無罪判決を受けて記者会見に応じる袴田ひで子さん(編集部・野村昌二撮影)
「58年闘ってまいりました」
巌さんとひで子さんのツーショット
巌さんは1966年6月、静岡県のみそ製造会社の一家4人が殺害された事件で逮捕・起訴され、80年に死刑が確定した。昨年3月、再審の扉が開き、15回に及ぶ審理を経て、今年9月26日、静岡地裁が巌さんに無罪を言い渡した。
ひで子さんは、事件から半世紀以上にわたって3歳年下の巌さんを支え続けてきた。
巌さんに死刑が確定し「死刑囚」となった後、ひで子さんは「犯罪者の家族」という世間からの冷たい視線を浴び続けた。だが、弟は無罪だと信じ、闘い続けてきた。
それだけに、無罪判決を聞いた時、「嬉しくて仕方なかった」と振り返る。
「嬉しいやら感激するやらで、涙がとめどなく出て、1時間ぐらい涙が止まりませんでした」
涙を見せることは滅多にないが、判決で「無罪」ということを聞いた時、嬉し涙が溢れ出てきたという。
会見には、巌さんも出席する予定だったが、体調不良で欠席となった。
ひで子さんによれば、無罪判決について巌さんに「あんたの言う通りになったよ」と告げると、表情を変えず静かに聞いていた。ただ、薄々は無罪になったことがわかっていると思うという。判決が出た翌日は、巌さんは再審無罪を伝える朝刊各紙に目をやりながら言葉を発することはなかったが、「表情がちょっと明るくなった」(ひで子さん)。
無罪判決から3日後の9月29日、巌さんは静岡市内で開かれた報告会に出席。普段は意思疎通が難しいが、こう述べた。
「私が、袴田巌でございます。待ちきれない言葉でありました。無罪勝利が完全に実りました。きょうはめでたく、みなさんの前に出てきたということで。無罪勝利ということに、検察も認めたということ。これからの闘いにおいては、政治的に社会的地位を守っていく、これが根本的なものでございます」
ひで子さんは、巌さんのこの言葉は、拘置所の中で48年間、無罪になったら言いたいとずっと復唱していた言葉で、思いつきではなかったと思う、と話した。
控訴期限は10月10日。
検察側が控訴する可能性について、ひで子さんは心境を尋ねられると、「したきゃすればいい」と語った。
※AERAオンライン限定記事
(AERA編集部 野村昌二)