ある日、満員電車の中で痴漢と間違えられ、裁判で有罪判決が下される。冤罪は日常生活の中で誰にでも起こりうることで決して他人事ではない。
ではなぜ冤罪はつくられるのか。そして冤罪から身を守るために必要なこととは何か?
これまで冤罪事件の弁護や研究を手掛けてきた西愛礼(にし・よしゆき)弁護士に聞いた。
冤罪を生み出すメカニズムとは
「いま冤罪事件が世間で注目されて、だんだん冤罪という言葉が認知されてきたと思います」
そう語るのは冤罪事件を手掛け、「冤罪学」「冤罪 なぜ人は間違えるのか」の著者でもある西愛礼弁護士だ。ここ最近でも袴田事件や大川原化工機事件、西氏も弁護を担当したプレサンス元社長冤罪事件など冤罪事件が大きく取り上げられてきた。ではなぜ冤罪事件は作られ続けるのか。冤罪を生み出すメカニズムを西氏はこう語る。
「例えば確証バイアスといって、人は誰でも自分の見込みや期待に沿う情報を積極的にインプットしてしまう傾向があります。一方で期待に沿わない情報は看過してしまう。例えば『この人が犯人じゃないか』と思う捜査官はその人が犯人である証拠に目がいって、犯人ではない証拠を見過ごしてしまいます」
裁判官も人である以上、判断を間違える
また、刑事裁判では証拠裁判主義、つまり証拠に基づいて事実を認定しなければいけないというルールがある。しかし人は結論に沿って証拠を評価してしまうこともあると西氏はいう。
「認知的一貫性といって、この人は有罪なんじゃないかという予断や認知をもっていると、それに一貫するように証拠を見てしまう。そういった捜査官は他にも認知的不協和という、『この人は冤罪なんじゃないか』と矛盾する認知を都合よく排斥しようとしたり、有罪の証拠を無理やり作り出そうとしてしまうこともあります」
これは裁判官の場合も同じだ。
西氏は「裁判官も人である以上、判断を間違えてしまうことがある」という。アメリカでは裁判官を対象にしたバイアスの実験を行い、裁判官もバイアスに囚われることが実証されている。
「それに加えて、裁判は当事者が出した証拠を見て判断する場なので、当事者が出してこなかった、または出せなかった場合は、その事実がわからない状態で裁判官は判断しなければなりません。こうした死角が生まれてしまう中で判断を間違えてしまうこともあると思います」
犯人に間違えられたら「黙秘」と弁護士
ではもし私たちが犯人に間違えられ突然逮捕された場合、何をしたらいいのか。
西氏は「まず弁護士を呼んでください。そして弁護士と相談するまで黙秘してください」と強調する。
「例えば取り調べで『3日前に何をしていたか』と聞かれても覚えていないのが普通だと思います。しかし曖昧な記憶で発言して実際と異なっていると、捜査官は『この人は嘘をついている』と疑いが増してしまう。だからこそ、取り調べで話すかどうか、話すとしても何をどう伝えるかなどについては弁護士に相談したうえで取り調べに臨む必要があります。弁護士を選任する権利は憲法で保障されているので、逮捕勾留されていても求めがあれば警察は弁護士を呼ばないといけないルールになっています」
日常生活の中でも冤罪が生まれやすいのが痴漢に間違えられることだ。
この場合、西氏は「大事なのは有罪であるかのような振る舞いをしないことと、防御のための行動をとること」だという。
「例えばその場から無理やり逃げたり、その場を収めようと示談の交渉をしないこと。防御のための行動としては、その場で目撃証人を探すのが大事です。また取り調べを受けるにあたっては弁護士を呼んで黙秘をすること。さらに取り調べ中に自白を強要されたらメモを取って弁護士に伝えれば、弁護士は警察や検察に抗議文を送り、そういった取り調べが無いように対応することができます」
日本の取り調べ時間は突出して長い
日本の司法は「自白偏重」と言われ、取り調べ時間は平均22時間と他の先進国に比べ突出して長い。アメリカは1~2時間から数時間程度、イギリスでは30分以内が大部分だ。日本では「真相解明の名の下、取り調べに依存した捜査になっている」(西氏)と言われ、これがいま問題視されている「人質司法」の背景となっている。
「人質司法とは裁判で無実を訴える人ほど、身体拘束をされてしまうという刑事司法の運用」だと西氏は語る。
「無実を訴える人ほど自白している人に比べて『この人は逃亡や罪証隠滅のおそれがある』と見られて釈放されない。実際に捜査機関が『このまま否認していたら裁判が長引くぞ。外に出られないぞ』と言って人質司法を利用することもあります。また身体拘束を判断するのは裁判所ですが、裁判官による法(※)の解釈運用がすでに固まっているため、この人質司法がなかなか無くならないのです」
(※)刑事訴訟法第60条第1項
勾留が長引くと「やった」と自白してしまう
勾留が長引くと「虚偽自白」が生まれることがある。やってもいないことをやったと自白してしまう理由を西氏はこう語る。
「『自分は本当にやっていないから裁判できちんと話せばわかってもらえる、有罪にはならないだろう』と将来の不利益を軽視し、取り調べを受ける目先の苦痛から逃れたいために『やりました』と言ってしまうのです。自白を得た捜査官は供述をより具体的に取ろうとし、一旦虚偽自白をした人も苦痛を逃れるために自白の内容を作ってしまう。その詳しい内容の虚偽自白を見た検察官は本当の自白だと起訴し、裁判官もこれは本当の自白だと考えて有罪判決を出してしまいます」
国際的には「身体不拘束原則」があり、推定無罪である以上「裁判に付される者を抑留することが原則であってはならない」と「自由権規約」に定められている(日本も1979年に批准)。しかし人質司法はこれに違反していると西氏は語る。
「誰もが釈放された状態で訴追者側と対等な立場として、刑事裁判を受けるのがグローバルスタンダードです」
逮捕=犯人であるかのような報道をやめる
「いま私は角川人質司法違憲訴訟の弁護団にいますが、人質司法は裁判を受ける権利や人身の自由を侵害し、人間の尊厳を傷つけるものであって、憲法に反するものと言えます。人質司法を解消し、無実の人が裁判で無実を主張して無罪を勝ち取れるという司法にしていかないといけません」
冤罪の再発防止のためには、捜査機関の原因検証や再発防止策の徹底はもちろんだが、メディアにも「逮捕=犯人であるかのような報道をやめることが求められる」と西氏はいう。
「袴田事件も当時そういう報道があったことが分かっています。捜査機関が逮捕したら犯人に決まるわけではなくて、裁判で有罪判決が宣告されて初めてその人が犯人と確定されます。それまでは推定無罪を前提とした情報の取り扱い、報道のあり方を考えないといけません」
冤罪はこの世で最大の理不尽で人権侵害
また、メディアの情報源が捜査当局に限られることも、冤罪のリスクにつながる。
「逮捕報道が警察側の情報だけを元に行われ、その人が犯人だという情報に被疑者側が反論できないまま報じられてしまう。そしてそれがSNSなどを通じて市民が拡散してしまう結果、有罪の予断が作られてしまうのは現代社会における冤罪のリスクだと考えます」
西氏は「冤罪はこの世で最大の理不尽で、最大の人権侵害」だと語る。
「ですが裁判官も検察官も弁護士も警察もメディアも人である以上誤ってしまうし、法律やその運用といった刑事司法システム自体にも多くの問題があり冤罪は繰り返されています。将来の冤罪を防ぐためには、みんなで過去の冤罪から学び、システムを改善しなければなりません。そうした過ちに向き合うことのできる社会を作っていきたいと思っています」
冤罪は決して他人事ではない。だからこそ再発防止に向けた国民的な議論が必要だ。
鈴木款(まこと)