夏目漱石、永井荷風、小泉八雲……。多くの文人が眠る東京都豊島区の都立雑司ケ谷霊園から、ある文豪の墓がひっそりと姿を消した。
明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家、泉鏡花。管理してきた親族が今後も継承し続けるのは困難と判断し、墓石は撤去された。しかし、新たな安住の地が見つかった。
案内板に修正テープ
5月中旬、雑司ケ谷霊園を訪れると、著名人の墓の位置を示す案内板に、白い修正テープが貼られていた。よく目をこらしてみると、テープの下には「泉鏡花」の文字が透けて見えた。
鏡花は1873年に金沢市で生まれ、17歳で上京。小説家の尾崎紅葉に入門し、小説のほか戯曲も手がけ、300あまりの作品を残した。
高野山の旅僧が体験した不思議な物語を描いた代表作「高野聖(こうやひじり)」をはじめ、近代日本の幻想文学の先駆者として知られる。1939年に亡くなり、雑司ケ谷霊園に埋葬された。
80年以上続いた墓に何があったのか。
近くの生花店の店員に聞くと、昨年冬に墓石がなくなったという。墓のあった場所に行ってみると、赤茶色の土が露出した1区画の空き地があった。掘り返されてから、そう日はたっていないように見えた。
避けたかった「合葬」
墓を管理していた愛知県在住の男性(74)に連絡を取った。
鏡花の墓は長らく、めいで作家の泉名月(なつき)が管理していたが、2008年に死去。男性は名月のいとこにあたり、墓を継承したという。
男性は鏡花と血縁関係にはないが、「鏡花の名誉を守るためにも責任を感じて10年以上管理してきた。私自身が元気なうちはいいが、死んだ後も代々継承していくのは難しいと思った」と明かす。
都立霊園では墓の継承者がいなければ「無縁墓」として合葬される。「それは避けたいと思った。私の代でなんとかしようと思った」
そこで男性は、鏡花が書生時代を過ごし、妻すずが信徒だった東京・神楽坂の圓福寺(えんぷくじ)に相談。男性の死後は鏡花の墓の管理一切を寺が担う「永代供養」にする約束で墓石を移すことにした。
雑司ケ谷霊園の墓石は昨年11月末に撤去され、翌12月に圓福寺が敷地を拡張して作った墓地の一角に移転。今年3月に法要が行われた。
通常の永代供養は、一定期間が過ぎると合葬されることが多いが、ファンの多い文豪であることから、将来的にも合葬せずお墓はそのまま残すという。
前住職の長亮正さん(81)は「(鏡花が)書生時代を過ごしたゆかりのある場所に戻ってきて喜んでいるんじゃないかと思う」。墓を管理してきた男性も「ほっとしている」と語った。
消える有名人の墓
都内では、歴史的著名人の「墓じまい」が続いている。雑司ケ谷霊園では、明治・大正時代の劇作家、島村抱月の墓が22年12月に撤去された。
都立青山霊園(港区)では江戸末期の幕臣、大鳥圭介の墓石が無くなった。詩集「海潮音」で知られる詩人、上田敏の墓石も都立谷中霊園(台東区)にあったが、撤去されている。
雑司ケ谷霊園のある豊島区では、観光用に著名人の墓を載せたマップを作って案内所などで配布していたが、墓石撤去を踏まえた修正版を7月中に区のホームページで公表する予定だ。
文化観光課の担当者は「墓じまいが今後も出ることを想定し、修正しやすいように紙でなく、電子データで更新することにした」と話す。案内所などにはマップにアクセスできるQRコードを掲示し、利用者にスマートフォンなどで読み取ってもらうという。【岡田英】