愛子さま (C)JMPA
2024年12月1日、愛子さまは23歳のお誕生日を迎えられた。3月に学習院大学を卒業された愛子さまは、春からはご公務を本格的にスタート。地方へのお出ましに始まり、さまざまな行事に参加されている。10月30日には、秋の園遊会にご出席された。園遊会へのご出席は、春から続いて2回目となる。初めて和装でご公務に臨まれた愛子さまのピンク色の振袖姿は、会場を華やかに彩った。初めてづくしの愛子さまにとって、秋の園遊会ではもうひとつ初めてのことがあった。それは、6年ぶりに園遊会でジンギスカンや焼き鳥などの料理が提供されたことである。暖かな日差しのなか、招待された人々は久しぶりの料理のおもてなしに舌鼓を打った。今回は、園遊会の料理にまつわる物語である。
コロナ禍で控えられていた園遊会の料理が6年ぶりに復活
10月30日、東京・港区の赤坂御苑において秋の園遊会が催された。園遊会は天皇陛下と雅子さまが主催され、各界の功労者が招かれて皇族の方々と懇談する行事である。今回は、今年開催されたパリオリンピックとパラリンピックの金メダリストのほか、建築家の隈研吾氏など、各界で功績のあった1446人が出席した。
皇族方は、天皇陛下と雅子さまをはじめ、愛子さまや秋篠宮ご夫妻、佳子さまなどがご出席された。愛子さまは若々しいピンク色の大振袖をお召しで、出席者一人ひとりの話に耳を傾け、質問するなどして談笑されていた。愛子さまにとって、春に続く2回目の園遊会への参加であり、初めての和装でのご公務であった。
愛子さまにとって初めてのことが、もうひとつあった。それはコロナ禍以降控えられていた、料理が振舞われたことである。新型コロナの感染状況を踏まえてアルコールの提供は行われなかったが、気持ちのよい秋空のもと、参加者たちは久しぶりの野外での料理をおおいに楽しんだという。
「ジンギスカンめちゃめちゃおいしくて、おかわりしました」(堀米雄斗選手)
園遊会のメイン料理は、皇室専用の御料牧場で育った羊の肉を調理したジンギスカンと焼き鳥である。会場にはテントが設けられ、その中で大膳(皇室の調理職)が焼き、お客さまにできたてをお出しする。羊と鶏は、御料牧場で育てた最高の品質のものを使用する。
ジンギスカンの羊は、一度の園遊会でほぼ45頭分が必要となる。ジンギスカンのタレも大膳伝統のレシピである。醤油、酒、野菜、果物、香辛料など約30種類の材料でつくり、2年から3年ほど熟成させたタレを使用するという。
気になるお味の方はいかがだろうか。
「ジンギスカンめちゃめちゃおいしくて、もうめっちゃおかわりしました」
と答えていた。
女子やり投げ金メダリストの北口榛花選手も、
「いただきました。おいしかったです」
と感想を述べた。今年1年、それぞれの場で活躍し、頑張ってきた招待客が、皇族の方々と直接触れ合い、ねぎらわれる貴重な1日であった。
余談であるが、園遊会とはそもそもどのように始まったのであろうか。
園遊会の前身は、明治13(1880)年に始まった「観菊会」と翌年に始まった「観桜会」である。「観菊会」は赤坂離宮から新宿御苑と場所を移していった。「観桜会」は、皇居・吹上御所から浜離宮、新宿御苑と場所を変えながら催された。
大正時代には、イギリスのエドワード皇太子(のちのエドワード8世)や物理学者のアインシュタイン、昭和になるとヘレン・ケラーといった来日中の著名人も招待されている。「観菊会」「観桜会」ともに、第二次世界大戦のために中断された。
再び皇室が功績のあった人々を招くようになったのは、戦後の昭和28(1953)年のことである。「園遊会」の名称に代わり、はじめのうちは秋のみの開催だったが、昭和40(1965)年からは春にも行われるようになった。花の季節を楽しむ秋の「観菊会」と春の「観桜会」という、風雅なひとときの名残りが戻ってきたのである。(連載「天皇家の食卓」第27回)
文/高木香織