憲法21条は言論や表現の自由を保障している。この前段となる12条では憲法が保障する「自由及び権利」は、「国民は、これを濫用(らんよう)してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と規定している。
憲法は「自由」を無制限に保障しているのではなく、その濫用を明確に戒めている。
「選挙の自由」は対立陣営にもあり、これは明らかに侵害された。異常な環境下で候補者の演説を聞くことができなかった有権者もまた、直接の被害者である。国民の常識や良識に照らして悪質な行為が、合憲や適法であるはずがない。警視庁の捜査は妥当である。
多くのメディアが北海道警を非難したが、札幌高裁は男性について、警告を無視して大声での連呼をやめず、演説車両に向かって突然走り出すなどの行為があり警察官の判断は「客観的合理性を有する」と認定し、賠償命令を取り消した。
「つばさの党」への強制捜査には「言論の萎縮を招く」といった懸念の声もある。だが、選挙妨害の数々が、守るべき言論や選挙の自由の名に値するか。しないだろう。
憲法12条はまた、「国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」ともうたっている。「自由」のはき違えを許してはならない。
海軍増強の是非を議論した大正9年の衆院本会議に、いまも語り草の一幕がある。時勢に照らして「艦隊の充実」を説いたのは蔵相、高橋是清だった。「陸海軍とも難儀を忍んで長期の計画といたし、陸軍10年、海軍8年の…」
▼言葉を継ごうとしたそのとき、「ダルマは9年」と野党の席から声が飛んできた。9年の座禅で悟りを開いた達磨大師。いかめしくも愛嬌(あいきょう)のある風貌から「ダルマ」とあだ名された高橋。双方に掛けた即妙のやじだった。声の主は、後に「やじ将軍」と呼ばれる三木武吉である。
▼議場は爆笑に包まれたと聞く。機知に富み、いたずらに人を辱めるわけでもない。「議場の華」といわれるやじの、会心の一打だろう。当時の三木は30代半ば、やりとりの老熟ぶりが際立つ。それに引きかえ、現代の政治模様の幼さはどうだろう。
▼先日の衆院東京15区補選で他陣営の選挙運動を妨げたとして、政治団体「つばさの党」本部などが警視庁の家宅捜索を受けた。投稿動画を見ると、よその選挙カーを追い回し、拡声器で声を張り上げては街頭演説を遮るなど実に酷(ひど)いやり口だった。