「皆さんの努力が実ったよ」 被団協ノーベル平和賞、代表委員の田中熙巳さん演説(2024年12月10日『産経新聞』)

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メダルと賞状を授与された田中熙巳さん(左から2人目)ら代表委員3氏とフリードネス委員長=10日午後、オスロ(木下倫太朗撮影)
「核なき世界へ話し合いを」。被爆の実相を長年伝えてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が10日、ノーベル平和賞を授賞され、代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)が核廃絶に向けたメッセージを発信した。来年で原爆投下、終戦から80年。被爆者運動を続けて志半ばで逝った先人たち、広島や長崎にいる全ての被爆者への思いを込めた。
「人類が核兵器で自滅することのないように。核兵器も戦争もない世界を求めて共に頑張りましょう」。田中さんが力強く呼び掛けると、会場のオスロ市庁舎は割れんばかりの拍手に包まれた。
田中さんは13歳だった昭和20年8月9日、長崎の爆心地から3・2キロの自宅で被爆した。演説では祖父や伯母ら親族5人を亡くし、自ら荼毘(だび)に付したことにも触れ、「人間の死とはとても言えないありさま。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけない」と語った。
終戦後、東北大の工学系研究者として移り住んだ仙台で被爆者運動に参加したが、健康に問題のない自分が表立って活動するのは避け、「大変な方々のお手伝いがしたい」と裏方に徹した。
だが、一緒に世界を回った仲間が次々と亡くなると、自らも証言者として前面に立つように。平成27(2015)年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、被爆者を代表して米ニューヨークの国連本部で演説し、「核兵器廃絶をもう待てない」と各国に迫った。
被団協の事務局長を2度にわたり計20年務め、平成29年に代表委員に就任。今回の受賞で被団協の長年の核廃絶活動が改めて世界に認められる形となったが、過去には有力候補とされながら受賞を逃したこともあった。「被団協はもう(ノーベル平和賞を)もらえないだろうとあきらめていた」と本心も明かす。
授賞式で演説した約20分の原稿は、10月11日の受賞決定後、1カ月ほどかけて完成させた。世界中に注目される舞台で、被爆者として何を伝えるか。一番に浮かんだのは、昭和31年の被団協設立以降、核なき世界の実現を目指しながら、道半ばで亡くなった先人や仲間らの顔だった。
国連軍縮総会など世界を舞台に多くの先人らが核廃絶を訴えてきた。こうした被団協の歴史や活動に触れた上で、「核兵器保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです」と訴えた。
来年で戦後80年となる中、被爆者の高齢化や、被爆の実相を次世代にどう受け継ぐかが課題だ。9日の記者会見で「若い人たち核兵器のことを真剣に考えていないのではないか」と懸念を示した田中さん。授賞式では「10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代の皆さんが、工夫して築いていくことを期待しています」と若者に訴えた。
被団協では最高齢の92歳だが、空路の長旅もいとわず北欧まで出向いた。「言葉として伝わっても、中身まで伝わらないことがある」からこそ、現地で、肉声で、核廃絶への思いを伝えたかったと言い切る。
授賞式では先人らの遺影も見守った。「(受賞が)10年早かったら喜びが共有できた」と残念がる一方、長年にわたる先人たちの運動が受賞につながったと確信する。
「あなたたちに対する受賞でもある。皆さんの努力がここまで実ったよ」
オスロ 木下倫太朗、写真も)

平和賞受賞も「核なき世界」へ欠かせぬ現実的議論 安全保障上の脅威、世界で絶えず(2024年12月10日『産経新聞』)
 
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被爆者らの証言を通じ「核なき世界」の実現を訴え、10日にノーベル平和賞を授与された日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は、国際的な核使用のタブー確立に貢献したことなどが高く評価された。ただ、世界では核保有国のロシアがウクライナを侵略。日本も中国や北朝鮮など周辺国に安全保障上の脅威を持つ。国民の生命を守るためには、核廃絶を求めつつも現実的な議論が欠かせない。
「今こそ核兵器とは何か再認識する意義がある。世界がこれまでに持ち得た最も破壊的な兵器だということを」。10月11日、被団協の受賞を発表したフリードネス・ノーベル賞委員長は授賞理由の説明で、世界における核の脅威に触れた。背景には、ロシアのプーチン大統領ウクライナ侵略に際し、核兵器使用を示唆して威嚇したことなどがある。
唯一の戦争被爆国である日本。政府は「核兵器のない世界の実現に向け国際社会の取組をリードしていく責務がある」(外務省ホームページ)と発信する一方、核兵器禁止条約は批准していない。米国が核を含む戦力で日本の防衛に関与する「拡大抑止」を重視しているからだ。石破茂首相も10月12日に与野党7党首が臨んだ日本記者クラブ主催の討論会で「現実として核の抑止力は機能している。どう核廃絶へつないでいくかはこれから議論していきたい」との考えを示した。
これに対し、首相と受賞決定後に電話で対談した被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(92)は「ぜひ(首相と)会って議論し、考え方が間違っていると説得したい」と語る。箕牧(みまき)智之代表委員(82)も「核がある以上いつかどこかで事故が起こる。絶対にゼロにしてほしい」と、被爆国だからこそ核に頼らない国づくりを訴える。
ただ、ロシアによるウクライナ侵略以降、日本国内でも核抑止力の強化を巡り、さまざまな議論が展開されている。今年2月、参院の外交・安全保障に関する調査会では、参考人として出席した一橋大の秋山信将(のぶまさ)教授が「核に関する議論というのは、短期的、長期的なリスクいずれも考える必要がある」と指摘。国民の核への理解を深める必要性に触れた上で「印象論で語ってはいけない」と語った。
被爆地・広島が地元の岸田文雄前首相は首相在任中の令和4年3月、参院予算委員会で核共有を含む核抑止力の強化について「政府として議論することは考えていない」と答えた。一方で、一般論として国の安全保障のあり方は「時代状況、国際状況を踏まえたさまざまな国民的議論が行われるべき」だとも述べた。
「核の実態正しく知り議論を」
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政策研究大学院大の岩間陽子教授
核兵器廃絶は日本外交の持論だが、最終的な核廃絶を求めるなら、まずは核が使われにくい状況を作ることが必要だ。被爆国である日本は安易に核に頼らない安全保障を考えた方がいい。そのためには通常兵力や社会のレジリエンス(回復力)を高めるなど、さまざまな手法を用いて抑止力を高めていくべきだ。
核を議論するには核の正しい理解が求められる。欧米の反核運動家は装備や運用に関する正確な知識を備えた上で「どうすれば核の役割を小さくできるか」の具体的提案を持っており、研究者も学ぶことが多い。核は「明日から全廃」するのは不可能で、何が必要で何が不要かの相対的な判断に基づき少しずつ減らさないと、核に頼らない安全保障に到達しない。
日本を含む各国がたとえ核兵器禁止条約に批准したとしても、自由な社会の中で核を作る知識を根絶することはできない。本当に「核なき世界」を目指すなら一歩一歩、近づくほかない。そのためには核兵器とは何か、その実態や歴史的背景を正しく知った上で議論することが必要だ。(木下倫太朗)