石丸伸二氏が「政界の大谷翔平になれ」に返した言葉は意外なものだった…都知事選の参謀役が語る素顔と課題(2024年7月29日『東京新聞』)

 
既存政党の支援を受けない前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏が166万票近くを獲得して2位につけ、政界に衝撃を与えた東京都知事選(7月7日投開票)。石丸氏の選挙対策本部で事務局長を務めた藤川晋之助氏が本紙のインタビューに応じ、今後の国政挑戦や「石丸新党」結成の可能性に言及した。石丸氏に「政界の大谷翔平になってほしい」と伝えたところ、意外な反応があったことも明かした。(佐藤裕介)
石丸伸二氏の選挙戦を振り返る藤川晋之助氏(佐藤裕介撮影)

石丸伸二氏の選挙戦を振り返る藤川晋之助氏(佐藤裕介撮影)

藤川氏は自民党田中派(解散を決めた茂木派などの源流)の議員秘書大阪市議を務め、民主党時代の小沢一郎氏らの選挙も手伝った。みんなの党日本維新の会などの選挙にも関わった。これまでに参謀としててこ入れした140回以上の選挙で勝利を重ね、永田町界隈(かいわい)では「選挙の神様」の異名もとる。藤川選挙戦略研究所代表理事
取材は7月24日に都内で行った。詳しいやりとりは以下の通り。

ドトール創業者の頼み「断りようがなかった」

Q 選挙戦では参謀役を務め、メディアへの露出が増えた。
A 今もテレビ出演の依頼や与野党の有力政治家からの面談依頼がひっきりなしの状態だ。自民党の幹部クラスも相談に来ると言っている。
Q 改めて、どういった経緯で参謀役を引き受けたのか。
A 都知事選に出馬したいという石丸さんと最初に会ったとき、普通ならスタッフがいたり、ブレーンがいたりと想定するが、聞いてみたら「誰もいない」と。ひとりぼっちで、何もかもが「今から」ということだった。「都知事選挙なんてそう簡単にできるもんじゃない。お金も少なく見積もって1億ぐらいかかる」と言ったら、それよりも遥かに低い額なら用意できるが、「それ以上は無理です」と。それで、私も「(引き受けるかどうかは)とりあえず1日考えさせてほしい」という話で帰ってもらったのだが、次の日にドトール創業者の鳥羽(とりば)博道氏から電話で「一生のお願いだ」と頼まれた。そんな頼まれ方をしたら断りようがなかった。

石丸氏の応援団には、大手コーヒーチェーン「ドトールコーヒー」創業者の鳥羽博道氏ら財界人も名を連ねた。鳥羽氏は石丸氏の後援会長として選挙戦を支えた。

◆「SNSでは票の広がりはないと思っていた」

A 選挙の準備はなるべく早くしたかった。だが、石丸さんは真面目な人間で「市長の在任中は東京での政治活動はやりたくない」と。準備は徹夜の突貫工事で進めた。ボランティアの募集を始めると、すぐに2000人くらいから連絡があって驚いた。ボランティア説明会の会場には1200人、1300人が来た。彼が1年間やってきたYouTubeの活動を含めて、「SNS恐るべし」と思った。

石丸氏は前職の安芸高田市長時代から、市議や記者らと鋭く対立する動画などがネット上で人気を集めていた。5月上旬にX(旧Twitter)のフォロワー数が30万を突破し、選挙期間中には50万超まで伸ばした。

都知事選の街頭演説に集まった聴衆にハイタッチで応える石丸伸二氏(左から2人目、佐藤裕介撮影)

都知事選の街頭演説に集まった聴衆にハイタッチで応える石丸伸二氏(左から2人目、佐藤裕介撮影)

A これまでは、SNSに頼ったところでYouTubeなんか見てる連中は選挙にも行かないから、さほど票の広がりはないと思ってきた。だが、この認識が崩れた。最終的には5500人がボランティアとして登録してくれた。まさに奇想天外。選挙ポスターも1万4000ヶ所にボランティアの方々があっという間に貼ってくれた。皆さんが素晴らしい働きをしてくれた。

◆「小池 vs 蓮舫」の構図を崩すのが目標だった

A 最初に渋谷や錦糸町で街宣をしてみたら毎回1000人、2000人と集まる。これを見て、彼は地域に関係なく、街宣に行けば行くほど聴衆が集まるんだと分かった。報道各社は、選挙がスタートする時点ではほとんど関心を持ってなかった。当初はみんな「どうせ泡沫候補だろう」という程度の認識だった。
Q 多くの報道機関が都知事選を「小池百合子蓮舫」の構図で捉えていた。
A できるだけ早期にその認識を突き崩すのが我々の目標だった。結果、徒手空拳で何にもないところからやり始めて、10万人以上の聴衆を相手に街宣を行って、一種の地殻変動を起こしたが、勝利するところまではたどりつけなかった。

Q 街頭演説で「政策への言及が少ない」という批判もあった。
A 炎天下で1時間もしゃべっていても意味がない。それよりも石丸さんは、彼のスタイルで「私を信じてほしい」「東京を動かそう」と訴えた。「それでは人の心には突き刺さらない」という声もあったが、240回、全くぶれずに同じ事を訴え続けた。今までの選挙は「藤川ミラクル」だとか「藤川マジック」だなどと言われてきたが、今回の選挙は「石丸ミラクル」だ。彼が培ってきた感性と経験が、新しい時代のSNSを通じて広がった。
石丸伸二氏の選挙戦を振り返る藤川晋之助氏(佐藤裕介撮影)

石丸伸二氏の選挙戦を振り返る藤川晋之助氏(佐藤裕介撮影)

◆「石丸構文」と批判されても「悪名は無名に勝る」

Q 落選が確実になった後の石丸氏のメディア対応には、批判の声が上がった。
A 彼からしてみたら、「勝てる」と信じて戦っていたから、(落選は)やはりショックだったのだろう。だから、最後の会見になって多くの記者が来て、落選した時にこんなに来る必要ないだろうと思ったのではないか。なぜもっと早く来て、報道してくれなかったんだと思ったのかも知れない。
Q 記者やキャスターの質問を返り討ちするような独特の話し方を称して、「石丸構文」という言葉も生まれた。
A (メディアはその言葉を)うまく、面白く作ったというふうには思いますよね。多分、石丸さんの思考の中で今まで培ったしゃべり方なんだろうなと。彼なりには行間にあるものはつながってるわけですよね。だから、極めて論理的だと思うけど、一般の人が聞くとこの行間が見えないから「何だこのまどろっこしく結論が出ない構文は」となる。
 悪名は無名に勝る。無視されるのが一番困るわけだけど、そういうことがあったおかげで、マスコミから引っ張りだこなわけ。あれがなかったら、引っ張りだこになったか分からない。

◆「僕は大谷翔平ではなく野茂英雄

Q 「石丸新党」の可能性は。
A 可能性はある。そうなれば都議選や衆院選参院選に自身も含む複数の候補者を擁立して、東京を軸にした展開の仕方をするのではないか。私は彼に「『政界の大谷翔平』だと思って応援するからがんばれ」と伝えている。彼は「大谷ほどの力は僕にはないし、大谷ほど立派な人間でもない」「大谷ではなく、僕は野茂(英雄)」「野茂がいたから大谷がいる」「日本の魁(さきがけ)になって、僕よりもすごい『大谷』を見いだしていかなきゃいけない」というようなことを言っていた。僕は「そんなことしてたら俺はもう死んでるよ」と言ったんだけどね。

野茂英雄 社会人野球や近鉄バッファローズを経て、1995年に米大リーグ・ドジャーズに入団。「トルネード投法」と呼ばれる独特のフォームから繰り出されるフォークなどで一世を風靡し、日本人選手が本格的に大リーグに挑戦するきっかけとなった。

Q 今後も石丸氏を支えるのか。
A 彼が私を必要とするなら、そうするだろう。
Q 今回の選挙は、今後の既存政党の選挙戦を変えるか。
A 単にSNSを使ってもあれだけの結果が出せるというわけではない。今回の結果は彼のパフォーマンスのうまさ、持っている個性によるところが大きい。なかなか普通の人は「恥を知れ」とか言えないでしょう。ただ、今回の都知事選では40代くらいまでの若い世代からの支持を石丸さんが集めた。SNSを投票の際の判断材料にしていることがはっきり分かったわけだから、そこにうまくアプローチをしていく努力を今後さらに多くの政治家がやり始めるだろう。
都知事選の街頭演説に集まった聴衆にハイタッチで応える石丸伸二氏(佐藤裕介撮影)

都知事選の街頭演説に集まった聴衆にハイタッチで応える石丸伸二氏(佐藤裕介撮影)

◆ナポレオンを目指していた石丸氏「私の辞書に…」

Q 政治家石丸伸二の強みと課題は何だと考えるか。
A いい面で言えば、信念がぶれないこと。彼は自分の目指しているのはフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトで、「ナポレオンは34歳で皇帝になった」「私は41歳で都知事(を目指す)。遅すぎるくらいだ」と平気で言ってしまう。「何をナポレオンと比較してるんだ」と思うけど、「私の辞書に『諦める』という言葉はありません」と最後の最後まで言っていた。彼の底流には「今のままでは日本は大変なことになってしまう」「今頑張らなければいけない」という強烈な切迫感がある。銀行員として海外を見てきて、政治がしっかりしないとこんなにも国民が苦労するんだということを実感した経験がある。だから、この国をどうするかっていうことを真正面から思い続けているんだろう。

 課題としては、あまり他人が目に入りにくいという傾向があるのかも知れない。政治家は、いろいろな人生を生きる人たち一人一人と向き合わなければいけない。忍耐力のいる作業になる。もう少し「人を包摂する」というか、包み込むような、そういう人になっていかないといけないんじゃないか。