、村全体にエネルギー があった。「村の水田は青々として、稲穂が風にたなびいて、本当に美しい光景が広がっていました」と、当時は限界集落なんて想像すらしていなかったと話す。
西畑町は中山間地域だ。中山間地域とは、山間地およびその周辺の地域、そのほか地理的条件が悪く、農業をするのに不利な地域をさす。一戸当たりの所有耕作面積も小さく、農業収入を上げることは基本的に難しい立地だった為、働き盛りの世代は次第に街に勤めに出ていき、兼業農家化が進んでいった。2010年には、集落の人口は37人に減少した。
●両親の死。大きな家でひとりになり気付いた限界集落の深刻さ
2013年、2014年と続けて両親が他界。「家の中がガランとしてるんですよね。お骨を持って帰ったときに、ものすごい喪失感を感じた」という。
「父や母の声が聞こえていた、あるいは姿があった家に自分だけが取り残されていて、もう二度と戻ってこない家族の繋がりっていうのが『ああ、こういう寂しさなんだ』としみじみと反芻(はんすう)したような気がします」
藤井さんには後継ぎがいない。「もしかしたら自分の代で藤井家が終わってしまうかもしれない」そう思う事もあったそうだ。両親の他界後、これまで漠然と考えていた限界集落の深刻さに気付く。
これまで両親がしていた家や田畑・山林の維持管理を、全てひとりですることになった。米作りは父の代で終わり、耕作放棄地となった田んぼは管理をしないと雑草で覆われてしまう。草刈りという重労働をひとり続ける中、周りを見れば村全体が同じような状況になっていることに気付いた。「このまま何もしないで、草刈りも段々と出来なくなりつつあり、それぞれの家の後継者も十分に育っていないということは、高齢者がどんどん亡くなって最終的にこの村は消えていくんだろう」と実感したそうだ。
限界集落」 という言葉を認識しても、どうすれば良いのか解決方法が分からなかった。
限界集落という言葉は、行政上は明確な定義は確立していない。農林水産省では「過疎化・高齢化等により集落機能が低下し、冠婚葬祭など地域社会としての活動維持が困難な集落」などの表現を用いている。集落機能の低下により、特に耕作放棄地の増大や管理放棄林などの土地利用関連の問題や獣害の発生などの災害関連の問題が生じている。(出典:農林水産省)
農家民宿を開業すると、年間450人が訪れるように
「使わなくてもホコリがたまりますから。それを掃除していて、『もったいないなぁ』って。部屋の有効な活用の仕方ってなんかないのかなと」
そんなことを漠然と思ったという藤井さんは、2016年に友人から「農家民宿」の存在を教えてもらう。「農家が民宿をやるから農家民宿って言うんだけど、『へえ~、農家にお客さんなんか来るんかなぁ』と」初めて知る言葉に興味を持った。
農家民宿とは、「農林漁業者及びその組織する団体が営業し、農林漁業に関する作業体験、農林水産物の加工又は調理体験、農山漁村の生活及び文化に触れる体験等を提供できる宿泊施設」 とされている。(出典:福井県 農林水産部 中山間農業・畜産課)
農家の日常を見て、体験してもらう。このとき藤井さん自身は農業をしていなかったが、小さな農村の暮らしを都会の人に体験してもらう事は出来るかもしれないと考えた。最初は、見知らぬ人を家に泊めることに少し不安があったという。しかし藤井さんは「電気代の足しにでもなればいいかなと。リスクがあるわけでもないし、やらない理由がなかった」と話す。
福井県による 視察を終え、2016年9月に農家民宿として認定された。その後、宿泊業の許可をとり、続けて飲食業の許認可も取得。保健所の登録申請も行い、2016年12月、「農家民宿オーベルジュフジイフェルミエ 」を開業した。最初はSNSで開業について投稿したものの、それだけでは誰もお客さんが来なかった。妹や周囲の人にも「誰も来んわ。こんな何もない所に」と言われた。自分自身もこの時はまだ、村の魅力が見えず、周りと同じような思いを持っていたという。
きっかけは大手旅行サイトに登録したことだった。少しずつお客さんが増え、リピーター客もできるようになった。これまで4回訪れている大阪在住・蓮子さんご家族は「インターネットで藤井さんの農家民宿を見つけました。実際に泊まってみると、自然が多いし、子供たちものびのび過ごしていて、心からゆっくりできる場所やなぁと思って、毎年の1年間の 家族イベントの中で1番の楽しみです」と笑顔で話す。
お客さんに「いいところですね」と言われることが増えていった。何もないと思っていた村の魅力を、外から来たお客さんに教えてもらった。そして藤井さんの農家民宿は今では年間450人が訪れる 場所になった。
福井県農家民宿開業件数は214件(令和4年3月末時点。出典:福井県農林水産部 中山間農業・畜産課 伝統農業・中山間グループ) 。令和1年度の実績ベースでは、県内の農家民宿一戸あたりの年間宿泊者数(平均)は99.3人/件だそうだ(県が行った実態調査に対し回答があった宿のみの統計)。農家民宿オーベルジュフジイフェルミエは、県の平均を大きく上回る宿泊者数となった。
藤井さんは「宿泊客の中に1人か2人くらいちょっと変わった人がいて、この村に住みたいと言ってくれる人が出てくることも、可能性としてあり得るかもしれない」と限界集落である故郷に、存続の可能性を感じたという。農家民宿をはじめたことで、色んな気付きを得た藤井さんは、2018年8月から福井県が主催した農家民宿養成講座に参加する。
福井県では2016年から中山間地域の所得向上対策として農家民宿養成講座などを主催している。『半分農業、半分〇〇』といった農家の副業支援としても行っている。藤井さんは、この講座に参加したことで限界集落解決の道筋が見えるようになったと言う。この講座がきっかけで、西畑町にある広大な耕作放棄地を観光牧場にしようと決めた。ここで描いた藤井さんの構想が今に繋がっている。2020年、西畑町に「たかすオハナ牧場」が誕生した。
将来、この牧場で西畑町に経済を生み出そうとしている。
●「おっきな家でひとりで住んでる変な人」妻 順子さんと結婚
ひとりで農家民宿、牧場を経営していた藤井さんを近くで見てきた存在がいる。2021年に藤井さんと結婚した妻、順子さんだ。元々、英語教師 をしていた藤井さんと先生繋がりで出会い、仲間同士でよく遊んでいたという。最初は「おっきな家でひとりで住んでる変な人」という印象だった。仲間たちと西畑町に遊びに行く内に、段々と順子さんがひとりで遊びに行くようになったそうだ。農家民宿の宿泊客第1号も、順子さんだった。「ここで仕事をしながら暮らしていくのも選択肢のひとつになった」と振り返る順子さん。お互いに「伴侶として、夫婦としてこれから一緒に過ごしていくのはどうだろうか」と考え始めた2人は、2021年10月に結婚。
順子さんは西畑町の集落で、21番目の新住人となった。
「志を高く持って、思い描くビジョンに向かって邁進していくっていうところは、あまり出会ったことのないタイプの人かなと思っています」 と順子さんは続ける。
故郷を消滅から救おうと挑む藤井さんについて「実現に向けて、一歩一歩…一歩じゃないですね。半歩、10cmずつくらいの歩みで進めているのかなと思います。その原動力はもうとにかく彼がここを消滅させたくない、その一言に尽きるんだと思います」
●血の繋がりがなくても、新しい人たちと繋がっていけばいい
「自分たちも早く後継ぎを見つけて、次の世代にバトンタッチをしなきゃいけないけど、自分たちだけが後継ぎを見つけたって限界集落の解決にはならない」と話す藤井さん。
「10年後ぐらいには、牧場の羊も40頭近くいて、牧場の仕事も十分まわり、牧場レストランも出来ていると思います」
農家民宿を続けることで西畑町を多くの人に知ってもらい、新しい人たちと繋がっていく。血の繋がりがなくても、移住したいと思ってくれる人が現れてくれれば、この村にまたきっと家族が出来る。故郷を消滅から救う藤井さんの挑戦は、これからも続いていく。
クレジット
監督・撮影・編集・記事:工美里
プロデューサー:伊藤義子
アドバイザー:庄輝士
取材協力:福井県農林水産部 中山間農業・畜産課 伝統農業・中山間グループ