「選挙の自由」妨害 悪質行為の摘発は当然だ(2024年5月16日『産経新聞』-「主張」)

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政治団体「つばさの党」の事務所を家宅捜索し段ボール箱を運び出す捜査関係者
 
 憲法21条は言論や表現の自由を保障している。この前段となる12条では憲法が保障する「自由及び権利」は、「国民は、これを濫用(らんよう)してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と規定している。
 憲法は「自由」を無制限に保障しているのではなく、その濫用を明確に戒めている。
 4月の衆院東京15区補欠選挙で対立陣営の街頭演説を妨害したなどとして、警視庁は公選法違反(選挙の自由妨害)容疑で政治団体「つばさの党」の関係先を家宅捜索した。
 同党は警視庁の強制捜査に対して「表現の自由の中で適法にやっている」「心外だ」などと主張し、今後も同様の政治活動を続けると述べている。これこそ「公共の福祉」とは相いれない「自由の濫用」であろう。
 同党は他候補の演説中に大音量で罵声を浴びせ、クラクションを鳴らすなどの妨害を繰り返し、選挙カーを執拗(しつよう)に追い回すなどの危険行為もあった。極めて悪質である。
 「選挙の自由」は対立陣営にもあり、これは明らかに侵害された。異常な環境下で候補者の演説を聞くことができなかった有権者もまた、直接の被害者である。国民の常識や良識に照らして悪質な行為が、合憲や適法であるはずがない。警視庁の捜査は妥当である。
 類似した事案に、令和元年の参院選安倍晋三首相(当時)の街頭演説中にやじを飛ばした男女を北海道警が排除し、2人が道に損害賠償を求めた訴訟で札幌地裁が排除の違法性を認めた判決がある。
 多くのメディアが北海道警を非難したが、札幌高裁は男性について、警告を無視して大声での連呼をやめず、演説車両に向かって突然走り出すなどの行為があり警察官の判断は「客観的合理性を有する」と認定し、賠償命令を取り消した。
 「つばさの党」への強制捜査には「言論の萎縮を招く」といった懸念の声もある。だが、選挙妨害の数々が、守るべき言論や選挙の自由の名に値するか。しないだろう。
 憲法12条はまた、「国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」ともうたっている。「自由」のはき違えを許してはならない。
 
民主主義を脅かし、「つばさの党」に捜査の手(2024年5月16日『産経新聞』-「産経抄」)
 
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政治団体「つばさの党」の根本良輔幹事長(左)と黒川敦彦代表=4月27日、東京都墨田区(奥原慎平撮影)
 
民主主義を脅かし、「つばさの党」に捜査の手(2024年5月16日『産経新聞』-「産経抄」)
 
 海軍増強の是非を議論した大正9年の衆院本会議に、いまも語り草の一幕がある。時勢に照らして「艦隊の充実」を説いたのは蔵相、高橋是清だった。「陸海軍とも難儀を忍んで長期の計画といたし、陸軍10年、海軍8年の…」
 
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▼言葉を継ごうとしたそのとき、「ダルマは9年」と野党の席から声が飛んできた。9年の座禅で悟りを開いた達磨大師。いかめしくも愛嬌(あいきょう)のある風貌から「ダルマ」とあだ名された高橋。双方に掛けた即妙のやじだった。声の主は、後に「やじ将軍」と呼ばれる三木武吉である。
 
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▼議場は爆笑に包まれたと聞く。機知に富み、いたずらに人を辱めるわけでもない。「議場の華」といわれるやじの、会心の一打だろう。当時の三木は30代半ば、やりとりの老熟ぶりが際立つ。それに引きかえ、現代の政治模様の幼さはどうだろう。
▼先日の衆院東京15区補選で他陣営の選挙運動を妨げたとして、政治団体「つばさの党」本部などが警視庁の家宅捜索を受けた。投稿動画を見ると、よその選挙カーを追い回し、拡声器で声を張り上げては街頭演説を遮るなど実に酷(ひど)いやり口だった。
▼陣営は「表現の自由」と称し、自らを正当化しているという。憲法公職選挙法も侮られたものである。各候補者の主張に耳を傾けたい有権者の権利は、思慮の外ということだろう。おのが正義を軸に世界が回っている―と勘違いした人々に、やじ将軍の挿話は説くだけ無駄か。
▼「かしましくものいふ」「人のものいひきらぬ中ニものいふ」は良寛が嫌った言動の所作である。思えば亡き安倍晋三元首相も、度を越したやじに幾度となく街頭演説を妨げられてきた。民主主義の足元を脅かす挑発の危うさを、われわれは看過してはならない。