落語協会100年 市井の哀歓語り続けて(2024年2月12日配信『東京新聞』-「社説」)

 日本最大の落語家の団体「落語協会」(本部・東京都台東区、約390人)が25日、1924年の発会から100年となる。記念の特別興行などを通じ、次の1世紀にも残したいこの演芸への関心がより高まるよう願う。
 協会の発会した時期については諸説があったが、百年事業の実行委員長の林家正蔵さんは「当時の都新聞、現東京新聞中日新聞東京本社)に1924年2月25日落語協会が発会したという記事があった」と述べている。
 小紙の先達が報じたこの記事を読者にもお目にかけたい=写真、掲載は1924年2月27日付。
 けれどもこの間、協会の歩みは決して順風満帆ではなかった。
 戦時中、落語家たちは官主導の「講談落語協会」に所属させられ国策に沿った活動を強いられた。遊郭を舞台にした噺(はなし)など53演目が上演自粛となって、東京・浅草の本法寺に「はなし塚」が築かれたのはこの折のことだ。
 また戦後は、連合国軍総司令部GHQ)の意向で、仇討(あだう)ちものなど20演目が禁じられた。
 協会自体も、真打ちの大量昇進に端を発する78年の分裂騒動など離合集散を経てきた。
 だが、落語家たちの噺にかける情熱は揺るがず、今日に至るまで世代を超えた支持を集める。
 その理由は何といっても、遠く江戸時代から庶民の日常を大切な題材として、市井の人々の哀歓を語り続けてきたからだろう。
 より古い伝統を誇る能や狂言が大名など権力者たちによって保護されてきたのとは違って、庶民が愛好し、守り育ててきた芸能だ。落語に登場する「お殿様」たちがしばしば笑いものとなるゆえんといえる。これからも長く、庶民の演芸として栄えてほしい。
 また現在、落語界には同協会のほか、同じ東京に拠点のある落語芸術協会や、関西の上方落語協会などの団体が割拠する。
 以前は所属団体が違うと交流もはばかられたというが、今日では団体の垣根を越えた共演も盛んになった。ともに芸を磨き、何かと暗い話題の多いこの時代に明るい笑いをもたらしてほしい。