※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tom-Kichi
天皇・皇后両陛下の長女、愛子さまが12月1日に23歳の誕生日を迎えられた。皇室研究家で神道学者の高森明勅さんは「敬宮殿下(愛子さま)は、現状のルールでは『女性だから』というだけの理由で天皇になれないが、未来の天皇にふさわしい資質を持っておられる。4歳のころには既に、周囲への気遣いもなさっていた」という――。(第1回/全3回)
※本稿は、高森明勅『愛子さま 女性天皇への道』(講談社)の一部を再編集したものです。
■4歳で見せた周囲への心遣い
天皇陛下の平成18年(2006)のお誕生日に際しての記者会見から(当時は皇太子)。
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「昨年は、菜園で野菜を育てることを通して、植物の成長を見守ることや収穫の喜びを体験できたように思います。ともかく毎日、水やりに菜園に行っていることに感心しました。今はイチゴが採れるのを楽しみにしています。菜園で収穫したものは両陛下(上皇、上皇后両陛下)の所にお持ちしたり、あるいは友達にあげたりして、みんなと分けることも楽しんでいるようです」
「私たちや周囲への心遣いもかいま見ることがあります。雅子が昨年の12月の誕生日の夕方に風邪で寝込んだ時も、その前に自分が風邪をひいたときによくしてもらったので、という意味のことを言って雅子の寝室にバースデーケーキを持って見舞いに行ったり、『こどもの城』(国立総合児童センター、東京都渋谷区にあったが平成27年に閉館)で、年下のお子さんに『愛ちゃんができないときにだれだれちゃんがしてくれたから』と言いながら手を貸したりすることがあるようです」
「今年の元旦に御所に上がる折に、門の所で一般の方や記者の皆さんが立っているのを見て『みんな寒い所に立っているからわんちゃんの手を振ってあげるの』と言っていたようです」(※当時は愛犬の「ピッピ」と「まり」を飼っておられた)
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ちなみに、皇后陛下(当時は皇太子妃)が「適応障害」と発表されたのは、この2年ほど前のことでした(平成16年=2004=7月)。その事実を念頭におくと、敬宮殿下が寝室にバースデーケーキを持って見舞いに行かれるような優しさは、お辛い日々を送られる皇后陛下にとって、大きな心の安らぎだったのではないでしょうか。
■天皇、皇后両陛下の「癒やし」に
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いとけなき 吾子の笑(え)まひに いやされつ
子らの安けき 世をねがふなり
輪の中の ひとり笑へば またひとり
幼なの笑ひ ひろがりてゆく
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当時の天皇、皇后両陛下は、大きな逆風のただ中にいらっしゃいました。天皇陛下は、ご結婚の時の「一生全力でお守りしますから」というお約束の通り、厳しい立場に追い詰められていた皇后陛下をお守りするために、懸命に困難に立ち向かっておられました。
ご懐妊に向けた治療の末に、やっと敬宮殿下がお生まれになった後も、ひたすら「男子」出産を求めてプレッシャーをかける宮内庁サイドの動きが続いていました。それに対して、天皇陛下はギリギリの反撃を試みられました。記者会見の場で「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」という衝撃的な発言をされたのです(平成16年=2004=5月10日)。
このご発言によって、ようやく皇后陛下の治療環境が整うことになる一方、ご発言への反発もさまざまな形で広がっていました。そうした険しい日々の中で、敬宮殿下のご存在は両陛下にとって、かけがえのない“癒やし”だったことが、先に掲げさせていただいた和歌からも察することができます。天皇陛下の御製は「吾子」の笑顔に癒やされる、というミクロな私的場面から、一気に「子らの安けき 世をねがふなり」というマクロな公共的願いへと拡大しています。
わが国における究極の「公(おおやけ)」の体現者と言うべき“天皇”の立場にふさわしい作品でした。
■愛子さまの養育方針
では、政治の無策が原因で、いずれ是正されるべき皇位継承ルールに手がつけられないまま放置され、敬宮殿下の未来が引き裂かれている宙ぶらりんな状態の中で、天皇陛下はご養育にあたりどのような方針で臨まれたのでしょうか。
これについても、天皇陛下のご発言があります。まず敬宮殿下がお生まれになった直後のお誕生日に際しての記者会見で、「愛子」というお名前と「敬宮」というご称号について、以下のように述べておられました(平成14年=2002=2月20日)。
■「敬宮愛子」という名前に込められた願い
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「子供の命名に当たっては、漢文学や国文学の専門の方々から、複数の候補を挙げていただきました。子供は自分の名前を選ぶことはできませんし、また、名前はその人が一生共にするものですので、私たち二人も、真剣にそれらの候補の中から選びました。選考に当たっては、皇室としての伝統を踏まえながら、字の意味や声に出した響きが良く、親しみやすい名前が良いというふうに考えました。……(中略)候補の中では、孟子の言葉が内容としても良いように思いました。また、敬と愛の二文字が入っているのも良いと思いました。いつの時代もそうですが、とかく人間関係が希薄になりがちな今の世の中にあって、人を敬い、また人を愛するということは、非常に大切なことではないかと思います。そしてこの子供にも、この孟子の言葉にあるように、人を敬い、人からも敬われ、人を愛し、人からも愛される、そのように育ってほしいという私たちの願いが、この名前には込められております」
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皇室では直系のお子さまにはお名前のほかにご称号が定められます。敬宮殿下の場合、お名前が「愛子」、ご称号は「敬宮」でした。高貴な方のご本名を直接お呼びするのをはばかる気配りに由来します。傍系の宮家のお子さまの場合は、たとえば秋篠宮家の場合でもお子さま方は皆さま、ご称号をお持ちではありません。私自身は、敬宮殿下が唯一の直系の皇女でいらっしゃるという皇室での位置づけを重んじて、「敬宮」殿下とご称号でお呼びすることが多いです。
前にも少し触れたように、世間では「愛子さま」とご本名でお呼びするのを多く見かけます。それも敬愛の気持ちでお呼びしているのですから、もちろん、とくに目くじらを立てるようなことではありません。念のために『孟子(もうし)』の関連箇所を紹介しておきます(「離婁章句(りろうしょうく) 下」)。
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《仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬す。人を愛する者は、人つねにこれを愛し、人を敬する者は人つねにこれを敬す》(仁徳(じんとく)ある者は人を愛し、礼儀ある者は人を敬するのであって、われ人を愛すれば人も常にわれを愛し、われ人を敬すれば人も常にわれを敬するはずである。穂積重遠(ほづみしげとお)訳)
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天皇、皇后両陛下の敬宮殿下のご養育についての基本的な考え方は、このお名前とご称号それ自体に込められていたはずです。しかも敬宮殿下はその両陛下の「願い」に沿って、ご立派な成長をとげられているように見えます。
■「人を愛し、そして人からも愛される人間に」
さらに天皇陛下が「どのような立場に将来なるにせよ」とお答えになった同じ記者会見(平成17年=2005)で、一篇の詩を紹介されています。
「愛子の名前のとおり、人を愛し、そして人からも愛される人間に育ってほしいと思います。それには、私たちが愛情を込めて育ててあげることが大切です」とおっしゃって、アメリカの家庭教育学者のドロシー・ロー・ノルト(ホルト)の詩を取り上げられたのでした。これも見逃せないので、ここに一部だけ引用させていただきます。
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《批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる……(中略) 皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなる しかし、激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる 寛容にであった 子どもは 忍耐をおぼえる……(中略) 友情を知る 子どもは 親切を おぼえる……(中略) 可愛がられ、抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる》
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敬宮殿下はこれまでに数多くお辛い経験もしてこられました。何より、母宮の皇后陛下が皇太子妃だった平成時代には、事実無根の記事が週刊誌などに氾濫し、理不尽なバッシングにさらされていました。皇后陛下は今も全快されておらず、ご療養は続いています。敬宮殿下にとってそれがどれほど悲しいご経験だったか、想像するにあまりあります。ご自身の不登校とか、痛々しいほどお痩せになられた時期も、ありました。
■悲しみを輝きに変える
しかし「ご成年に当たってのご感想」(令和3年=2021=12月1日)では、そうした歳月を以下のように振り返っておられました。
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「これまでの日々を振り返ってみますと、いろいろな出来事が思い起こされ、感慨深く思うとともに、多くの学びに恵まれた色濃い歳月であったことを実感いたします」
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普通、20歳になったばかりの若い女性が、自分の半生を振り返って「色濃い歳月」などと表現することが、どれほどあるでしょうか。しかも殿下は「多くの学びに恵まれた」とまで言い切っておられます。多くの苦しみ悲しみを「学び」として受け止め、それらを成長の糧として、自らの輝きに変えてしまわれる強さを、敬宮殿下はお持ちなのでしょう。
多くの国民に感銘を与えた、ご成年を迎えられた際の品格高く明るくユーモアに富んだ記者会見も、お辛かった日々を乗り越えられたうえでの、輝きでした。その“輝き”の源泉は何でしょうか。ご両親がそそがれたあふれるばかりの愛情でしょう。そのご両親から受け取った愛情の豊かさゆえに、悲しみさえも輝きに変えるお力を身につけられたに違いありません。
■三笠宮信子妃殿下が詠まれた和歌
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《可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる》
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敬宮殿下はまさにそのようにして、「敬」と「愛」の二文字に最もふさわしい皇族へと、成長されました。
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成人を 姫宮(ひめみや)むかへ通学に かよふ車窓の 姿まぶしむ
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ここに出てくる「姫宮」は、もちろん敬宮殿下です。
「ご成年を迎えられた敬宮殿下が、お車で颯爽(さっそう)と大学に通っておられるお姿を窓越しに拝見すると、眩(まぶ)しく輝いておられるように見える」――。
そのような意味でしょう。信子妃殿下は「ご幼少時より敬宮殿下に深い敬意と愛情を持って見守ってこられ」たといいます(宮内庁の和歌解説より)。結句の「姿まぶしむ」に、その敬愛のお気持ちが奥ゆかしく詠み込まれていました。
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高森 明勅(たかもり・あきのり)
神道学者、皇室研究者
1957年、岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。神道宗教学会理事。国学院大学講師。著書に『「女性天皇」の成立』『天皇「生前退位」の真実』『日本の10大天皇』『歴代天皇辞典』など。ホームページ「明快! 高森型録」
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高森 明勅 (著)
ついに国連の「女性差別撤廃委員会」も皇室典範の改正を勧告! 世論調査では9割が「女性天皇」を認めているのに、政府はなぜ「男系男子」にこだわるのか? 愛子さまが天皇になるべき「5つの理由」を今、明快に説く。
2の理由=天皇は「国民統合の象徴」。その象徴に男性しかなれないルールは、いびつである。
4の理由=天皇という地位は「国民の総意」に基づくべき。国民の気持ちを無視してよいのか。
5の理由=「ジェンダー平等」は、現代における普遍的な価値観である。
2024年春、学習院大学を卒業し、日本赤十字社の嘱託職員となられた天皇家のご長女・敬宮愛子さま。「両陛下のただひとりの内親王殿下」に寄せられる期待は、「愛子さまにこそ、天皇陛下になってほしい――」というもの。
世論調査では「女性天皇」を認める国民が、今や「9割以上」という。しかし、国会では「男系男子」以外への皇位継承以外はまったく検討されていない。なぜ、「男系男子」だけにこだわるのか。明治以降にできた短い歴史の皇位継承制度であるのに……。いっぽうで、「男系男子」に限ることは、近い将来の皇室の破綻さえ招きかねない。「だから、今こそ女性天皇を実現させる制度改革が必要」 だという。そのために私たちが目指すことは、「天皇陛下の長子が皇位継承資格を持つこと」。今から変えるために、私たちができること。気鋭の皇室研究者が、「女性天皇実現までの道」を、明快に説く。
目次
○第3章 歴史の中の女性天皇――日本らしさの証明
○第4章 皇太子が不在の令和皇室――欠陥ルールの皇位継承順序を見直す
○第5章 これからますます大切になる皇室――未来に向けた存在意義
○第6章 皇室典範はこう変える――私の改正案