39歳で「若年性アルツハイマー型認知症」に…トップセールスマンを襲った苦悩 仕事は?家族は? “認知症と生きていく” ある男性の思い(2024年5月5日『BSS山陰放送』)

キャプチャ
人生100年時代と言われる今、認知症患者の数は年々増加し、中には若くして認知症と診断される人も少なくありません。
もし、自分や大切な人が認知症になってしまったら…
若年性認知症と向き合う一人の男性を取材しました。
「38歳のときに、同僚の名前とかを忘れてしまって、声をかけられなくなってしまいました。」
そう話すのは、宮城県在住の丹野智文さん、49歳。
一見、普通の健康な男性に見えますが、丹野さんは今からおよそ10年前に若年性アルツハイマー認知症と診断されています。
2023年公開の「オレンジ・ランプ」という映画――若年性アルツハイマー認知症と診断された夫とその妻の9年間の軌跡を描く、実話をもとにした作品があります。
実は、丹野さんはこの映画のモデルとなった人物でもあるのです。
4月6日、認知症について知ってもらおうと島根県出雲市でイベントが行われました。映画「オレンジ・ランプ」の上映とともに、丹野さんは壇上に立ち、自らの経験を語ります。
丹野智文さん
「診断される5年前、33歳ぐらいから、徐々に人よりも物覚えが悪いなとは感じておりました。
でも、認知症だなんて思ったことがなくて、ストレスかな?と思って、病院に行ってみました。」
仙台市の自動車販売会社でトップセールスマンとして活躍していた丹野さん。
認知症と診断された時、まだ39歳という若さでした。
丹野智文さん
「付箋に予定を書いて、パソコンの前に貼ってたんだけど、それが人よりも多くなってきて。ノートに書きながら仕事をしてたんですよね。
でも、まだ30代だったので、まさか病気だとは思っていませんでした。
ちょっと疲れてるだけかなとか、人よりも仕事量が多いだけかなって思ってました。」
65歳以下で発症する認知症は「若年性認知症と呼ばれており、患者数は国内でおよそ3.5万人。
その症状や進行の程度は人によって違いがあるといいます。
丹野さんの場合は…
丹野智文さん
「私は、会社に行ってまず自分の席がどこだかわからなくなるときがあります。パソコンで入力するのも、やっぱり文字が書けないときがあって。パソコンで文字をおっきくして書く時もあったんだけど、もう合ってるかどうかわからないんです。
仕事ではお客さんを後輩に渡しなさいって言われて…
車の営業をしていたんですけど、お客さん渡すっていうことは『もう営業には戻れないんだな』と…もう人生終わったなと思いました。」
少しずつ支障が出る、日常生活。
その中で、家族や周囲からの過度な配慮や対応にもどかしさ、やるせなさも感じていました。
丹野智文さん
「家族が心配をして、どうしても1人で出かけるのを禁止してしまったり、財布を持つのを取り上げてしまったり。
認知症であると、本人に失敗させないようにっていうことで先回りをしてしまう。そうすると、今度は家族や支援者がいないと何にもできなくなってしまう。」
悩み、苦しんでいた丹野さんを変えたのは・・・
丹野智文さん
認知症を持つ人の家族の会に行って、そこでたまたま広島から来た認知症の当事者との出会ったんです。
その人はもう認知症になって6年経ってました。笑顔で元気で人に優しい人でした。この人のように生きてみたいなと思ったことが、私が前向きになるきっかけでした。」
認知症になっても、できることはたくさんある”
そのことに気づいた丹野さんは、認知症を受け入れ、認知症とともに生きる決心がついたといいます。
丹野智文さん
認知症になって症状が出たときにどうするのが一番いいか。工夫するんですよ。まずは人に助けを求めてもいいです。
私の工夫は、今は“携帯電話”です。ほとんどが携帯電話で、脳の一部になっております。こういうところに泊まりに来て、朝何時に迎えに行くよって言われても、記憶にありません。どうしてるか…アラーム鳴るようにしてます。
うまく使うことで認知症になっても困らないんですよ。」
一度は会社に辞表を提出したという丹野さんですが、職場の理解もあり、営業から事務職に転身。
認知症と診断されたあと、現在も同じ会社で働き続けているといいます。
丹野さんが変わると、家族にも変化が…
丹野智文さん
「それまではサバ缶でDHAだとか、認知症に効くっていう食べ物を食べさせられたり、脳を少しでも動かすために100から7引いて歩いてみようだとか、家族もどうにか認知症の症状を食い止めようとしていたと思うんですけど、それが私にはしんどかった。私に対しても腫物に触るような扱いだったんですよね。
でも、私が自分で認知症家族の会とかいろんなところで素敵な出会いがあって、前向きに、元気になったんですよね。すると、うちの妻も『パパこれでいいんじゃないかな』って認知症である私を受け入れてくれるようになって。それからはもう家族もみんな普通の生活に変わりました。」
丹野さんと同じく、若年性認知症当事者の山中しのぶさん。
認知症をテーマにしたドラマを見ていたときに、『認知症の症状を持つ主人公に似ている』と息子さんに指摘されたことがきっかけで、2019年に診断を受けました。
山中しのぶさん
「私の中では時間の感覚のずれというのが、最初の気づきになりました。」
認知症との診断にショックを受け、一時は鬱症状に悩まされたこともあったという山中さん。
それでも、自分のように悩み苦しむ認知症患者の助けになりたいと、一般社団法人「セカンド・ストーリー」を設立。
2022年10月には利用者が有償でボランティア活動を行うデイサービス「はっぴぃ」を開所するなど、新たな挑戦を続けています。
山中しのぶさん
「人と出会うとか人と会うっていうのがすごく元々大好きなんです。
私の家族は、私が認知症だからとか関係なしにやりたいことをやらせてくれます。
東京も1人で行くんですけど、初めの方は迷子とかなって、電車とかも間違えて違う方向に行ってしまったこともあるんですけど。
本当に困ったらタクシー乗っていいって言われてるんですよ。なので、もう安心して出かけられる。
『本当に困ってどうしようもないんだったら、タクシー乗ってお金使こうてもかまわんがや』っていう家族なので、私は本当にやりたいこともできますし、症状も本当に安定してます。」
まだ根本的な治療法が見つかっていない認知症
それでも、認知症になったからといって悲観的にならないでほしいと丹野さんは言います。
丹野智文さん
認知症になったときに、まず、全てを諦めないでほしいと思います。そして、認知症になったからってすべてが出来なくなるわけじゃないです。
新しいことに挑戦することもできます。出来ることもいっぱいあります。
出来なくなったことに目を向けるんじゃなくて、出来ることに目を向けてほしいと思います。」
その人らしさを受け入れ、ありのままで生きていく。
だれがいつ認知症になっても安心できる社会を目指すことで、誰もが過ごしやすい未来が見えてくるのかもしれません。