ホテルの沖縄戦(2024年3月31日『琉球新報』-「金口木舌」)

 ホテルは時として軍隊の根城となる。戦前、東京・赤坂にあった山王ホテルは1936年の2・26事件では決起軍の拠点となり、戦後はGHQが接収した。今は場所を変え、ニュー山王ホテルという名の米軍宿泊施設である

山王ホテルの反乱部隊=1936年2月26日、東京都千代田区時事通信社

▼沖縄では那覇の波上近くで41年に開業した沖縄ホテルの一室が第32軍の「参謀会議室」となる。80年前のことだ。創業者の宮里定三さんはホテルを出入りする軍首脳の姿を間近に見ていた

▼「長勇参謀長は蛮勇。八原博通高級参謀はおとなしく、学者みたいな人。牛島満司令官も口数は少ない」。宮里さんが生前語っていた3人の横顔である。10・10空襲で焼け残ったホテルを軍は指揮下に置いた
沖縄戦で灰燼(かいじん)に帰した沖縄ホテルは51年、那覇市大道に再建される。当時の本紙に広告が載った。「閑静 便利 ほんとに憩える所 旅の憂 浮世のちりを払いましょう」の短文に宮里さんはいかなる思いを込めたのだろう
▼沖縄にあるホテルを軍が占拠するような時代を繰り返すまい。明日、米軍の沖縄本島上陸から79年の日を迎える。