大谷翔平と岸田首相の話題が再び「かぶる」偶然…同じサプライズでも中身は「雲泥の差」だった(2024年3月3日『日刊スポーツ』)

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中山知子の取材備忘録

中山知子の取材備忘録

◆中山知子(なかやま・ともこ) 1992年に日本新党が結成され、自民党政権→非自民の細川連立政権へ最初の政権交代が起きたころから、永田町を中心に取材を始める。1人で各党や政治家を回り「ひとり政治部」とも。小泉純一郎首相の北朝鮮訪問に2度同行取材。文化社会部記者&デスク、日刊スポーツNEWSデジタル編集部デスクを経て、社会/地域情報部記者。福岡県出身。青学大卒。

ドジャース大谷翔平投手(29)の電撃結婚のニュースが流れた2月29日、永田町ではまさに、自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件をめぐる衆院政治倫理審査会(政倫審)が開かれていた。唐突に出席を発表した岸田文雄首相の審査に続いて行われた、二階派武田良太事務総長への審査の最終盤、結婚を伝える速報がテレビで流れた。そこからは大谷選手の結婚をめぐる報道が各メディアの主流になり、政倫審はやや、かすみがちに。「首相のピンチを救った」「岸田さんは『持ってる』」。こうしたとんちんかんな声も含めて、永田町では驚きの声があがった。

大谷投手の動向が、岸田首相の動向に「かぶる」のは今回が初めてではない。思い出されるのが昨年3月21日。岸田首相は、外遊先のインドから同行の番記者をまいてウクライナを電撃訪問し、日本時間の22日未明に首都キーウでゼレンスキー大統領と会談した。隣国ポーランドを起点にして往復20時間の列車移動で、現地滞在8時間という超弾丸。この時、日本はワールド・ベースボール・クラシックWBC)の侍ジャパン一色で、準決勝メキシコ戦の劇的勝利を経た決勝で、最後に大谷が登板しての世界一奪還に、日本中が夢中になっていた。首相の電撃訪問は大きなニュースではあったが、侍ジャパン世界一は、首相が満を持して敢行したウクライナ電撃訪問を超えてしまうほどのニュースになった。

翻って今回の政倫審。生中継していたNHKで大谷結婚の速報がテロップで流れ、直後のニュースでまず速報で報じられたのも、まず大谷結婚の方。首相は政倫審で、再三批判を受けてきた在任中のパーティー開催を、立憲民主党野田佳彦元首相に再三念押しされ、あきらめたように「在任中に行うことはない」と表明せざるを得ない状況に追い込まれたり、裏金問題をめぐり今国会中の政治資金規正法改正に意欲こそ示したものの、国会答弁などでの説明を越えない内容で、実態解明にはつながらなかった。そんな厳しい事態を「吹き飛ばした」(国会関係者)のが大谷の結婚発表。ウクライナ電撃訪問時とは対照的な、偶然の「かぶり」となった。

罰則のない政倫審で、実態解明につながるような新事実判明は期待できないというのは、過去の政倫審のケースから予想できたこと。結局、史上初の首相の出席が最大の話題になっただけだった。首相らが出席した初日だけでなく、裏金事件の鍵を握るはずの安倍派幹部キーマン4人が出席した2日目も、全員が自身の関与を否定。証言内容に微妙な食い違いが生じ、今後の追及材料は出てきたが、進展はみられなかった。

そして今も、大谷結婚のニュースに日本中が沸いている。ある自民党関係者は「政倫審のさなかに大谷選手の結婚が発表になり、こんな偶然があるのか」と、驚きを隠せなかった。同党にとっては、週刊新潮とデイリー新潮が報じた広瀬めぐみ参院議員の「ラブホ不倫疑惑」報道も、通常ならもっと大きな問題になるところ、現段階では佐藤氏が謝罪や活動を続ける意向をつづった紙1枚を発表しただけ。こちらも大谷結婚のニュースの影にいったん、隠れた格好になっている。

政倫審に続き、岸田首相が自民党国対に2日までの衆院通過を強く指示したことで、強引ドタバタで行われた予算案審議は2日、首相出席で予算委員会が開かれ、その後の衆院本会議を通過し、参院に送られた。異例の「土曜国会」だったが土曜日ということもあってか予算委員会NHK中継もなく、報道量も平日より少なめ。大谷結婚に沸く裏で、国会では粛々と重要なことが決まっていった。

岸田首相が強引な手法を使ってまでも年度内の予算案成立を急ぐ環境を整えるように指示したのは、裏金問題で支持率もどんどん低下し、政権基盤がどんどん弱体化する中で「混乱要因の芽は何が何でも摘んでおきたいからだろう。要は保身だ」(野党関係者)と怒りの声を聞いた。政倫審への出席を電撃表明し、場を演出したつもりが、ふたをあければ中身はなく、サプライズ性は一瞬で消えた。永田町では、そんな首相から人心が離れ始めたという指摘も耳にする。

「同じサプライズでも大谷選手とは大違い。中身も雲泥の差だった」(関係者)。こうした声が出ても仕方のない、徒労感しか残らなかった政倫審以降の国会。4日からは参議院に舞台を移し、首相への追及も再び始まる。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)