「これが平和なら私は…(2024年2月22日『毎日新聞』-「余録」)

インタビューに答える平和学者のヨハン・ガルトゥングさん=東京都千代田区で2015年8月21日、小川昌宏撮影拡大
インタビューに答える平和学者のヨハン・ガルトゥングさん=東京都千代田区で2015年8月21日、小川昌宏撮影
夫人(右)の日本語通訳で、日本がすべき平和貢献について熱く語るヨハン・ガルトゥングさん=横浜市で2015年撮影拡大
夫人(右)の日本語通訳で、日本がすべき平和貢献について熱く語るヨハン・ガルトゥングさん=横浜市で2015年撮影

 「これが平和なら私は平和に反対しなくてはならない」。4%の白人が支配したローデシア(現ジンバブエ)。「何十年も白人が黒人を殺害したことはない」と強調する白人政権の言い分に同意できなかった(「日本人のための平和論」

  

▲そこで提示した概念が「構造的暴力」だ。戦争のような「直接的暴力」がなくても人種差別や抑圧があるなら暴力と同じ。そうした暴力の行使を正当化する言論など「文化的暴力」とともに暴力を3分類した

▲93歳で亡くなったヨハン・ガルトゥングさん。ノルウェーを占領したナチスに抵抗した父親が逮捕されるのを13歳の時に目撃した。「ネバーアゲイン(二度とごめんだ)」と平和研究の道を歩み、オスロ国際平和研究所を設立した

▲暴力がないだけの「消極的平和」にとどまらず、信頼と協調で維持される「積極的平和」の重要性を唱えた。日本人女性と結婚し、たびたび来日。安倍晋三元首相が提唱した「積極的平和主義」を「軍事同盟が支え」と批判したこともある

▲「何かを実現したければ、ビジョンを提示しなければならない」。非暴力的手段による平和実現を模索して嘲笑や黙殺を恐れなかった。「人には混沌(カオス)から秩序(コスモス)を作り出す力がある」と信じていた

▲「平和」を達成しようと暴力を用い、兵士より不釣り合いに多くの民間人が殺されて報復の連鎖を生む。「平和学の父」が乗り越えようとした不条理がウクライナやガザで繰り返されている。「暴力と平和」の意味を改めて考えたい。