● 小学館の編集者が声明 評価できるが違和感も
文春一筋で出版人生を終えた私は、コミックやアニメのことはほとんどわかりません。ですから、急逝した漫画家・芦原妃名子さんのことも、ドラマ化に伴うトラブルが死因になったのではと疑われる彼女の代表作『セクシー田中さん』についても、論評する資格はありません。
ただ、「出版社経営の経験者として今回の事件をどう見ているか」という質問をよく受けるので、出版社の実情を説明すると共に、自分なりの考えを述べたいと思います。
当初、関係者が短いコメントを出しただけだったこの問題に、2月8日、小学館の現場の編集者たちが、現状を説明する声明を出したことは評価できます。ただ、その声明の最後の一文「寂しいです。先生」には、私は強い違和感を覚えました(詳しい声明の内容については、小学館のHPでご覧ください)。
「原作者を守るのが編集者である」という趣旨の宣言をしたのに、その原作者を映像化によるトラブルで自殺させてしまった可能性が疑われているわけですから、「先生、申し訳ありませんでした」と言うべきではなかったでしょうか。
今回の悲劇は、いつかは起こると予想できたものだったと私は思っています。だからこそ、大規模な再発防止の取り組みを提案したいと思います。
出版界は昔とは違い、権利関係が極めて複雑になっているからです。映像化、あるいは翻訳化、デジタル化など、今、出版社と作家の関係には複雑な契約関係が生じており、出版社にとっても筆者にとっても、ビジネスとして重要な意味を持つ時代になっていることは断言できます。
一昔前は、出版界といえば口約束の世界でした。本の刷り部数も、定価も、印税も、発売時期も出版社がほとんど決めていました。また、映像化については出版社が仲介することが普通で、映像のことを知らない作家を支えていました。
翻訳については、かつて日本の小説はほとんど翻訳のニーズがなかったのですが、近年は中国や韓国からかなりの頻度で翻訳のオファーがくるので、その際は出版社が仲介するという契約を作家と結んでいるケースがほとんどです。
ですから、今回の『セクシー田中さん』の映像化によるトラブルにおいては、当然、版元である小学館がどう動いたかに興味があります。
● 映像化に前向きな作家ばかりではない 世界観が違う作品になることもしばしば
コミックや小説のファンの方には「映像化されて作品の良さがなくなった」と感じる人が多く出てくることも事実です。しかしその一方、映像化によって紙でも電子でも原作の部数が劇的に増える傾向にあるのも事実です。
私が知る小説の世界では、古くは松本清張先生、ここ最近では東野圭吾先生、宮部みゆき先生、湊かなえ先生などは、基本的に自分の作品と映像化作品はまったく別物として捉えているように感じていました。
実際、清張作品は今も新作が出ていますが、先生が生きていたのは携帯電話などなかった時代ですから、小説の核をなすトリック自体が改変されています。また、東野圭吾さんの代表作である『ガリレオシリーズ』の原作には、コンビとなる女性刑事は出てきません。トリックや主役まで変わっても平気な作家もおられるわけで、これらの作品は、映像化によってさらに多くの本が売れ、出版社も作家も潤っています。
一方、基本的に映像化を嫌う作家も大勢います。松本清張先生と並ぶ戦後の国民的作家・司馬遼太郎先生は、映像化にはそれほど熱心ではありませんでした。特に夫人が脚色を好まない人でしたから、代表作『坂の上の雲』は「戦争賛美と受けとられかねない」と、強く反対されていたことを覚えています(NHKも大河ドラマではなく、3年連続のスペシャルドラマ枠として放映)。
映像化に対しては、原作を持つ出版社は出資もできるので、映画やDVDの売り上げの一部を収入にできる可能性もあります。この立場は、小説もコミックも同じだと思います。いや、コミックを映像化する場合は、さらにキャラクター商品が発生し、ゲーム化もありうるので、出版社も著者も懐が潤う可能性はさらに増えます。 しかし、多角的にその作品がビジネス化されることによって、作家の考えていた世界観ではないものが作家の作品からつくられてしまうという危険も、昔に比べて大きく増加してきました。
そのために出版社は、作家と出版契約を結び、翻訳、映像 電子化といった派生ビジネスについては代行する契約を結ぶことが多いのです。また作家によっては、紙の本以外の契約は出版社とは結ばず、独自で交渉する、あるいはエージェントとして契約した事務所で代行するという場合もあります。
テレビ局の場合、当然ながら出版社のように長く深い繋がりを原作者と持っていないので、原作者の気持ち、あるいは作品のどの部分を大切にしているかについて、無神経になる確率が高いのも事実です。だからこそ出版社のライツ担当者は、相当作家側に立って、交渉する義務があると考えます。
今回、芦原妃名子さんの『セクシー田中さん』という作品についてのこだわりを担当者が十分把握しており、脚本家がかなりの「原作クラッシャー」であるという情報を事前につかんでいれば、その時点で映像化を断るか、最初から原作を大事にするタイプの脚本家を選ぶことを、彼女に勧めるべきだったのではないでしょうか(念のために言うと、私は脚本家を否定しているのではなく、こういうタイプの脚本家も「小説と映像は別物」と考える作家にとっては必要だと思っています)。
私は文春時代、映画会社の東宝とは素晴らしいお付き合いができていました。数カ月に一度、出版局の部長クラス(これは小説だけでなく、ノンフィクションや料理本などの部門の部長も含みます)と、東宝の主要なプロデューサークラスで定期的に会議を開いていました。
私が驚かされたのは、東宝の社員は文春の小説誌や雑誌連載をくまなく読んでいて、「〇〇さんの作品はいつ終わりますか?」「文庫の予定はいつですか?」と詰めてくることです。彼らは、「文庫化するときが映画化するとき」と大体の目処を立てているので(単行本の売れ行きを見てから映像化を決めるという方針もあったかと思いますが)、
そのときに予定が空いている主役級の俳優の日程や、新人起用のタイミングまで議論して会議に臨んできます。それくらい情熱があったので、こちらは原作を預けてもあまり心配はありませんでした。
● ライツ系、デジタル系人材の重用で 出版社の現場の空気は激変している
しかし、私が「セクシー田中さん問題」を予想された事態だと冒頭で述べたのは、ライツ系やデジタル系の世界が出版界に入ってくるにつけ、この空気感がわからないキャリア採用などの社員がすごい勢いで増加しているからです。
一時「出版不況」が騒がれましたが、コミックを持つ大手の講談社、小学館、集英社などは、ここ数年空前の好景気と言ってもいい数字をあげました。となれば、アニメ化、映像化、ゲーム化、キャクター化を促進せよという空気は強まり、ライツ系(小学館の場合はメディア担当というようです)の人々の発言権も高まり、また利益部門として会社が重用することになります。
今回の「セクシー田中さん」問題は、そんな出版界の流れの中で起きました。小学館の現場の編集者たちが必死で発信しようとした「良心」を信じたいですが、実際に原作者と出版社とテレビ局の間で何が起こったかは、彼らの声明にはほとんど記されていません。
「芦原さんの意向はドラマ制作側に伝わっていた」という趣旨の文言が記されていますが、脚本家の相沢友子さんが、「私にとっては初めて聞くことばかり」と2月8日に自身のSNSでコメントしたのを見ると、どう考えても、原作者、脚本家、テレビ局、出版社のコミュニケーションがとれていたとは思えません。
● 今こそ提言したい 出版界全体で取り組むべき対策
私は、どの出版社もライツやデジタルの専門家に、一度は編集部を経験させるなり、編集部との交流を深めるなどの方策を考えたほうがいいのではないかと考えますが、その程度の改善ではなく、もっと大規模な原因究明と再発防止の対策を練るのがベストではないでしょうか。
出版界は、日本書籍出版協会という出版社全体を包括する団体を持っています。そして、その中に、(1)コンテンツ活用推進委員会(中長期的な観点から、新たな著作物の流通手段を模索し、デジタル化環境への対応を積極的に進め、出版ビジネスの新たな可能性を模索するための調査・研究等を行う)、(2)知的財産権委員会(知的財産権に係わる制度の改正要望に関する事項の検討を行い、出版界の意見の反映を図る)など、各社の専門の社員が集まる研究会があり、それ以外に緊急事態には特別委員会も開催できます。
読者には作者名や作品名には詳しくても、出版社の名前はよく知らないという人が多いと思います。実際には、超大手である小学館、講談社、集英社の意見が大きく反映されるのが、この業界です。この3社は資金力もあり、人手もあります。
また、講談社には野間省伸社長という先進的な考えの社長がおり、小学館は今の出版界の仕組みを全部つくったとも言える相賀昌宏会長がおられます。色々なパーティーに出席して新しい本を紹介しスピーチする、作者への愛情にあふれた経営者です。集英社の堀内丸恵会長は、赤塚不二夫さんを担当したコミックに精通した経営者であり、廣野眞一社長はゲーム事業の経験があります。野間氏、相賀氏はオーナー経営者で、集英社は小学館の子会社ですが、ほとんど親会社に匹敵する売り上げを誇る会社です。
その3社の大物経営者が出席し、今回の件における小学館と日本テレビの担当者に聞き取り調査を行う特別委員会をつくり、今後の再発防止策や、各社が注意すべきライツの現場と編集現場の調整について徹底的に研究することこそ、芦原さんの尊い犠牲に報いることになると私は考えます。
今や、小説、コミック、アニメ、ゲームの担当者が、作家と一緒に次の作品をトータルに話し合う時代になっています。最初からゲーム化を想定し、小説の主人公像や顔、服装まで打ち合わせしている作家もいるのです。出版社もテレビ局も、今回は真摯に組織としての問題点を直視すべきです。 (元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)