角栄の最後の秘書がみる「政治とカネ」 安倍派幹部「潔さ感じず」、派閥は「なくならず」(2024年4月16日『産経新聞』)

 
田中角栄元首相の秘書を23年間務めた朝賀昭氏=東京都内(竹之内秀介撮影)

田中角栄元首相が金脈問題で退陣してから半世紀。今年1月に旧宅が焼失した際はメディアで大きく取り上げられ、平成5年の死去後も社会の耳目を集め続けている。自民党が「政治とカネ」で揺れる今、田中氏の秘書を23年間務め、現在も与野党国会議員の選挙参謀を務める朝賀昭さん(80)は、自民派閥のパーティー収入不記載事件を受けた安倍派(清和政策研究会)幹部の対応について「潔さを感じなかった」と語った。(竹之内秀介)

――1月に目白の田中邸が焼失した

「悲しくて焼け跡を見に行くこともできなかった。見たら余計に泣けちゃうんじゃないかと。数々の歴史の舞台になった場所だし、信じられない思いだよ」

――田中氏は政治資金パーティーを開いていたか

「オヤジさんはほぼほぼ献金で賄っていたね。昔は親分が子分の面倒を見るのが基本的な考え方。パーティー券を売らせて金を上納させるシステムが本格化したのは(三木武夫田中角栄大平正芳福田赳夫中曽根康弘の各氏が首相の座を争った)『三角大福中』後だった」

――田中氏は金脈問題で退陣した後の昭和51年にロッキード事件で逮捕・起訴され、1審で実刑判決を受けた。田中氏は集めた金をどうしていたのか

「派閥の議員には金を配る必要があるから、『もち代』や『氷代』として配っていた。一人頭で一律いくらというベースがあって、厳しい選挙区の候補者には積み増したりしていた」

――選挙に金がかかるという問題は改善したか

「全く変わっていない。僕が三大経費と呼んでいるのはポスターやビラなどの紙代に会食費、それと人件費だ。田中事務所には秘書が30人くらいいたね。時代を問わず、有権者の投票行動の決め手はフェース・トゥ・フェースだ。選挙に金がかからないなんてあり得ないよ」

――田中氏は100人を超す田中派木曜クラブ)を率いた。岸田文雄首相(自民総裁)が打ち出した派閥の解消をどうみるか

竹下登さんが立ち上げた『創政会』(現平成研究会)だってもとは田中派内の勉強会として始まった。サルも集まれば派閥ができる。やみくもに派閥を否定しても絵に描いた餅になりかねないんじゃないかな」

――収入不記載事件が自民を直撃した

「安倍派などの議員が出席した政治倫理審査会を全部見たけど、全員潔さを感じなかったな。知らない、覚えていないと繰り返しているが、そんなに記憶力が悪いのか。政治が劣化していると感じてしまうな。『ザル法』と呼ばれてきた政治資金規正法をキッチリ見直すことも必要だろう」

―議員と秘書の関係も変化している

「今は良くも悪くもお互いビジネスみたいだよね。昔は政治家にほれ込んで、自分の人生をかけて仕える秘書が多かった。今の議員は不祥事が起きると、すぐ『秘書に任せていた』と責任転嫁してトカゲの尻尾切りをしようとするけど、秘書は尻尾なんかじゃないんだけどな」◇

あさか・あきら 昭和18年、東京都港区生まれ。中央大法学部卒。37年から田中角栄氏の秘書を務める。田中派木曜クラブ)の秘書会統括などを歴任。現在は政治団体政経調査会」の会長。