週のはじめに考える インドは民主主義国か(2024年2月18日『東京新聞』-「社説」)

 昨年、中国を抜いて人口世界一になったインドで、4~5月に総選挙があります。現在2期目のモディ首相率いるインド人民党が優勢ですが、近年の政権の振る舞いを考えると、「世界最大の総選挙」を行うこの国を素直に「世界最大の民主主義国」とは呼べません。
 何せ人口14億人超ですから、選挙も「特大」の数字が並びます。前回(5年前)のデータでは、有権者は9億人以上。小選挙区制で定数545に8千人余が立候補、約100万カ所の投票所に230万台の電子投票機が設置されました。500万人の選挙職員が動員されましたが、一度では対応しきれないため、投票日も選挙区別に7回に分けて設定されました。
 インド国民の平均年齢は、およそ28歳。日本の48歳、米国や中国の38歳前後と比べても、格段の若さです。15~64歳の「生産年齢人口」は約9億5千万人おり、毎年1千万人ずつ増加。数十年間は生産年齢人口の比率が上昇する「人口ボーナス」の時期が続きます。
 経済力の伸長目覚ましく、国内総生産GDP)は近いうちに日本もドイツも抜き、米中に次ぐ世界3位となって、今世紀半ばには日本の4倍に成長すると推測されています。宇宙開発でも世界のトップグループに名乗りを上げるなど、あらゆる面で、このところのインドの勢いには目を見張るものがあります。


◆「少数派へ配慮」も今は昔


 歴史を振り返れば、第2次世界大戦後に独立して以来、民主的な選挙を国会から州、村に至る各レベルで続けてきました。独裁や軍事政権とも無縁で、文字通り「世界最大の民主主義国」だったといえましょう。その様相が大きく変わってきたのは、ここ10年ほど。
 最大の問題はモディ政権の「ヒンズー至上主義」への傾斜です。国民の8割を占めるヒンズー教徒の優遇政策が露骨で、少数派のイスラム教徒は苦境にあります。最近、インド北部のアヨドヤで、モスク(イスラム教の礼拝所)の跡地に大規模なヒンズー教寺院が建立されました。1月の落成式に出席したモディ首相は「何千年たっても人々はこの日を忘れないだろう」と熱っぽく語りました。
 この地にはムガール帝国の16世紀以来、モスクがあったのですが、ヒンズー教徒らが「教典『ラーマーヤナ』ゆかりの聖地」と主張して1992年に破壊。最高裁も2019年、ヒンズー側に土地所有権を認め、人民党主導でヒンズー教寺院が建てられたのです。
 こうした政権の姿勢について、防衛大の伊藤融教授(南アジア国際関係)は著書「インドの正体」で「イスラム教徒など少数派の声を吸い上げてきたインド民主主義との決別といってもいい。ヒンズー国家建設への動きは司法界も巻き込みつつある」と指摘しています。独立当時の与党・国民会議派が、「諸宗教を対等に」と唱えた時代から隔世の感があります。
 メディアや野党への弾圧姿勢も目立ちます。ジャーナリスト、パラグミ・サイナート氏は、月刊誌「中央公論」1月号の対談の中で「批判すれば家宅捜索や収監という惨憺(さんたん)たる状況だ」と証言。政権に批判的な番組を放送した英BBCも現地拠点が家宅捜索を受けました。インドは国際NGO国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングで02年には80位でしたが、23年は161位と、かつての見る影もありません。
 人民党が大多数の国会は昨年、野党・国民会議派の元総裁、ラフル・ガンジー氏の議員資格を剝奪(後で回復)しました。往年の勢いはない国民会議派ですが、同氏はネール初代首相を曽祖父、インディラ・ガンジー元首相を祖母、ラジブ・ガンジー元首相を父に持つ名門の出で、野党側の首相候補の一人。現政権のヒンズー至上主義を批判し今総選挙に臨みますが大躍進は望めそうにありません。


◆「選挙権威主義」に転落


 スウェーデンの「民主主義の多様性研究所」が、近年のインドについて、日本や米国の「自由民主主義」と、中国やロシアの「権威主義」の中間に過ぎないとして、「選挙権威主義」に堕した、と酷評したのもうなずけます。
 ただ、外交では、巧みなバランス感覚が目を引きます。日米欧などの民主主義陣営、中ロを軸とする権威主義陣営の双方に足場を置くことで、かえって国際社会での存在感を高めています。モディ政権の強権ぶりに物申すべきだとしても、対中関係との見合いで、政経両面で重要度を増すインドとの関係は冷やしたくない、というのが日本や米国の本音でしょうか。そうした「遠慮」がまた、モディ政権の強権化を促すのでしょう。