失言の罪(2024年4月10日『佐賀新聞』-「有明抄」)

 中学校時代の話。穏やかな陽気の午後の授業は苦手な理科だった。先生の声が子守歌のように聞こえる。居眠りしそうになるのを何とかこらえて50分。終業のチャイムが鳴ると思わず「あー眠たかった」と大声を出した。先生が何も言わず教室を出て行った後、級友たちが口々に「よう言うたなあ」と感心しきり

◆その時は深く考えなかったが、やがて「眠たい=つまらない、つまらない=授業が下手」ということを意味すると気づく。正直すぎるのも問題である。いわゆる「失言」だった

◆比べる次元ではないが、静岡県川勝平太知事が、きょうにも辞職願を提出する。新規採用職員への訓示で「県庁はシンクタンク。毎日毎日、野菜を売ったり、牛の世話をしたり、ものをつくったりとかと違い、皆さまは頭脳、知性の高い人たち」と発言した。職業差別ととられても仕方ない。過去の失言も重なっての辞職である

◆職業に貴賤(きせん)はない。仕事の価値に優劣もないと思う。どの仕事も社会をうまく回すための歯車だ。言葉は心を伝える手段。逆に言えば、思っていないことは出てこない。川勝知事は心のどこかに「エリート意識」を持っているのではないか

◆川勝知事以外にも失言で辞任した政治家は多い。職業に貴賎はなくても、生き方に貴賤は現れるのかもしれない。自戒しなければ。(義)