昭和の日に関する社説・コラム(2024年4月29日)

(2024年4月29日『東奥日報』-「天地人」)
 
 1926年12月25日から1989年1月7日まで、期間にして62年余り。日本の歴代元号で最も長く使われたのが「昭和」である。平成、令和と時世が移り変わり、若い世代にとってはもはや過去の時代でしかないかもしれない。
 きょうは「昭和の日」。元々は昭和天皇の誕生日で、その後「みどりの日」を経て変更された。祝日法は制定の趣旨を<激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす>とうたっている。
 金融恐慌にはじまり、太平洋戦争とその敗戦、戦後の復興に続く高度経済成長…。波乱に満ちた動乱の時代は苦難と希望、光と影が交錯する。明治維新以降に築き上げられた帝国体制が崩壊し、現在につながる新たな日本への船出の時代となった。
 「政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードしてきた人々は根拠なき自己過信に陥っていた」。作家半藤一利さんは著書「昭和史」で辛辣(しんらつ)に批判した。戦禍で国家的な破局をもたらしたのは帝国憲法統帥権を振りかざす軍部の暴走、そして政治の機能不全だった。
 国家間の対立が先鋭化し分断が深まる昨今の情勢は1900年代前半、戦前の昭和時代をも想起させる。そうだとしても「歴史は繰り返す」事態は断じてあってはならない。昭和の戦争に散った戦没者約310万人が、時代を超えて今を生きる者に伝えている気がする。
 
(2024年4月29日『秋田魁新報』-「北斗星」)
 

 きょう昭和の日は昭和天皇の誕生日。昭和天皇は大正の終わりに1回、昭和に入ってから戦後3回来県されている。いずれも「お召し列車」と呼ばれる特別列車で訪れた

▼戦後2回目の1961(昭和36)年は香淳皇后と共に秋田国体のため来県。当時の本紙には蒸気機関車を先頭に走るお召し列車に日の丸を振る県民の写真が掲載されていた。歓迎の熱が伝わってくる

▼この前年、列車のうち昭和天皇香淳皇后が乗った皇室専用車両「御料車」が新しくなっていた。手を振る2人の姿と共に覚えている方もいるかもしれない

▼新幹線の開業後は、御料車の設備こそないが新幹線もお召し列車として運行された。67(同42)年には宮内庁側の要望で、昭和天皇随行者以外の空き車両に一般客が初めて乗車。しかし時刻表に載らない臨時列車のため一般客が少なく、定着しなかった

▼時代は平成に移り、上皇さまも空き車両に一般客を乗せた新幹線などに乗車されたが、警備上の理由で打ち切られた。一般と同じ手段での移動を望んでいたという。「天皇陛下と鉄道―5代150年、お召列車の旅」(交通新聞社、工藤直通著)に詳しい

▼新幹線の開業区間が広がったことで運行が減少した在来線のお召し列車は2007(平成19)年、6両編成に新造され、御料車は「特別車両」となった。お召し列車として使用しない時、特別車両を除く車両が団体ツアー専用列車に使われている。鉄道ファンにはうれしい話である。

 

昭和の日(2024年4月29日『福島民友新聞』-「編集日記」)
   
 ジャズ、鉄道、料理、ヨット、ネコに古地図。タレントのタモリさんは多趣味で知られる。「仕事を遊びにした」と評されるほどで、趣味を生かした番組も多かった

▼「仕事の遅刻は百歩譲っても、遊びの遅刻は許せない」。そう言って後輩を諭したというエピソードは、彼の人生観を表していると言っても大げさではあるまい(戸部田誠「タモリ学」イースト・プレス

▼民間のおじさん未来研究所の調査によると、タモリさんは理想のおじさん像で、所ジョージさん、高田純次さんに続く3位。肩の力が抜けていて、遊び心があるところが共通項か

▼おじさん全体に対するイメージでは「経験豊富」が最多で、頼れる、優しいなどの評価が目立った。「ダサい」などのマイナス意見ももちろんあるものの、生き生きと活動するおじさんには、多くの人が好印象を抱いていることが分かる。当人たちが思っているほどには、嫌われていないようだ

▼人生100年時代。おじさん、おばさんと言われるようになった、昭和後半生まれの世代も、まだまだ人生半ば。例えば、新たな趣味を始めるのも「遅刻」ではない。豊富な経験を生かし、これからどう遊ぼうか。それを見つけたい昭和の日

 

ネモフィラと「昭和の日」(2024年4月29日『産経新聞』-「産経抄」)
 
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ネモフィラが見頃を迎えた国営ひたち海浜公園 =14日午後、茨城県ひたちなか市(萩原悠久人撮影)
 
 最近、大型連休はネモフィラ見物と決めている粋人が、激増しているような気がする。空と海の青にネモフィラの淡い青が溶け合う絶景が味わえる国営ひたち海浜公園には早朝から車が列をなし、今年は180万本植えられた国営昭和記念公園でもちょうど見ごろとなった。
▼旺盛な繁殖力から花言葉は「どこでも成功」。北米原産のもともと地味な植物が、日本でこれほどの人気になったのは、つい最近の話である。しかもネモフィラの二大名所には、共通点がある。
▼いずれも敗戦後、米軍に接収され、一方は水戸射爆撃場、もう一方は米軍立川飛行場となった。水戸射爆撃場近くでは昭和32年、訓練中の米軍機が母子2人を殺傷したゴードン事件が、立川でも同じころ砂川闘争と呼ばれる基地反対運動が起きた。
▼両基地とも昭和が終わるまでに相次いで返還された。射爆撃場は海浜公園として、飛行場は昭和天皇在位50周年記念事業として大部分を公園にすることにし、いずれも国営で再出発した。
海浜公園に造られた人工の丘は、かつて射爆撃場の標的があったところである。ここに20年ほど前、ネモフィラを植えたのは「丘と空を同じ色にすれば、過去を忘れるくらい違う景色となる」という担当者の強い思いからだったという。確かに若者たちは「インスタ映えする」と屈託がない。
昭和天皇は「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」終戦を決断したが、昭和27年4月28日の独立回復後も広大な在日米軍基地が残った。その後、本土の米軍基地は、日米同盟の深化と関係者の努力で大幅に減ったが、残念ながら沖縄では、米軍普天間飛行場の移設が暗礁に乗り上げたままだ。米国からやってきたネモフィラの香りは、甘くかつ苦い。
 

昭和の日(2024年4月29日『山陽新聞』-「滴一滴」)

 「さーすが昭和一桁! 仕事熱心だこと」。ルパンが銭形警部をからかうくだりが映画「カリオストロの城」にある。封切りは警部働き盛りの1979(昭和54)年

▼一桁世代といえば、今年90~98歳になる人たちだ。世界恐慌下に生まれ、戦時体制に育った。戦後はしゃにむに働いて高度成長期を支えた。先の銭形評は、タフな頑固おやじといった意味だろう

▼きょうは「昭和の日」。祝日法で「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と定められる。歴史的教訓を酌み取って平和国家としてのあり方を考える機会に、という

▼今の日本はどのような年月の上に築かれたのか。どんな姿を目指すのか。捉え方はさまざまにあり、最近も広島市長が職員研修で教育勅語を使ったり、陸上自衛隊が「大東亜戦争」という言葉を用いたりして論議が起きた

改元100年を迎える再来年には記念式典を開くよう、政府に働きかける自民党議員連盟も誕生している。時を経たからこその丁寧で多角的な検証や議論を期待したいが、さて

▼「昭和史」シリーズの作家、故半藤一利さんは、人々の証言と史料を積み重ねる手法で歴史を掘り下げた。まずは先入観を持たずに学ぶ。そこからしか教訓は決して得られない―。「一桁」が貫いた信念をいま一度かみ締める。 

 

昭和の日(2024年4月29日『山陽新聞』-「滴一滴」)

 「さーすが昭和一桁! 仕事熱心だこと」。ルパンが銭形警部をからかうくだりが映画「カリオストロの城」にある。封切りは警部働き盛りの1979(昭和54)年

▼一桁世代といえば、今年90~98歳になる人たちだ。世界恐慌下に生まれ、戦時体制に育った。戦後はしゃにむに働いて高度成長期を支えた。先の銭形評は、タフな頑固おやじといった意味だろう

▼きょうは「昭和の日」。祝日法で「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と定められる。歴史的教訓を酌み取って平和国家としてのあり方を考える機会に、という

▼今の日本はどのような年月の上に築かれたのか。どんな姿を目指すのか。捉え方はさまざまにあり、最近も広島市長が職員研修で教育勅語を使ったり、陸上自衛隊が「大東亜戦争」という言葉を用いたりして論議が起きた

改元100年を迎える再来年には記念式典を開くよう、政府に働きかける自民党議員連盟も誕生している。時を経たからこその丁寧で多角的な検証や議論を期待したいが、さて

▼「昭和史」シリーズの作家、故半藤一利さんは、人々の証言と史料を積み重ねる手法で歴史を掘り下げた。まずは先入観を持たずに学ぶ。そこからしか教訓は決して得られない―。「一桁」が貫いた信念をいま一度かみ締める。

 

 「昭和の日」の〝二枚腰〟(2024年4月29日『山陰中央新報』-「明窓」)

 
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島根1区候補者の選挙事務所関係者(右)を激励する立憲民主党小沢一郎衆院議員=19日午後、松江市
 
 きのうに続き昭和の話から。昭和天皇の誕生日で、死去後は「みどりの日」だった4月29日を「昭和の日」に改正する過程は紆余(うよ)曲折があった。
 2000年3月、自民、自由、公明の与党3党が改正案を提出。参院は通過したものの、当時の森喜朗首相の「神の国発言」の余波を受け「復古調だ」との批判が拡大した。衆院での採決は見送られ、その後の衆院解散で廃案になった。
 02年にも提出したが、今度は有事関連法案などの審議が優先される中で衆院解散を迎え、再び廃案の憂き目に。ようやく05年に可決、成立し、施行されたのが07年。まさに「三度目の正直」だった。
 同じ回数でも、松江市に選挙応援に駆け付けた立憲民主党の重鎮・小沢一郎衆院議員が口にした「3度目の政権交代」に向けた足掛かりになるのだろうか。きのう投開票された衆院島根1区補選は立民元職の亀井亜紀子氏が自民新人の錦織功政氏を破り、選挙区で初の当選を飾った。「保守王国・島根」に風穴をあけた歴史的な勝利ではあるが、森氏も会長を務めた自民党安倍派を中心とした政治資金パーティー裏金事件による政治不信が要因。自民の失点による「棚ぼた」でもある。
 苦境には違いないが、かつて政敵・社会党と連立を組んでまで政権奪還を果たした経験を持つ自民。数々の障害を乗り越えて「昭和の日」改正にこぎ着けた〝二枚腰〟を、今度はどう発揮するのか。(健)
 
狂乱物価(2024年4月29日『熊本日日新聞』-「新生面」)

 きょうは「昭和の日」。年表をめくっていて、ちょうど50年前の1974(昭和49)年が目に入った。プロ野球巨人の長嶋茂雄さんが現役を引退したこの年。「わが巨人軍は永久に不滅です」と並ぶ流行語に「狂乱物価」がある
▼時は田中角栄内閣。日本列島改造論を掲げた積極財政のもと、インフレは既に進行していた。73年には第1次オイルショックの混乱で、トイレットペーパーの買い占め騒動が全国に広がる
▼74年の消費者物価上昇率は20%を超える暴騰となった。『日本銀行百年史』は、当時の日銀がまだ政府の強い影響下にあり、金融引き締めで後手に回った経緯を案外率直に記している
▼現在の日銀は先日、金融政策の現状維持を決めた。急速な円安で利上げの観測も浮かんだが、為替対応のボールは政府に委ねた形だ。いま日銀が見通す物価上昇率は1・9~2%台なので、ここは隔世の感がある。50年前は賃金もぐんぐん上がった
▼年表の続きは“今太閤[いまたいこう]”といわれた田中首相の失脚劇である。月刊誌で金脈問題が報じられると、求心力低下に拍車がかかり、田中氏は年末に退陣する。76年にはロッキード事件で、外為法違反の容疑で逮捕された
▼半世紀がたった今でさえ、「政治とカネ」に決別できない自民党である。昨日の衆院3補選は、派閥の裏金事件が発覚して初の国政審判だった。昭和が遠くなった今、わが党は安泰だなどと高をくくれる時代ではなかろう。「永久に不滅です」と言っていい人は長嶋さんくらいのものである。
 

「昭和の日」に思う「平和」(2024年4月29日『琉球新報』-「金口木舌」)

 きょうは「昭和の日」。内閣府のホームページでは「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と記す。平和国家の在り方に目を向けることの重要性も指摘する

▼昭和の時代、日本は戦争に突き進み、多くの人が命を落とした。悲惨な地上戦を経験し、戦後は米統治下で人権が踏みにじられた沖縄にとっても、昭和は「激動の時代」だった
▼敗戦から日本は立ち上がり、平和国家として一歩を踏み出して、経済成長を遂げた。さまざまな困難を乗り越えながら、私たちの暮らしは少しずつ良くなった
▼日本は戦争の愚かさを知り、二度と起こさないと誓った。平和な日々が続いたからこそ発展できたはずだ。しかし、昨今の状況はどうだろう。自衛隊の強化。憲法改正の動き。辺野古の新基地建設。「新たな戦前」とも言われる
▼沖縄の空には今も米軍機が飛ぶ。自衛隊の訓練が県民生活の身近で繰り返される。もう二度と戦渦に巻き込まれたくはない。「昭和の日」に改めて平和を思い、未来に残したいと願っている。