いつも頭にあるのは「どうすればパラスポーツの魅力を最大化させられるか」。競泳男子全盲クラスの富田宇宙(EYジャパン)にとって2大会連続出場となるパリ・パラリンピックはそのヒントを探しに行く場でもある。
◆スペインで目の当たりにした「真のバリアフリー」
高校2年で急速に視力を失う難病が分かり、視界が狭まっていく中で2012年に飛び込んだこの世界。さまざまな障害のある人たちが残された機能を最大限に生かし、自分だけの泳ぎを模索する姿に魅了された。その成果を示すパラリンピックは、単なる結果にとどまらず、障害とともに歩むおのおのの生きざままでも浮き彫りにする。「自分なりのゴールに向かう姿は、レベルが低くても輝いてるし、かっこいいと気付かせてくれる。五輪にはないパラのアイデンティティーだ」と思った。
初出場の東京パラでは、メダル3つを獲得。「感動をもらった」という激励もたくさん届いた。光を失い、一度は諦めた宇宙飛行の夢を再び追いかける後押しにもなった。注目を浴びる中で競技ダンスやサーフィンなど、他競技にも積極的に挑戦し、パラスポーツの魅力を発信する足掛かりにしてきた。
東京パラリンピック男子100メートルバタフライ決勝でレースを終え、抱き合って喜ぶ金メダルの木村敬一(左)と銀メダルの富田宇宙=2021年9月
障害者の社会進出が進んでいると聞き、東京パラ後は拠点をスペイン・バルセロナに移した。白杖(はくじょう)を手に町を歩けば自然と誰かが道案内をしてくれ、一般のプールに顔を出すと、重度障害者も健常者に交ざって水泳を楽しむ。合間に帰国する日本では見られない光景ばかり。
「日本ではバリアフリーというとファシリティ(設備)から入るが、やりたい人とやらせてくれる人がいれば成立するんだ。障害への理解が進み、オープンマインドな人も多いスペインなら、障害のある人も生きやすい」。本当の意味でのバリアフリーとは何かを肌で感じた。
◆「選手ではない方がいいのかも…」葛藤の先、覚悟のパリへ
東京パラの頃に描いた理想と比べれば、国内のパラスポーツを取り巻く機運もしぼんでいるように感じ、「自分は選手ではない形で関わった方がいいのでは」と考えたときもある。それでも練習は一切手を抜かず、パリの切符を勝ち取った。