きょう昭和の日は昭和天皇の誕生日。昭和天皇は大正の終わりに1回、昭和に入ってから戦後3回来県されている。いずれも「お召し列車」と呼ばれる特別列車で訪れた
▼戦後2回目の1961(昭和36)年は香淳皇后と共に秋田国体のため来県。当時の本紙には蒸気機関車を先頭に走るお召し列車に日の丸を振る県民の写真が掲載されていた。歓迎の熱が伝わってくる
▼この前年、列車のうち昭和天皇、香淳皇后が乗った皇室専用車両「御料車」が新しくなっていた。手を振る2人の姿と共に覚えている方もいるかもしれない
▼新幹線の開業後は、御料車の設備こそないが新幹線もお召し列車として運行された。67(同42)年には宮内庁側の要望で、昭和天皇や随行者以外の空き車両に一般客が初めて乗車。しかし時刻表に載らない臨時列車のため一般客が少なく、定着しなかった
▼時代は平成に移り、上皇さまも空き車両に一般客を乗せた新幹線などに乗車されたが、警備上の理由で打ち切られた。一般と同じ手段での移動を望んでいたという。「天皇陛下と鉄道―5代150年、お召列車の旅」(交通新聞社、工藤直通著)に詳しい
▼新幹線の開業区間が広がったことで運行が減少した在来線のお召し列車は2007(平成19)年、6両編成に新造され、御料車は「特別車両」となった。お召し列車として使用しない時、特別車両を除く車両が団体ツアー専用列車に使われている。鉄道ファンにはうれしい話である。
昭和の日(2024年4月29日『福島民友新聞』-「編集日記」)
ジャズ、鉄道、料理、ヨット、ネコに古地図。タレントのタモリさんは多趣味で知られる。「仕事を遊びにした」と評されるほどで、趣味を生かした番組も多かった
▼「仕事の遅刻は百歩譲っても、遊びの遅刻は許せない」。そう言って後輩を諭したというエピソードは、彼の人生観を表していると言っても大げさではあるまい(戸部田誠「タモリ学」イースト・プレス)
▼民間のおじさん未来研究所の調査によると、タモリさんは理想のおじさん像で、所ジョージさん、高田純次さんに続く3位。肩の力が抜けていて、遊び心があるところが共通項か
▼おじさん全体に対するイメージでは「経験豊富」が最多で、頼れる、優しいなどの評価が目立った。「ダサい」などのマイナス意見ももちろんあるものの、生き生きと活動するおじさんには、多くの人が好印象を抱いていることが分かる。当人たちが思っているほどには、嫌われていないようだ
▼人生100年時代。おじさん、おばさんと言われるようになった、昭和後半生まれの世代も、まだまだ人生半ば。例えば、新たな趣味を始めるのも「遅刻」ではない。豊富な経験を生かし、これからどう遊ぼうか。それを見つけたい昭和の日
昭和の日(2024年4月29日『山陽新聞』-「滴一滴」)
「さーすが昭和一桁! 仕事熱心だこと」。ルパンが銭形警部をからかうくだりが映画「カリオストロの城」にある。封切りは警部働き盛りの1979(昭和54)年
▼一桁世代といえば、今年90~98歳になる人たちだ。世界恐慌下に生まれ、戦時体制に育った。戦後はしゃにむに働いて高度成長期を支えた。先の銭形評は、タフな頑固おやじといった意味だろう
▼きょうは「昭和の日」。祝日法で「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と定められる。歴史的教訓を酌み取って平和国家としてのあり方を考える機会に、という
▼今の日本はどのような年月の上に築かれたのか。どんな姿を目指すのか。捉え方はさまざまにあり、最近も広島市長が職員研修で教育勅語を使ったり、陸上自衛隊が「大東亜戦争」という言葉を用いたりして論議が起きた
▼改元100年を迎える再来年には記念式典を開くよう、政府に働きかける自民党の議員連盟も誕生している。時を経たからこその丁寧で多角的な検証や議論を期待したいが、さて
▼「昭和史」シリーズの作家、故半藤一利さんは、人々の証言と史料を積み重ねる手法で歴史を掘り下げた。まずは先入観を持たずに学ぶ。そこからしか教訓は決して得られない―。「一桁」が貫いた信念をいま一度かみ締める。
昭和の日(2024年4月29日『山陽新聞』-「滴一滴」)
「さーすが昭和一桁! 仕事熱心だこと」。ルパンが銭形警部をからかうくだりが映画「カリオストロの城」にある。封切りは警部働き盛りの1979(昭和54)年
▼一桁世代といえば、今年90~98歳になる人たちだ。世界恐慌下に生まれ、戦時体制に育った。戦後はしゃにむに働いて高度成長期を支えた。先の銭形評は、タフな頑固おやじといった意味だろう
▼きょうは「昭和の日」。祝日法で「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と定められる。歴史的教訓を酌み取って平和国家としてのあり方を考える機会に、という
▼今の日本はどのような年月の上に築かれたのか。どんな姿を目指すのか。捉え方はさまざまにあり、最近も広島市長が職員研修で教育勅語を使ったり、陸上自衛隊が「大東亜戦争」という言葉を用いたりして論議が起きた
▼改元100年を迎える再来年には記念式典を開くよう、政府に働きかける自民党の議員連盟も誕生している。時を経たからこその丁寧で多角的な検証や議論を期待したいが、さて
▼「昭和史」シリーズの作家、故半藤一利さんは、人々の証言と史料を積み重ねる手法で歴史を掘り下げた。まずは先入観を持たずに学ぶ。そこからしか教訓は決して得られない―。「一桁」が貫いた信念をいま一度かみ締める。
「昭和の日」の〝二枚腰〟(2024年4月29日『山陰中央新報』-「明窓」)
きょうは「昭和の日」。年表をめくっていて、ちょうど50年前の1974(昭和49)年が目に入った。プロ野球巨人の長嶋茂雄さんが現役を引退したこの年。「わが巨人軍は永久に不滅です」と並ぶ流行語に「狂乱物価」がある
「昭和の日」に思う「平和」(2024年4月29日『琉球新報』-「金口木舌」)
きょうは「昭和の日」。内閣府のホームページでは「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と記す。平和国家の在り方に目を向けることの重要性も指摘する
▼昭和の時代、日本は戦争に突き進み、多くの人が命を落とした。悲惨な地上戦を経験し、戦後は米統治下で人権が踏みにじられた沖縄にとっても、昭和は「激動の時代」だった
▼敗戦から日本は立ち上がり、平和国家として一歩を踏み出して、経済成長を遂げた。さまざまな困難を乗り越えながら、私たちの暮らしは少しずつ良くなった
▼日本は戦争の愚かさを知り、二度と起こさないと誓った。平和な日々が続いたからこそ発展できたはずだ。しかし、昨今の状況はどうだろう。自衛隊の強化。憲法改正の動き。辺野古の新基地建設。「新たな戦前」とも言われる
▼沖縄の空には今も米軍機が飛ぶ。自衛隊の訓練が県民生活の身近で繰り返される。もう二度と戦渦に巻き込まれたくはない。「昭和の日」に改めて平和を思い、未来に残したいと願っている。