母の日(2024年5月12日『産経新聞』-「産経抄」)

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 十数年も前になる。散歩に訪れた公園で、赤ん坊を抱いたまま顔中を涙にする母親を見かけた。そばには案じ顔の幼い男の子も。お兄ちゃんだろう。聞けば男の子を遊具で遊ばせるうちに、いすの上のバッグを置引されたという。
▼「お金は?」「取られました。それはいいんですけど、母子手帳は返してほしくて…」。おえつで、後は言葉にならない。母胎や胎児の健康状態。1カ月児健診から6歳児健診までの記録。受けた予防接種の数。母子手帳には多くの記入欄がある。
▼出産が近づくにつれて揺れ動く思いを、書き留める欄もある。母となる人、なった人がつづる、世に二つとない記録であり物語であろう。「子供の成長の証しまで盗まれた気がする」「なぜ置きっ放しにしてしまったのか」。母親は声を潤ませながら、自分の行いを悔やむのだ。
▼犯人にわずかでも人の心あらば、と願うしかなかった。亡き歌人河野裕子さんにこんな一首がある。<子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る>。公園の母親が母子手帳に記したのも、そんな日々ではなかったか。
▼きょうは「母の日」である。歌人と似たような経験を重ね、喜びや不安を母子手帳に書き留める人も多いのではないか。わが国では昨年、75万人を超える赤ちゃんが生まれた。少子化の傾向が長く続く中でも、これだけの数の母親が〝生まれ〟ている事実を大切にしたいものだ。
▼この時節になると、悲嘆の涙に暮れたあの母親を思い出す。母子手帳は手元に戻ってきただろうか。公園を訪れる度に姿を探したものの、会ったのはその一度きりだった。小さかった男の子も赤ん坊も、いまは母親が流した涙の意味を理解できる年頃だろう。
 
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