宮中恒例の新年行事「歌会始の儀」が、1月19日に皇居で開かれた。天皇皇后や皇族方が正装で松の間に並び、講師(こうじ)が古式ゆかしく歌を読み上げる。宮殿が荘厳な雰囲気に包まれる一方、天皇皇后の長女・愛子さま(22)のお姿はこの日、少し離れた学習院大学(豊島区)にあった。
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学業優先の愛子さまにとって、1月は“佳境”だった
「愛子さまが大学に来られる日はSPがたくさんキャンパス内にいるので、すぐに分かります。この日の愛子さまはベージュの上着に黒いバッグ。朝にいつも通りの様子で大学に来て、昼過ぎに帰っていかれました」(学習院関係者)
文学部日本語日本文学科4年生の愛子さま。昨年末には「中世の和歌」がテーマの卒業論文を提出されたこともあり、歌会始への出席も期待されたが、昨年に引き続き学業を理由にご欠席。実は学業優先の愛子さまにとって、1月は“佳境”なのだという。
「歌会始の翌20日は、日本語日本文学科の卒業筆記試験の日。4科目計90分で、点数が卒論に加点される仕組みです。さらにその翌週には卒論の口述試験もあり、学部生は皆、必死に準備していました。もちろん愛子さまも筆記試験を受けられました」(同前)
和歌の歴史は皇族と共に続いてきた
〈幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ〉
「大学で和歌の研究をなさり、1300年も続いてきていることに驚きと畏敬の念を抱かれたのでしょう。『和歌のことば』という表現からは、古い言葉が今の言葉と同じように、愛子さまの心に直接響いていることが伝わります」
「ご自身の祖先が代々継承してきた和歌を、今は愛子さま自らが、その一員として詠まれるお立場にある。だからこそ和歌が『時代を乗り越える』ことへの深い感慨もおありでしょう。愛子さまはこれまで、ご学友など身近なことを詠んでこられましたが、今年はそこに長い歴史への思いが加わった。大人の歌になったと感じました」(同前)
「和歌は決して順調に継承されてきたものではなく、近代でも短歌を否定する議論が繰り返されました。だからこそ、歌の中で『難き時代を乗り越えて』きた和歌への関心と信頼を示されたのは、歌人である私にとってとても嬉しいこと。そこで懇談の場で愛子さまのお歌への共感をお伝えしたところ、両陛下が嬉しそうに頷いておられたのが印象的でした」
〈広島をはじめて訪(と)ひて平和への深き念(おも)ひを吾子(あこ)は綴れり〉
進路に滲む、愛子さまのご心境
「雅子さまは平和の大切さを詠まれると同時に、両陛下が大事にしておられるものを、ご自身のお子さまも一緒に大事にしてくれるようになった、その喜びを歌にされたのだと感じます。雅子さまからは『深き祈り』と『おもい』のどちらがよいかとご相談があった。『念』の漢字を当てるのは雅子さまのご提案でしたが、お気持ちの一層の深さが伝わる表現です」
ご両親が大切になさっているものを、自身もご一緒に大切に――。そんな愛子さまのご心境は、卒業後の進路からも滲む。1月22日、愛子さまが日本赤十字社に就職されることが発表されたのだ。愛子さまは宮内庁を通じ、こうコメントされた。
「日頃から関心を寄せている日赤の仕事に携われることをうれしく思うと同時に、身の引き締まる思いがいたします」
宮内庁担当記者が語る。
院試出願のギリギリまで…
「4月から有給の嘱託職員として勤務なさるそうです。皇族としての公務と両立できるよう、非常勤での勤務になる予定です。日赤では過去にも三笠宮家の瑶子さまが青少年・ボランティア課などの職員として勤務された実績がある。とはいえ愛子さまは天皇陛下と同様に大学院に進まれ、将来的には留学されると見られてきたため、今回の発表には驚きを受けた関係者も多かった」
日赤の名誉総裁には歴代の皇后が就任し、現在は雅子さまが務めておられる。愛子さまは昨年5月と7月に日赤の活動状況などについて天皇皇后と共にご説明をうけられ、同10月には関東大震災時の日赤の活動を伝える展示を見学された。
22年3月の成年会見で関心のあることについて問われた際にも、国内外の自然災害の増加に触れられ、
「(ボランティアの人々が)人の役に立とうと懸命に活動されている姿に非常に感銘を受けました。(略)私自身、災害ボランティアなどのボランティアにも関心を持っております」
「愛子さまの日本文学へのご関心はまことに強く、大学院という進路も視野に入れておられた。就職か進学か、大学院の入試の出願期限ギリギリまで悩み抜かれたようです。最終的にはご両親とも相談の上で、就職を決断されました。日赤の受け入れ準備が整うより前の情報漏洩を防ぐため、通勤ルートを事前に検討する必要がある警備当局にも一切伝えられない、内々での“極秘の決断”でした」