悲惨な職場と指摘されて志望者も激減<霞が関の中央官庁>。なぜ抜本的な対策が打たれないかというと…元キャリア「その理由は人口減少や少子高齢化と同じ」(2024年7月8日『婦人公論.jp』)

キャプチャ
(写真提供:PhotoAC)
2023年春の国家公務員採用総合職試験で、減少傾向にあった東大生の合格者がついに200人を割り、話題になりました(数字は人事院発表)。一方、元労働省キャリアで公務員制度改革に関わってきた行政学者・中野雅至さんは「90年代以降の行政改革の結果、官僚は政治を動かすスーパーエリートと、下請け仕事にあくせくするロボットに二極化。その結果が東大生の”官僚離れ”を招いた」と主張します。今回その中野さんの新刊『没落官僚-国家公務員志願者がゼロになる日』より一部を紹介。”嵐”の改革30年間を経た官僚の現状に迫ります。
キャプチャ2
【書影】<下請け化したエリート官僚>の未来に待つものとは…『没落官僚』
* * * * * * *
◆悲惨な職場と指摘されて久しい「霞が関の中央官庁」
「ブラック霞が関」「人生の墓場」など、霞が関の中央官庁は悲惨な職場であると指摘されて久しい。かつてエリートの代表だったキャリア官僚の志願者が激減していることも同様だ。東大生の志望者が年々減少しており、このままではいつかゼロになるのではないかという危惧さえある。
不可思議なのはここからだ。
なぜ、ここまで悲惨な状況に陥っているにもかかわらず、抜本的な対策が打たれないのだろうか?
人口減少や少子高齢化と同じ理由だ。キャリア官僚の志願者が少なくなり、霞が関で働く官僚のモチベーションが低下したとしても、短期的には、国民には目立った痛みがないからだ。
その一方で、人口減少に関連づけて言えば、痛みを実感した時にはすでに手遅れで何ともしようがない。
おそらく、これから10年もすれば、今以上に介護難民が激増するだろうし、運転手不足でタクシーやバスがなくなる中、都心部から離れて暮らす多くの高齢者が買い物難民になる可能性が高い。その時になって、介護保険料を少しくらいなら上げてもよいと言ったところで、すべては後の祭りだ。
それでは改めて、霞が関や官僚の機能不全とはどういう要素で成り立っていて、国民はどういう形でその影響を実感するのだろうか?
◆国民はどういう形でその影響を実感するか
霞が関の機能不全を導くのは、大まかに次の四つの要素だ。
まず、現職官僚のモチベーションがガタ落ちであること。かつてのような世間からの敬意もなければ、出世スピードもエリートと称するにはほど遠く本省課長にさえ栄達できない。
その一方で、仕事が激増するばかり。部下は増えない。酷使されるだけの存在に成り果てた官僚には働くモチベーションがない。それは何より若手官僚の離職率の高さに表れている。
二つ目は、労働条件が過酷すぎて、優秀な頭脳を生かし切れていないことだ。官僚の最も重要な役割は政策の企画立案だが、相変わらず、国会答弁の作成や調整業務に追われていて、知的業務に割く時間がない。
その一方で、官僚の能力が劣化している可能性も捨てきれない。
まず、DX(デジタルトランスフォーメーション)だ。デジタル庁の職員の多くが民間からの出向であることからわかるように、霞が関の生え抜き官僚にはDXを進める能力はない。東京五輪やコロナ禍で行われた事業では電通などの民間企業に多くの業務が委託されただけでなく、そこでさまざまな不祥事が発覚したが、これも霞が関が自ら巨大イベントを仕切りきれないことを露わにしている。
歪んだ官邸主導の弊害が三つ目だ。
官邸主導自体は求められることだが、安倍政権で問題となったように、首相の取り巻きである官邸官僚からインフォーマルに指示が出るなど混乱も多かった。何より人事権を握られた官僚は萎縮した挙げ句に、やる気を失っていった。
最後は、優秀な若手官僚が入ってこないことだ。東大生が減少するから官僚の質が下がるというのは短絡的であるとは思うが、志願者数が減少すると人材の質が低下するのは事実でもあるだろう。
◆国民生活への影響
それでは霞が関が機能不全に陥った時、国民生活にどういう影響が及ぶのだろうか。
おそらく、多くの国民は政治がカネの問題で空転に空転を重ねても日本という国が動いているように、官僚がモチベーションをなくして、すり切れた状態になったところで、大きな影響など及ぶものかと高をくくっている。
1990年代半ばくらいまでなら、政治や官僚がどれだけ機能不全に陥っていても、経済が自動的に成長していて国民生活には何ら影響がなかったが、今の時代は果たしてそれですむだろうか? ここでは三つの事例をあげてみる。
まず、官僚が疲れ果て誤字脱字などの些細なミスを連発する、そんな事例からいこう。
たかが誤字脱字じゃないかというが、国民に義務を課す法案のミスなら国民生活に大きな影響が及ぶ。
例えば、鳥インフルエンザが近い将来猛威をふるったとしよう。強毒性で言えばコロナの比ではないことを考えると、マスク着用を「義務化」すべきだという結論になったものの、仕事で疲れ果てていた現場の官僚が「努力義務化」と間違って法案に書き込んだ挙げ句、愚鈍な国会議員がチェックしないままに、この法案が成立するとどうなるのか?
「義務」と「努力義務」ではたった二文字の違いだが、中身は雲泥の違い。そこらじゅうでマスクをしない人間が続出で、あっという間に感染症が広がっていくが、法案を修正するためには次の国会を待たねばならない……。
◆その影響は計り知れず
次に予算はどうだろうか。
マスコミではしばしば政権与党の不祥事を追及する野党が予算案を人質にして、国会審議を妨害しているように報道される。多くの国民は政治空白や不安定は困るとは思いながらも、実際に、予算案が成立しなくても、自分の生活には何の影響もないと思っているが、そう言い切れるだろうか。
今現在のガソリンや電気の補助金がなくなると、生活は大きく変わることになる。自力がなくなってくると政府のお金への依存度が高まるのは必然だ。年金制度など典型かもしれない。近い将来、政府は必ず支給開始年齢を引き上げようとするが、この影響は計り知れない。
予算と法案の機能不全の源となるのが国会の空転だ。
与野党の対立に加えて、やる気のない”ロボット官僚”が増える一方で、政治家志望で権力志向の官邸官僚が霞が関に蔓延るようになれば、あちらこちらで政敵のリークや機密漏洩が起こって、国会は権力闘争の場となり果ててしまう。
中国の王朝末期のような混沌とした状況に陥った時に、台湾有事や尖閣有事が起きたとしたら、一体どうなってしまうのだろうか……。
◆誰が実務を担うのか?
最後に、官僚が激減して事務能力、交渉能力、調整能力が地に落ちた場合、誰が実務を担うのだろうか? その答えは、国会議員と言わざるをえない。
実際、民主党政権の時には国会議員が自らすべての仕事をこなそうとした。その結果、何が起きたかはご承知の通り、混乱を極めた。世の中で自分が一番エラいと思っていて、他人と和して自分を殺すことが苦手な人間が仕事を進めるとどうなるのだろうか?
最悪なのは、霞が関が崩壊するのを食い止めるべき国会議員にその自覚がまったくないことだ。受験秀才の官僚は言われたことを素直に聞く羊だと思っている。
自分たちにはパワハラが適用されないこともあって、恫喝すれば言いなりになると思っており、官僚が激減する未来に対する危機意識はゼロに近い。
国会議員だけではない。究極的には国民こそが官僚の主人ということを考えると、国民にもそんな自覚があるとは思えない。
岸田内閣になってからしきりと「人的資本」という言葉が叫ばれるようになった。富を生み出すのは優秀な人材であることから、人的資本こそが経済の鍵を握るという理屈だが、翻って、日本全体にそんな意識が根付いているだろうか。著者は疑問に感じてならない。
中野雅至

没落官僚-国家公務員志願者がゼロになる日 (中公新書ラクレ 818) ペーパーバック新書 – 2024年7月8日
中野 雅至(著)
 
「ブラック霞が関」といった新語が象徴するように、片や政治を動かすスーパーエリート、片や「下請け」仕事にあくせくする「ロボット官僚」という二極化が進む。地道にマジメに働く「ふつうの官僚」が落ち込んでいるのだ。90年代以降、行政制度に応じて改革され、政治主導が推進されてきたが、成功したと言えるのか? 著者は元労働省キャリアで、公務員制度改革に関わるきた行政学者。実体験をおりまぜながら、「政官関係天下り」等の論点から「嵐」の改革30年間を総括する。
第一章 が関を焦土に変えた行政改革
第二章 危機対応できない警察国家
第三章天下りが先細る先にある「政商」問題
第四章 内閣人事局と官邸官僚が関を破壊した
第五章政治家の下請けになったとぼやくエリート官僚
第六章 若手や女性の前途を阻む、哀しき「拘牢省」
終章 問われない、政治家の能力