急激な物価高を受けて政権は財界に賃上げを求め、それが実現すると日銀は17年ぶりの利上げを決定した。岸田文雄・首相は内心ほくそ笑んでいることだろう。国民の暮らしが向上するから、ではない。“これで年金を一気に減らせる”──そんな「年金大減額」の思惑を暴く。
【図解】“2021年に仕込んでいた罠” 年金受給世代は「もらえる額が減る」。一方、現役世代は「支払う年金保険料の値上がり」
「年金だけ」減らされる
今年の春闘で大企業は平均5.28%(第1次集計)という33年ぶりの大幅な「賃上げ」を実施した。
岸田首相は、「力強い賃上げの流れができている」とドヤ顔で語り、植田和男・日銀総裁は、「賃金と物価の好循環の強まりが確認されている」とマイナス金利からの転換を決めた。日経平均株価も史上最高値を更新し、4万円を超えた。
まるで経済バラ色のような大騒ぎだが、政府はかねてから、物価と名目賃金が大きく上昇するタイミングで年金を大胆に減額し、保険料をドーンと値上げしてやろうと仕組みをつくって待ち構えていた。
それが発動され、4月から「年金だけ」が減らされる。国民は気づかないうちに「年金の罠」に嵌められようとしている。
まずは第一の罠を暴いていこう。
厚労省は、4月から厚生年金支給額を夫婦2人の標準世帯で月額6001円、国民年金(満額ケース)も1人月額1758円(注:69歳以上の場合。68歳以下は月額1750円の引き上げ)引き上げる。 「バブル期並み高水準」(読売新聞)と報じられ、“年金生活者にもようやく恩恵が回ってきた”と喜んでいる人は多いはずだ。
だが、それは大きな間違いである。この引き上げ、内容をよく見ると大幅な「年金減額」なのだ。
老後の生活保障である年金は、物価が上げれば、支給額が同じ上昇率で引き上げられなければ生活は苦しくなる。そのため、年金には物価に合わせて支給額を改定する「物価スライド」という仕組みがある。
現在の年金支給額は厚生年金(標準世帯)が「月額22万4482円」。2023年の平均物価上昇率は「3.2%」だから、年金もそれに合わせて7183円(3.2%分)引き上げられなければ生活水準を維持できない。
それに対して実際の引き上げ額は6001円。本来加算すべき金額より月額1182円(年間1万4184円)も足りない。実質減額になる。
同様に計算すると国民年金も1人年間4500円の実質減額なのだ。
政府は年金生活者に「不足分は生活を切り詰めろ」と突きつけているのである。だが、すでに年金生活者はギリギリまで切り詰めている。総務省の「家計調査」でそれがはっきりわかる。
65歳以上の夫婦2人の年金生活世帯が1か月にかかった消費支出は2023年が平均約25万1000円。物価上昇で前年よりなんと1万4000円も増えた。
年金などの手取り月収(可処分所得)は平均約21万3000円だから、赤字の約3万8000円は毎月貯金などを取り崩して生活に充てたことになる。その赤字幅も前年から大きく増え、貯蓄は先細るばかりだ。経済ジャーナリスト・荻原博子氏が怒る。
「年金生活者は高騰する電気代を抑えるために冬は暖房、夏も冷房をつけずに我慢し、ガス代を節約するためにお風呂は3~4日に1回とか、そんな生活で出費を抑えている。そのうえ4月から年金が年間1万4000円も実質的に減額される。
貯金を取り崩しながら乾いた雑巾を絞るように生活している高齢者にとって決して小さな金額ではありません。ほかに削るとすれば、お盆と正月にやってくる孫へのお小遣いを1万円から5000円に減らすとか、そういうことまでしなければならないんです」
現実は「バブル期並みの高水準」どころではないのだ。
2021年に仕込んでいた「年金減額ルール」
原因は年金だけを狙い撃ちにした「ルール改定」にある。
その一つがマクロ経済スライド。これは「年金制度を維持するため」という理由で、物価が上昇した時は、年金の引き上げ幅を物価上昇率より最大で0.9%低く抑える年金減額の仕組みだ。
高齢化で年金財源が逼迫していることを理由に、毎年少しずつ年金を削っていくのである。額面上は増えているように見える「実質減額」であることで、国民の目を誤魔化すことにもつながる。
小泉内閣時代の2004年の年金改正で導入されたが、デフレ(物価下落)の期間は発動されず、物価上昇に転じた安倍内閣時代の2015年に初めて実施。以来、4回実施され、これまでに合わせて年金が6.3%実質減額された。
4月の大幅な年金実質減額は、このマクロ経済スライドに加えて、新たな「年金減額ルール」が発動された。
2021年に施行されたこの新ルール。先に述べたように年金改定は「物価上昇率」を基準にしていたが、新ルールでは物価と賃金がどちらも上昇した場合、「伸び率が小さいほう」を基準にするよう不利な改定がなされた。
その「低い基準」からさらにマクロ経済スライドを発動してダブルで年金を減額する仕組みだ。昨年までは前年の物価上昇率がマイナスだったため、新ルールは今年4月に初めて実施される(別掲右図参照)。
岸田政権の大号令で物価上昇・賃上げが推し進められたが、それが実現した際に「年金が減額できる」よう“仕込まれていた”新ルールと言える。
その結果、厚生年金が本来の引き上げ額から年間約1万4000円も減らされるのだ。
岸田首相は賃上げに浮かれているが、賃金上昇は物価の更なる高騰を招く。そうなれば、年金生活者にとって来年もその先も、毎年、ダブルの年金減額が続くことになる。
厚労省の年金記録回復委員会委員を務めた社会保険労務士の稲毛由佳氏が指摘する。 「年金しか収入がない年金生活者はインフレリスクが大きい。年金の支給額が物価上昇率ほど引き上げられなければ、実質目減りしていきます。加えて、インフレが進めば資産も目減りするリスクがある。物価動向を注視して毎年家計を見直していかなければ、最悪、老後破綻という事態になりかねません」
現役世代は「年金保険料」大幅引き上げ
4月の年金ショックは現役世代にも及ぶ。「年金保険料」が大幅に引き上げられるのだ。
自営業者やフリーランス、アルバイトなど非正規労働者などが加入する国民年金保険料は4月から年額5520円値上げ、来年4月からはさらに6360円値上げと2年連続で引き上げられる。
過去四半世紀で最大の“異次元値上げ”で、2年分で現在の保険料より1人1万7400円の負担増となる(別掲左図参照)。
これも物価・賃金上昇に合わせた調整だ。前出の荻原氏が言う。 「年金カットだけではなく、保険料まで上げるというのはやりたい放題ですよ。春闘で賃上げラッシュといっても、非正規労働者にはあまり波及していない。そのうえ、自営業者は消費税のインボイス導入で税金負担が増えている。現在も国民年金は保険料未納率が4割近いのに、大幅値上げすれば未納率がさらに高まって制度が立ち行かなくなる危険さえあります」
春闘では日本製鉄が月額3万5000円、JFE、神戸製鋼所が3万円、トヨタ自動車が2万8440円と軒並み高水準の賃上げ回答が相次いだ。
だが、大幅な賃上げの恩恵を受けるサラリーマンも喜んでばかりはいられない。その分、厚生年金保険料の負担がずっしり重くのしかかるからだ。
厚生年金の保険料率は18.3%で固定され、給料が上がるほど保険料は増える。
たとえば、月給34万8000円のサラリーマンが4月から月額2万2000円の賃上げになるケースで試算すると、厚生年金や健康保険など社会保険料の算定基準となる標準報酬月額が2段階アップし、7月からの保険料が約6000円も引き上げられる。
賃上げは月2万2000円でも手取りは1万6000円しか増えない。そして保険料はこれまでより年間7万2000円も多く支払わなければならない。
サラリーマンの賃上げの上積みは年金保険料にごっそり持っていかれるのである。そのうえ、これら4月の年金ショックは今年から始まる新・年金大改悪のほんの序章に過ぎないのだ。 ※
週刊ポスト2024年4月5日号
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