731部隊 旧満州(現中国東北部)ハルビンの郊外に拠点を置いた旧陸軍の部隊で、正式名称は関東軍防疫給水部。細菌兵器の開発を担っていた。元隊員の証言などによると、中国人らに人体実験を繰り返し、被験者はマルタ(丸太)と呼ばれ、約3000人が犠牲になったとされる。旧陸軍軍医学校には731部隊の日本での研究拠点もあった。
◆100体分以上、建設工事中に発見され
同会は、
厚労省の報告書の基となった元軍医学校関係者約300人への聞き取りや郵送調査の回答票などの開示を同省に請求し、昨夏から今春にかけて開示された。
同会は
20日、区内で集会を開催。「戦場に遺棄されている多数の中国兵戦死体から主として、頭部戦傷例を選別し旧軍医学校に持ち帰り標本としたものだと聞いた」や、「(
731部隊があった)
ハルビンよりドラム缶のホルマリン漬けの生首が届けられ、使役で取り出しに参加した。おう吐(と)した」などの証言があったと報告した。
◆市民団体「身元解明のため、第三者委員会の設置を」
開示結果を検証した川村一之代表(72)は、死体の一部はドラム缶と木箱に詰められ、
731部隊から軍医学校に運ばれたことが読み取れると指摘。
終戦と同時に埋められたとし、「
厚労省の報告書には不備があった。人骨の身元解明のため、第
三者委員会の設置を求める」と訴えた。
元
731部隊少年隊の清水英男さん(94)も長野県の自宅からオンラインで参加し、「(部隊本部には)切断された頭部もあった」などと証言。「二度と戦争が起きないことを祈り続ける」と語った。
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された――
その数は100体を超えたが、警察は発見された人骨が古いものであったことから「事件性はない」と発表。国は速やかな焼骨・埋葬を計画した。発見場所は国立感染症研究所の敷地内であったが、ここは太平洋戦争中731部隊を率いた石井四郎が在籍していた陸軍軍医学校跡地であったため近隣住民及び研究者は戦争犯罪に関係があるのではないかと指摘し、新宿区は焼骨差し止めを求めたうえで専門家に調査を依頼した。
鑑定を引き受ける専門家探しは難航したが、最終的に人類学者・佐倉朔博士による鑑定(佐倉鑑定)によって、発見された人骨には銃創痕や実験的な手術の痕などがあることが明らかにされたのだった。
軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会 結成
では、この人たちはなぜこのような姿にされ、いつ、だれが、どのようにしてここへ運ばれ埋められたのか。謎は尽きない。
私たちは一人でも多くの方々とこの人骨問題を共有し、究明すべく軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会を発足。他の市民団体と連携しながら解明の道を求めつつ、年数回新宿戸山・陸軍軍医学校跡地を中心にかつての軍用地を巡るフィールドワークと、人骨が発見された毎年7月に講演会や発見から第二回発掘調査までの経緯や究明する会の活動をまとめたパネル展示等のイベントを開催しています。
旧日本軍で細菌戦などの研究を行っていたとされている部隊については、終戦時に軍によって関連文書が処分され、詳しい実態は明らかになっていません。
明治学院大学国際平和研究所の松野誠也研究員が、国立公文書館で保管されていた旧日本軍の名簿を調べたところ、所属した軍医将校の記録が残されていることが分かったということです。
名簿は太平洋戦争末期にまとめられ、旧厚生省などが戦後処理のために使用したとみられるもので、戦時中の経歴のほか、復員した時期など1950年代までの記録が記載されています。
中には石井四郎部隊長をはじめとする「731部隊」のおよそ50人のほか、中国やシンガポールで活動したとされる4つの部隊のおよそ60人の記録が含まれています。
このうち、南京にあった「1644部隊」に所属していた軍医将校の人事記録が確認されたのは、初めてだとみられるということです。
松野研究員は「旧日本軍による細菌戦研究の全体像を洗い出すための基礎資料として非常に意義がある。名前が明らかになった隊員を調べることで、関わったすべての人を把握する有力な根拠にもなるので、丁寧に分析する必要がある」と話していました。
識者「軍医たちの戦後のポジション 追跡するうえで重要な資料」
今回の資料について、731部隊を長年研究している慶應義塾大学の松村高夫名誉教授は、「731部隊のほかに細菌戦研究に関わったとされる部隊について、どういうメンバーで構成されていたのか分かっていなかった部分も多かったが、今回の名簿でかなりクリアになってきた。これまで名前が表に出ずに責任を問われることのなかった軍医たちが、戦後、医学界でどのようなポジションを得ていたのかを追跡するうえで、重要な資料の発見だと思う」と話していました。
また、731部隊に所属した一部の軍医将校の経歴に、進軍する日本の兵士たちの感染症の予防や飲み水の確保にあたる部隊に所属していたことが記録されていることに注目し、「731部隊は細菌戦研究ばかりが注目されるが、もうひとつの目的として、細菌戦研究とともに、感染症や水が原因で亡くなっていく兵士を守ることがあったことを示す資料としても、大きな意味がある」と指摘しました。