『虎に翼』伊藤沙莉に訪れた“親離れ”の瞬間 “もう1人の父”穂高が寅子に与えた影響(2024年7月5日『リアルサウンド』)

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『虎に翼』写真提供=NHK
「たとえ2人でも、判決が覆らなくても、おかしいと声を上げた人の声は決して消えない。その声が、いつか誰かの力になる日がきっと来る」
 
 NHK連続テレビ小説『虎に翼』第67話では、自分や配偶者の親、祖父母などの直系尊属を殺害した場合、通常より重い刑罰を科す「尊属殺人罪」(※1995年に廃止された)が取り上げられた。これを憲法14条に定める法の下の平等の原則に違反するとして、反対意見を訴えたのは最高裁判事15人中2人だけ。それでも意味があるとする寅子(伊藤沙莉)の台詞は、今週末に行われる東京都知事選挙に向けた力強いメッセージとなった。
 どこまで制作側が意図したものかは分からないが、不思議なことに優れた作品ほど物語の展開と現実が恐ろしいほどリンクする時がある。ちなみに反対意見を訴えた2人のうち、1人は穂高小林薫)だった。穂高と共通点の多い実在の法学者・穂積重遠は、新一万円札の肖像となった渋沢栄一の孫。これまたタイムリーだ。穂高を演じる小林薫渋沢栄一と縁があり、NHK大河ドラマ『青天を衝け』では自分とは違う道を行く栄一(吉沢亮)を厳しくも暖かく見守る愛情深い父・市郎右衛門を好演した。
 2011年度後期の朝ドラ『カーネーション』でも、ヒロイン・糸子(尾野真千子)の父である善作を演じた小林。善作は家父長制を象徴とする父親で、糸子は彼を乗り越えることで洋裁師としての道を切り開いていった。対して、寅子の父・直言(岡部たかし)は善作のように家で横暴に振舞ったり、娘の夢を邪魔したりしない。もちろん、完璧な人間ではなく、最後まで見栄を張りきれない愛すべき弱さもあったが、少なからず寅子の壁ではなかった。代わりに寅子が乗り越えるべき存在として描かれているのが、穂高である。ただ興味深いのが、彼が同時に寅子の恩師でもあるという点だ。
 女性がまだ弁護士資格を得られない時代にありながら、明律大学女子部法科の立ち上げに力を注ぎ、寅子をはじめ、多くの女性たちを法律の道に導いた穂高。法廷に正解はなく、法律も使い方次第であると教えてくれたのも穂高で、贈収賄容疑をかけられた直言の弁護を引き受け、その実例を見せてくれたのも穂高だ。いわば、寅子にとって穂高は、法律を扱うものとして大事なことを全て教えてくれた“父”。穂高がいなければ、今の寅子はない。それは疑いようもない事実である。
 そんな穂高座右の銘は、点滴穿石(雨垂れ石を穿つ)。雨垂れのような小さな滴でも、同じ場所に落ち続ければやがて石にも穴があくように、僅かな力でも諦めずに続けていけば、やがて実を結ぶという意味で、女子部存続の危機に立ち向かう寅子たちを表すものとして使った時は希望の言葉に感じた。一方で、穂高は身重の体で激務をこなそうとする寅子に今は子を産み、良き母になることを優先するように諭し、「雨垂れ石を穿つだよ」「君の犠牲は決して無駄にはならない」と言った。同じ言葉なのにこんなにも印象が変わるのかと、当時は驚いたものだ。
 圧倒的な男性社会だった法曹の世界に女性法曹家を誕生させようとした穂高。それは早すぎる挑戦であり、修羅の道であることは分かりきっていた。分かっていて、寅子たちを扇動し、その道に引きずり込んだのは穂高である。にもかかわらず、突然梯子を外し、寅子たちを自分の理想に巻き込まれた被害者にしてしまう。その無責任さに寅子は辟易したのだろう。だが、本人はなぜ寅子が怒ったのかを理解できていない。そして理解できないことも含め、自分の無力さを痛感したのか、当初はあった快活さが見る見るうちに失われていくさまが印象的だった。
親子喧嘩のような寅子(伊藤沙莉)と穂高小林薫)の言い争い
 それでも星長官(平田満)に「出涸らしだからこそできる役目がある」と言われ、最後の一滴を落とす意味で尊属殺人罪に反対意見を示したのだろう。寅子も複雑な感情はあれど、嬉しかったはず。それなのに、最高裁判事退官記念の祝賀会で穂高は「出涸らしも何も、昔から私は自分の役目なんぞ果たしていなかった」「大岩に落ちた雨垂れの一雫に過ぎなかった」と自己否定の弁を述べた。繰り返し述べるが、寅子にとって穂高は法曹家としての自分を生んだ父である。その父が自分を否定することは、寅子の存在も努力も、志半ばで諦めざるを得なかった仲間たちの無念も全て否定することに等しい。それにはとても看過できなかった寅子は、穂高に怒りをぶつけた。その時の寅子はまるで「勝手に産んだくせに」と父親に反抗する娘に見えたし、穂高もそれにショックを受ける父親に見えた。病身には少々酷な展開ではあるが、これはおそらく寅子にとって大事なターニングポイントとなるだろう。
 「じゃあ、私はどうすればいい!」という穂高の疑問に答えはない。寅子たちの生きづらさは社会のせいであって、穂高のせいではないし、社会を変えるために穂高はできる限りのことをやった。それなのに寅子が穂高に全責任を押し付けてしまうのは一種の甘えも混じっている。今、寅子は親離れの過程なのだ。父の手を離れて自分の選択に責任を持つ一人の大人として立ち、穂高から受け継いだスピリットで新しい時代を切り拓いていく必要がある。ヒーローでもヴィランでもない。一方的に教えを授ける完璧な師でもない。吉田恵里香の緻密な人物描写と小林薫の深みある名演が調和しながら、穂高を時代の狭間で寅子とともに揺れ動く生身の人間として立ち上がらせた。願わくば、最後にはこの“親子”が仲直りできますように。そして穂高が自分の落とした滴に意味はあったと思えることを祈っている。
 
苫とり子