藤沢周平には古里の山形県庄内をイメージした短編小説が多い。「岡安家の犬」は、若い武士が親友の家族が飼う赤犬を鍋にして騒動になる筋立て。江戸時代の庄内の実話を基にしたらしい。今は目を背けたくなるが、昔は日本も犬食が珍しくなかった

▲「食文化」として長く続く韓国は約1600店が犬の肉を出すと聞く。それも終わりが来るのか。犬食禁止の特別法が国会で成立した。3年後から食用の飼育、販売などが懲役や罰金に

▲40年近く前、韓国を初めて旅した。向こうの人と囲んだ鍋の「ポシンタン」が犬入りと聞き、箸が止まった。滋養があるというが、五輪などのたび国際問題となってきたのは無理もない

▲動物虐待だとして新法の旗を振ったのが愛犬家の大統領夫人だ。4月の総選挙を控え、当の夫人の収賄疑惑が野党から指弾されるさなかに採決された。反対はゼロ―。犬食禁止を多くが望む世論を考えると、政争の具にできないと判断したのだろう

▲犬は家族。それが当たり前になる一方、業者側は「国民の食べる権利を守れ」と憲法裁判所で抗戦の構えだ。藤沢の小説では代わりの赤犬を持参し、何とか収まる。お隣の犬食騒動はどう決着するか。

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【赤い犬】史実とアレンジ

 藤沢周平さんの晩年の短編に『岡安家の犬』というのがある。没後、新潮社から発刊された単行本『静かな木』に収録されており、初出は「週刊新潮」平成五年七月二十二日号。岡安家に飼われていたアカという犬が、その家の主人の悪友連中から鍋にして食われてしまう。知らなかったとはいえ、鍋を「うまい」といってつついた岡安家の総領の悔しさと怒り。悪友の首謀者と総領の妹が夫婦になる約束だったが、犬鍋がもとで破談になってしまう。犬を中心にした物語である。

 作品の後の注意書きで藤沢さんは「この小説は加藤省一郎著『臥牛 菅實秀』、杉山宜袁著・大泉散士訳著『大泉百談』にヒントを得たものです」とことわりを入れている。

荘内藩の重臣が眠る井岡寺は、左側の森の陰にある
荘内藩の重臣が眠る井岡寺は、左側の森の陰にある
 岡安家の隠居・十左衛門は犬のけんかが大好きである。犬のけんかだけは一町先の声も聞きつけて、飛び出していく。大声を発して「ホキ、ホキ」とあおる。十左衛門には自身も認める上品ならざる趣味がもう一つあって、それは火事場見物である。はかまも付けず尻はしょりで走っていく。

『岡安家の犬』の冒頭の部分で登場する十左衛門のこのくだりは、ユーモアたっぷりに描かれ、どこにでもいるおじいさんといった印象で親しみがわく。奇癖とでもいうべき、品の悪い趣味を持つお年寄り。それでいてどこか憎めない。

 この部分が、『臥牛 菅實秀』に出てくる。幕末期、幕府は荘内藩に江戸檜木坂の長州藩邸を接収し、邸内に居住する藩士を長州上屋敷米沢藩受け取り)に護送することを命じた。その時、菅實秀(すげさねひで)と荘内藩物頭中村治郎兵衛が邸内に入り、長州藩の重役に幕命を伝える。

 この中村という物頭について加藤省一郎氏は「中村治郎兵エという人は、すこぶる面白い人物で、喧嘩と博打が大好きで、すぐれた戦術家でもあった。犬の喧嘩を聞きつけると、障子や襖を蹴破るような勢いで飛び出し『ホキ、ホキ』と大声でけしかけながら駆けつけるという人であった。子供の時の話ではない。六十を越してからでも火事と聞くと、二里ぐらいのところは必ず飛んでいった」と記している。

 飼っていた愛犬を鍋にして知らないうちに食わせられる、という一見残酷な筋書きは、実は『大泉百談』にある。

 文政時代の荘内藩で奉行所勤めだった杉山宜袁(よしなが)という人が庄内の事跡を調査し記録したもので、昭和四十七年、書店主だった大泉散士氏が訳して本にした。著者は女流歌人・杉山廉(れん)の弟で家老にまで出世した人物である。「荘内藩士逸話篇」の項で、「菅野権吉の事」として紹介している。

 それによると、陶山(すやま)七平という長老が犬を振る舞うからと菅野権吉らを自宅に招いた。大鍋に犬を煮て御馳走したが、陶山が言うには「やあ権吉、この肉は赤犬にて脂もあって格別な味であろう。実はお前の飼っている赤犬である」。それを聞いた菅野は烈火のごとく怒り、脇の刀を取って切りかからんばかりだったという。

 話はまだ続く。

 陶山翁は泰然として「ああ、世に阿呆もあるもの、士たる者は君(くん)の禄を食み御馬前で死のうとせず、一匹の畜生のために君父の恩を忘れた不覚人の刀が我が体に立つべきか、立つなら切ってみよ」と言い放った。菅野は我に帰り、その教示を有り難しとして無礼を謝したという。陶山も座を正し、天晴れの士なり、と権吉をほめたたえた。

 ここに登場する陶山七平は、荘内藩の郡代を勤めた重職で、後に稿木(こうぼく)と号して釣りの指南書『垂釣筌(すいちょうせん)』を残した磯釣りの名人でもある。

 犬ごときに君(藩主)の恩を忘れるとは言語道断、というのがこの逸話の趣旨であろうが、藤沢さんの作品では悪戯の首謀者が罪を反省し、食った赤犬と同じような子犬をどこからか探し出してきて岡安家の門前を通り、かつての許婚者(いいなずけ)の許しを請う、という筋立てである。

 史料と作家の距離、藩政時代と現代の、人々の倫理観の違い、そして何より藤沢さんの時代小説家としての基本的な姿勢が読み取れて興味深い。読者の常識、良識が、必ずしも江戸時代の史実、史料をそのままに受け入れるものではない、ということだろう。

 つめて言えば、封建時代の不条理といったものが現代人には到底理解できる代物ではない、ということである。史料を現代風にアレンジして駆使する、という一端を垣間見る思いである。

続・藤沢周平と庄内 ふるさと庄内