小紙のデータベースでは1960年代後半に登場し…(2024年5月2日『毎日新聞』-「余録」)

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インタビューに答える桂由美さん=東京都港区の桂由美ブライダルハウスで2023年1月17日、手塚耕一郎撮影
 
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北京市内のホテルで行われたブライダルデザイナー、桂由美さんのファッションショー=1992年11月26日撮影
 
 小紙のデータベースでは1960年代後半に登場し、広辞苑に掲載されたのは91年からだ。結婚式用語として頻繁に使われる「ブライダル」。言葉の定着にこの分野の先駆者、桂由美(かつら・ゆみ)さんが大きな役割を果たしたことは間違いない
▲海外旅行自由化前の60年に渡仏し、ファッションを学んだ。花嫁を指す「ブライダル」がウエディングより女性重視の言葉と考え、64年末に東京・赤坂に開いた店を「ブライダルサロン」と名付けた
▲婚礼衣装は和装が常識の時代。デパートに洋装を売り込んで断られた。それでも純白のウエディングドレスに憧れる女性は増えると信念を貫いた。81年のチャールズ英皇太子とダイアナ妃の「世紀の結婚」の追い風もあり、洋装を選ぶ花嫁は増え続けた
▲世界にも目を向けた。86年に北京でブライダルショーを開いた際には「白は葬儀の色で婚姻は赤」と普及を疑問視する質問が飛んだ。その後の発展は「赤と白を両立させれば独自の婚姻文化になる」という桂さんの答えの通りになった
▲「生涯ブライダルひと筋」で最後まで活動を続けた桂さんが94歳で亡くなった。生前、悲しんでいたのは72年に110万組に上った婚姻件数の半減という。「適齢期は人それぞれ」と42歳で結婚し、選択は「個人の自由」が持論だったが、「恋人の聖地」プロジェクトに関わった
▲70万人以上が桂さんのドレスを身に着けたそうだ。日本の結婚文化を変えた業績は2年前に福井県若狭町に開設された博物館で知ることができる。