コメと幸せ(2024年3月25日『中国新聞』-「天風録」)

 元自衛官でもある人気作家、浅田次郎さんの小説「壬生義士伝」を読み返した。妻子を食べさせたくて盛岡藩を脱し、新選組に入った貧しい武士の悲哀を描く。戊辰のいくさの中で自決した彼の名を継ぐ遺児が歳月を経て古里へ。その筋立てが真骨頂だ

▲盛岡を逃れ、新潟の農家で育った遺児はコメの品種改良一筋の博士に。大学を退き、古里の農学校で教えるため汽車に乗る。凶作を招く冷害を克服した品種を携えて。そこで涙腺が緩む

▲博士は軍人の道を望まなかった育ての親を述懐しつつ、こう語る。「親子兄弟が別れずに、貧しくとも幸せに暮らせる稲を育てたい」と。浅田さんの平和観、農業観がにじむ言葉だろうに。

▲コメがもたらす幸せとは何かを考えたくなる。今や日本中にあふれ、農産物輸出の柱に。一方で地球沸騰の時代を迎え、列島各地で「温害」が悩みの種だ。売れ筋の銘柄の切り替えや、猛暑に強い品種への改良が進む

▲「農政の憲法」の改正案が今週、国会で審議入りする。万一に備える食料安保を論じる中で稲作の意味も問い直されよう。見渡せば戦禍と凶悪テロに震える世界が…。どこの、どの家族も食べ物があふれる日を同時に思い描きたい。