特攻隊のこともっと知ろう(2024年5月6日『産経新聞』-「産経抄」) 

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日本陸軍特攻隊員の慰霊祭で黙禱(もくとう)する参列者=3日午後、鹿児島県南九州市
 
 学校では多くのことを教えてくれるが、あまり教えてくれないこともある。先の大戦末期に国を守ろうと命をかけた特攻隊員のこともどれだけ知っているだろうか。今年は昭和19年に特攻隊が組織され80年の節目にあたる。翌20年春から夏にかけたこの季節に多くの若い隊員が命を失った。
▼伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)中佐の名前を知っている人も多くないだろう。中佐らの飛行隊は、沖縄戦の陸軍特攻第1号として、石垣島にあった白保飛行場から出撃し、慶良間諸島沖の米艦隊に突入した。中佐は24歳の若さだった。
▼恥ずかしながら八重山日報(本社・石垣市)でいま連載している「歴史に葬られた特攻隊長」で名を知った。沖縄では戦後、軍人は「悪」などと否定され、沖縄戦で特攻があったことも知らない人が多い。産経新聞OBの作家、将口泰浩さんが執筆している同連載タイトルもそうした歴史を踏まえたものだ。
▼中佐の生まれ故郷は石垣で、陸軍士官学校から陸軍入隊後、中国大陸などの任地を転々とした。そしてようやく戻った故郷の基地から最後の出撃をした。
▼連載の中では、部下を気遣う人柄や家族を思う気持ちが描かれている。中佐を知る人の「国を思う国民の心なくして平和も人権も生活もありえない。伊舎堂中佐が守ってくれたからこそ、こうやって今、われわれは生きている」という言葉は重い。
▼ところが相変わらず特攻隊を否定的にとらえる向きがある。来年春から使われる令和書籍の中学歴史教科書で「特攻隊員が散華しました」といった記述にも批判があるようだ。「国のために命を捨てることが美化され、こわい」などというが、国のために命をかけた先人について教えない教育こそ、見直すときではないか。