ハンセン病「隔離」補償金、請求するのが怖い「名前が漏れたら…」 回復者の家族を苦しめる差別の記憶(2024年6月25日『東京新聞』)

 
 ハンセン病患者や回復者の家族らが不当な隔離政策での差別被害を訴えた「家族訴訟」で、国に損害賠償を命じた熊本地裁判決から28日で5年となる。判決を受け家族に補償金を支払う制度ができたが、支給件数は想定の3分の1ほど。少ない背景に差別への恐怖から請求をためらう人がいることを、回復者家族の埼玉県内の80代男性が明かす。「回復者と家族が安心して暮らせるようになったとは思えない」(石原真樹)

◆家族訴訟への参加すら拒んだ男性

「打ち明けられない人の気持ちも分かってほしい」と話す男性=埼玉県内で

「打ち明けられない人の気持ちも分かってほしい」と話す男性=埼玉県内で

 「影におびえている」。男性が今の感覚を表現した。回復者である姉に勧められても、家族訴訟の原告に名を連ねることはできなかった。「自分の名前が外に漏れても、隣の人が差別することはないと分かっている。それでも、怖い」
 西日本出身で、小学生の時に父と姉が、瀬戸内海の島にある国立ハンセン病療養所大島青松園(高松市)に隔離された。小学校の同級生が「おまえのおやじ、島流し」との言葉を浴びせた。大学生になると恋人が「あの家には、らい(ハンセン病)があるから、付き合ったらダメだと親に言われた」と告げた。言葉が呪いのように「自分の考えのすべてを支配している」。

◆父と姉の病気、妻にも打ち明けられなかった

 就職活動で父のことを「戦争で目が見えなくなり家でぶらぶらしている」と偽った。妻にも「父は遠方の親戚の所にいる」と偽り、30年ほど前に父が亡くなるまで、出張に合わせてひそかに青松園に通った。妻は姉と会ったことがあるが、園のことは隠して「高松にいる」とごまかした。
 妻ががんで闘病中だった十数年前、青松園から見舞いに訪れた姉の手を見た孫が「おばちゃんのおてて、痛そう」と口にした。そのとき自然に「姉さん回復者だから」と口に出た。娘は「ああ、そうだったの」。ずっと一人で抱えていた秘密の告白は、拍子抜けするほどあっけなかった。
 「ハンセン病からさんざん逃げ回り、隠してきた。このまま終わりたくない。何かしたい。でも怖い。ずっとイライラしている感じ」と男性。招かれればサングラスをかけて匿名で講演し、自分の思いや、「もう海は見たくない」と40年暮らした園を出て社会復帰し、大阪で暮らす姉の体験を語る。

◆補償金の支給が3分の1止まりという現実

 国は補償金の対象者を2万4000人と推計するが、支給は8000件余り。11月までとしていた補償金の請求期限を、5年間延長する改正家族補償法が12日、参院本会議で成立した。
 補償金を受け取った男性は「役所のどこかに名前が残ることさえ怖くて、言い出せない人の気持ちはよく分かる」という。「病気を公表できる人は立派だと思う。でも、できない人はダメなのか。そういう人の気持ちも分かってほしい」

 ハンセン病問題 らい菌による感染症で末梢(まっしょう)神経がまひし、障害が残る恐れがある。感染しても、発症はまれ。「らい予防法」を根拠に患者は療養所への隔離を強制され、治療法確立後も差別や人権侵害が続いた。法律は1996年に廃止され、2001年に熊本地裁判決が隔離政策を違憲と判断。患者や回復者の家族が差別を訴えた家族訴訟でも、19年に熊本地裁が国の責任を認めた。親子や配偶者に180万円、きょうだいらに130万円を支払う補償金制度が創設された。補償金の相談は厚生労働省の窓口=電03(3595)2262=で受け付けている。