痩せている人の方が長生き?! 和田秀樹医師が問題視する、高齢者の命を縮める「真犯人」(2024年3月16日『毎日新聞』)

 もともと日本の医学に欠けていると私が考えているものの中で、高齢者が増えてさらに重要性が増していると考えるのが、前回も問題にした「栄養学」だ。

 正規のカリキュラムで栄養学が学べる大学医学部はほとんどないのが現実だ。

 栄養学の軽視は今に始まったことではない。そして、それが悲劇を生んだこともある。

 日露戦争の実質的な軍医のトップは、小説家森鷗外としても知られる森林太郎だった。東京帝国大学医学部を出て、ドイツにも留学した秀才だったが、脚気(かっけ)が伝染病と信じて、陸軍の食事を変えなかったため、日露戦争の傷病者35万人のうち25万人が脚気患者で、脚気の死者も2万8000人も出し、戦死者より多いという惨事となった。

 これに対して海軍の医務局長だった高木兼寛はイギリス留学中に、ヨーロッパに脚気患者がいないことや体が大きいことに着目して、たんぱく質の多い麦飯に主食を変え、欧米流の肉食を導入しようとした。こうして誕生したのが海軍カレーである。

 その後脚気の原因が栄養の問題(のちにビタミンの問題とわかる)ということになったのだが、なぜか、日本の医学教育に栄養学が取り入れられることはなかった。

 これに懲りるどころか、大学の医学部では栄養学をバカにするようになったというのが歴史的な事実だ。

年を取るほど大切な栄養

 日本の栄養学のレベルは当時世界でも低いものではなかった。

 日露戦争の戦後6年目の1911年に鈴木梅太郎ビタミンB1を実質的に発見する(当時は、ビタミンと呼ばれておらず、抗脚気因子とされていたが、ほかの点でも人や動物の生存に不可欠な物質と鈴木は主張した)。

 それなのに、日本の医学の世界では、栄養学はないがしろにされ続けた。鈴木梅太郎がせっかくビタミンB1を見つけ、それを抽出したが、脚気の治療に使われたのは8年も後の話だ。

 アメリカで寿司(すし)ブームが起こって以来、彼らの国民病とされてきた心筋梗塞(こうそく)の発症やそれによる死亡が激減している。実は、私も留学していたのでわかるが、中西部では、まだまだ寿司がそれほど普及しているとは言えないが、魚の油であるドコサヘキサエン酸(DHA)などのサプリの普及の影響も大きな要因だと思われる。

 医者は、薬でなんでも解決しようとするが、栄養によって防げる病気は決して少なくない。

 そして、年を取るほど栄養は大切になってくる。

 前回、東京都医師会も日本老年医学会も高齢期にはメタボ対策よりフレイル対策といって、体格指数(BMI)の目標値を高齢者では高めに設定している話をしたが、私の臨床感覚でも、年を取るほど、栄養状態が元気さや長寿に与える影響は大きい。

 若いうちはやせているほど健康だと思われがちだが、宮城県で5万人規模で行われた大規模調査では、40歳のときの平均余命がいちばん長いのは、BMIが25~30のやや太め(25以上だとメタボの基準に当てはまる)の人で、やせている人(BMI18.5未満)と比べると男性で7.1年、女性で6.26年長生きしていたことがわかった。

 太めのほうが長生きできるということは、栄養状態がいい高齢者のほうが長生きできるということだろう。

結核死、減ったのは特効薬のおかげ?

 実際、日本人が長生きできるようになったのは、戦後の栄養状態の改善がいちばん寄与していると私は考えている。

 実は戦前は日本人の平均寿命は50歳に満たなかった。

 その頃、日本人の死因のトップは結核だった。

 若い人の命を奪うこの病気で亡くなる人が減ったので、日本人の平均寿命は大きく延びた。平均寿命というのは亡くなった人の平均年齢なので、乳幼児の死亡率が高いと短くなるし、若い人の死が多いと短くなる。結核は多くの若い人の命を奪っていたのだ。

 さて、結核で亡くなる人が減ったのは、その特効薬であるストレプトマイシンという抗生物質が使用できるようになったからだと信じられている。

 しかし、この説は二つの点で無理がある。

 一つは、戦後の日本という国がとても貧しかったので、当時高価だったこのストレプトマイシンがお金持ちでない人でも使えるようになったのは、1950年以降の話だっ…