「セクシー田中さん」問題 原作軽視の体質改める時(2024年6月12日『毎日新聞』-「社説」)

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「セクシー田中さん」を放送した日本テレビの社屋=2023年4月24日、屋代尚則撮影
 原作者の権利が軽視されがちな業界の旧弊を改めるべきだ。
 漫画「セクシー田中さん」のドラマ化を巡るトラブルがネット交流サービス(SNS)で表面化し、原作者の芦原妃名子(ひなこ)さんが亡くなった問題だ。ドラマを制作した日本テレビと、原作出版元の小学館が、社内調査の報告書をそれぞれ公表した。
 原作者とドラマ制作側との間であつれきが生じた結果、脚本家が降板し、最後の2話分は原作者が執筆した。そうした経緯が詳細に記述されている。
 浮き彫りになったのが、原作の内容をどこまで尊重すべきかを巡る認識の相違だ。
 芦原さんは漫画に忠実な内容とすることをドラマ化の条件に挙げていた。原作が完結していないため、終盤は自身があらすじやセリフを用意することも求めていた。
 だが、日テレ側は「条件」とは受け止めておらず、脚本家にも伝えていなかった。このため、当初の脚本案は原作から大きく改変された内容となった。細かい修正指示のやりとりが続き、芦原さんは不信を募らせたとみられる。
 視聴率の取れるドラマ作りを優先する日テレ側と、作品の世界観を守りたい原作者側との間で、十分なコミュニケーションが取れていなかったのは明らかだ。
 ドラマ化にあたっての改変は珍しくない。一方、原作者には意に反して作品を改変されない「同一性保持権」がある。
 芦原さんは「作品の根底に流れる大切なテーマ」から逸脱するような改変を問題視していた。日テレ側が原作者の権利について、どこまで理解していたのか疑問だ。
 背景には、放送前に契約書を交わさず、口頭合意で済ませがちな業界の慣行もある。ドラマ化の条件をあいまいにせず、書面で明確にすることが肝要だ。
 制作期間の短さの問題も双方が指摘する。ドラマ化の打診から初回放送まで約半年しかなかった。脚本の内容などをすりあわせる余裕がなかったのではないか。
 ドラマはネット配信で人気が高いため、制作本数が増える傾向にある。原作者や脚本家の権利を守ると同時に、視聴者が楽しめる作品を丁寧に作る。そのための環境を整えなければならない。
 

「浅ましい嫉妬」改変・修正無視の日テレ『セクシー田中さん』根源は“エゴ”の闇(2024年6月11日『週刊女性PRIME』)
 
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日本テレビ系でドラマ化された『セクシー田中さん』(ドラマ『セクシー田中さん』公式HPより)
「『報告書』に対して“報・連・相がなってない”とか“契約がおかしい”などと言われています。本当にそのとおりなのですが、根本的な原因は、“人”の問題、嫉妬やマウント。そういった人間の浅ましいところにあるかと」
【写真】「意図が見えない」報告書で露呈した日テレの対応への決定的な“疑問点”
 そう話すのは、フリーで活動するベテラン脚本家兼漫画原作者。“報告書”とは、日本テレビ、そして小学館がこのたび公表したもの。小学館より原作漫画が出版され、それを日本テレビがドラマ化した『セクシー田中さん』についてだ。
 原作漫画の作者は芦原妃名子さん。ドラマの脚本をめぐって小学館と芦原さんサイド、日テレと脚本家サイドの間でトラブルが発生。芦原さんはXやブログで経緯を説明。その後、一連の投稿を削除、謝罪の旨を投稿した翌日、死亡しているのが発見された。
「アレンジは必ず発生する」
「芦原さんは自身の作品に当然こだわりはありますが、“漫画とドラマは別物”ということを理解し、改変などは相談してくださいという姿勢を最初から示していたことが小学館側の報告書から明らか。
 しかしながら、日テレ側のドラマ制作陣は相談なく改変する、その箇所に修正依頼が入っても応じないなどの対応を続け、両者の亀裂がどんどん大きくなっていった」(脚本家兼漫画原作者、以下同)
 ドラマと漫画は別物。確かにそうだろう。報告書にはそれについての文言が繰り返されている。
《尺、撮影、実写化するにあたり必要なこと、スポンサーの意向、1話ごとの盛り上げ等のため脚本でアレンジは必ず発生する》(日テレ側)
改変の根元にある“エゴ”
「芦原さんや小学館側もそれを理解し、歩み寄っています。相手を慮ったゆえの“妥協”といえるほど」
 一方、日テレ側の対応は、
「できないことへの言い訳、もしくはエゴにしか読めなかった。実写化のために“無理”というなら、それをすべて具体的に説明できるのか。《飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画の100M以内との吹き出しの記載を200M以内に変更》と変える意図をきちんと説明できるのか」
 それなのになぜ変える?
「今回の件に限りませんが、原作を変えることでマウントを取りたい、オリジナルを作った原作者への嫉妬、変えることで自我を出すエゴ……脚本家や担当プロデューサーなどによる改変の根源はこのようなところにあることが多いと思います」
 日テレは制作にあたって真摯に取り組んできたと主張。
「《キャラクターについて制作サイドで3日間かけて議論したこともあった》と、わざわざ注釈で書いてあって。複数の人数でダラダラ時間をかけたことが努力だと思っているのもいかがなものか。責任の所在がハッキリしないものが多い」
 日テレ側は本件について《多くの人気ドラマを手掛けドラマ界を牽引してきた在京各社元ドラマプロデューサー5名》にヒアリング。以下の意見を得たと発表している。
「これで怖がっちゃいけない。安全にドラマを作る方法なんてない」
 ドラマの世界が健全化されるのはいつの日か─。