「サンダカン八番娼館 望郷」など社会派映画で…(2024年6月27日『毎日新聞』-「余録」)
「サンダカン八番娼館 望郷」など社会派映画で知られた熊井啓(くまい・けい)監督は小学校から大学まで長野県松本市で暮らした。30年前の6月27日、古里での有毒ガス中毒死事件を伝えるテレビの映像にくぎ付けになった
▲第一通報者の家に見覚えがあった。母が教員だった女学校の校長宅。通学路沿いにあり、お使いを頼まれたこともあった。翌日、家宅捜索を受け、この家を引き継ぐ河野義行(こうの・よしゆき)さんに疑惑の目が向けられた
▲14年後に亡くなった河野さんの妻、澄子さんを含め8人が犠牲になった松本サリン事件である。オウム真理教の犯行とわかるまで、捜査機関もメディアも未曽有の化学兵器テロの実像をつかめなかった。熊井さんは映画「日本の黒い夏 冤罪」で事件を描いた
▲高校の放送部の生徒たちが地元テレビ局の幹部や記者に話を聞きながら、警察の捜査ミスや誤報が生まれた真相に迫る。松本の高校生が作ったビデオ作品「テレビは何を伝えたか」を元にした戯曲を原作にした
▲なぜそこに気づけなかったか。小紙も「薬品希釈中にガスが発生」など事実に反する記事を掲載し、河野さんに謝罪した。警察捜査に依存する報道の問題点も指摘された。ネットが発達した今ならどんな報道被害が生じたか。「教訓を引き継いでもらいたい」という河野さんの思いを忘れずにいたい。
献花台に花を供える田町町会の吉見隆男会長(中央)ら =26日午前、長野県松本市
30年前の平成6年6月27日、長野県松本市の住宅街に神経ガスのサリンが散布され、8人が死亡、約600人が負傷した。松本サリン事件である。この罪を含め、オウム真理教の元幹部ら13人の死刑が30年7月に執行されたが、事件を過去のものにしてはならない。
事件は産経新聞をはじめとする多くのメディアや、警察当局にとっても痛恨の記憶として刻まれる。その重い反省の上に立ち、犯罪に耐性のある社会の構築のため、事件の教訓を生かす努力が必要だ。
「犯人視」の誤報と謝罪
この9カ月後に死者14人、負傷者約6300人を数える地下鉄サリン事件が東京で発生し、オウム真理教による犯行と断定された。松本事件についてもオウムの犯行との疑いが濃厚となり、会社員を犯人視した誤報の数々が明らかになった。
産経新聞は7年5月27日付紙面で「本紙『松本サリン』報道 〝会社員に疑惑〟の印象 会社員と読者におわび」と題し、当時の長野支局長名で長文のおわび記事を掲載した。当時の紙面で「会社員」は実名である。これに前後して朝日、読売、毎日などの各紙もおわび記事を掲載し、テレビ各局もニュース番組で会社員に謝罪した。
警察も厳しい非難の対象となった。会社員への見込み捜査に対する批判はもちろん、松本事件や、元年11月に発覚した横浜の弁護士一家失跡事件の捜査が正確、迅速になされれば、地下鉄サリン事件は防げたはずだとの声が根強かった。
これらの批判は重く、「今さら」には当たらない。当時の警察・治安当局や政府の脅威認識は甘く、サリン散布など新型テロへの想像力も乏しかった。松本事件から汲(く)むべき教訓は「あり得ないことは、もはや、ない」ということだ。
有名大学出の若者が洗脳されてサリンを作り、住宅街や地下鉄でこれをまいた。マンガのような行為を優秀な若者たちは現実に行った。「そこまで想定しなくても」という危機管理は通用しなくなった。
何が起きてもおかしくないという最大級のリスク認識と、対応をとる必要がある。大切なのは「リスクを低くし、個々人が対応を想定しておく」ことへの意識の共有だ。
新たな脅威への対処を
警察当局はこの間、抜本的な対応改善策をとった。一つは「管轄権」の運用改善である。日本警察は発生地の都道府県警が管轄権を行使し、捜査する。オウムの事件では、東京での関連事件が発生するまで、捜査力の高い警視庁が捜査に参画できなかった。
この反省から8年6月、警察法の一部改正でオウムのような広域組織犯罪では管轄警察以外も捜査に参画できるようになった。ただし法改正だけで長年染みついた「縄張り意識」からの脱却は難しく、管轄外捜査の実績を積み上げるしかない。
歩行者天国を車で襲撃する。満員電車内で火を放つ。想定し得なかった無差別殺傷が頻発する。ITや生成人工知能(AI)の急速な進化で犯罪の匿名化が進み、ネットを通じて日常生活を侵食する。新たな脅威に対する不断の警戒が重要だ。
現代の社会インフラはITを基盤とする。大規模テロと必ずセットになるであろうサイバー攻撃には、能動的サイバー防御が不可欠で、一刻も早く運用を整備すべきだ。
テロの芽の多くはネット空間にある。観察が有効だが、そこに国民理解が得られるよう、政府は全力を挙げてほしい。
松本サリン事件から27日で30年になる。長野県松本市の住宅街で1994年6月、オウム真理教幹部らが猛毒のサリンをまいて8人が死亡、約600人が重軽症を負った大惨事。報道機関としては、県警の捜査に沿って、第1通報者の河野義行さん(74)を容疑者扱いしてしまった、悔やんでも悔やみきれない事件だ。その反省を忘れず、事件報道のあり方を常に問い直していかねばならない。
県警は事件の翌日、サリンがまかれた駐車場隣の河野さん宅を容疑者不詳の殺人容疑で家宅捜索。捜索場所として河野さんの実名を発表した。本紙など報道各社は「薬品調合中に発生」「第1通報者が関わっていたとは」など「河野さん=容疑者」のように報道した。
河野さんは自身がサリンを吸った被害者だったが、入院中も県警の事情聴取を受けた。妻はサリン中毒で倒れ、意識不明のまま2008年に亡くなった。河野さん宅や弁護士の事務所には、無言や嫌がらせの電話がやまず、誹謗(ひぼう)中傷の手紙も数多く届いたという。
本紙の取材では、長野県警は事件翌月にはオウム真理教の捜査を始めていた。だが、河野さんへの厳しい取り調べと河野さんを疑う報道は続いた。1995年3月の地下鉄サリン事件で教団幹部が一斉逮捕されて初めて、捜査や報道の誤りを認め、国家公安委員長、長野県警本部長や、本紙を含む報道各社が河野さんに謝罪した。
30年の節目を前に、河野さんの長女(当時高校生)は「(何があっても)日常の維持に努めた」と語り、次女(同中学生)も「学校では全くいじめはなく、日常を保てた」と振り返ったが、家族への影響は小さくなかったはずだ。捜査や報道を厳しく批判していた河野さんも後年、「人を憎んだり、恨んだりしない」境地に達したと語るようになったが、捜査や報道の罪深さが減じることはない。
死刑執行後、再審が請求された福岡県の「飯塚事件」(92年)を取り上げたドキュメンタリー映画「正義の行方」(今年公開)に、当時、事件を取材し特ダネを連発した地元紙記者が悔恨とともに、こう述懐する場面がある。「自分はペンを持ったお巡りさんになっていた」。事件報道に携わる記者なら思い当たる部分があるのではないか。捜査の動きを追うのは職責だが一体化はしない。冷静な報道者としての判断力を磨きたい。
報道の在り方に重い課題を残した事件を、私たちメディアは忘れてはならない。人権を守り、権力を適切に監視するために、自らを省みる機会としたい。
県警は被害者で第1通報者の当時会社員だった河野義行さん宅を家宅捜索し、メディア各社は河野さんを犯人視する報道を続けた。
しかし県警は河野さん宅を容疑者不詳のまま殺人容疑で捜索し、「一般の家庭にはない薬品を押収した」と発表した。
メディア各社は「会社員が農薬の調合を間違えた」と、河野さんが有毒ガスを発生させたかのような印象を与える記事を掲載した。
河野さんは体調の急変を訴えて通報した純粋な被害者だ。妻の澄子さんは意識不明になり、闘病の末、2008年に亡くなった。
守られるべき被害者を、犯人視する報道が深く傷つけた現実は重く、慚愧(ざんき)に堪えない。
なぜ被害者が容疑者扱いされたのか。取材を担当した共同通信の記者は、河野さん「クロ説」をとる捜査当局の非公式情報に引きずられたと振り返った。
事件当初、原因物質が特定されず、県警の発表情報が少ない中で、裏取りの不十分な情報が報じられたということだろう。
メディアとして、あってはならないことだ。
当時、サリンの情報は少なかったとはいえ、河野さんの犯行があり得るかどうか、検証を十分深めていれば、犯人視を避けられたのではなかったか。
河野さんが搬送される際、家族に「駄目かもしれない。後は頼んだ」と伝えた言葉は、「大きなことになるから覚悟しておけ」とゆがめられた。報じる前に家族に当たり、事実を押さえたかった。
不安な状況下で特定の人物を犯人視し、つるし上げるような場面は、新型コロナウイルス禍でも散見され、交流サイト(SNS)を通じて拡散された。
ネット社会の現在は、間違った情報で無実の人が攻撃される危険性が高い。その恐ろしさを肝に銘じ、丁寧な報道を心がけたい。
わずか12行の記事が本紙第三社会面に小さく載ったのは1994年5月11日だった。「オウム教訴訟が結審、7月判決へ」
この時点で、被告の教団が裁判官を狙って市街地に猛毒のサリンをまくと、誰が想像しただろうか。事件は結審から48日後。
■思考放棄の果て
「実験室で作ったサリンを試す必要があった。裁判担当の幹部からよくない情報を入れられ、制裁を加えてもよい所であり、オウムとそれほど結びつく地域でないことが関係していたかと思う」
発生翌日、警察は第一通報者の河野義行さん宅を捜索。実行犯の一人で服役中の受刑者は「(犯人視される河野さんを)気の毒だと思うと同時に、捜査の目がオウムに向くことがないとも思った」と本紙の取材に答えている。ほくそ笑む実行犯もいたという。
超能力や神秘体験などへの関心から入信した者が、なぜ残忍な犯罪に手を染めたか。元幹部らの言葉からおおむね想像できる。
体力の極限まで追い込む荒行では神秘的な体験をするという。霊的な高みに達したと喜び、「教祖は正しい」と確信する。
教祖が言うことはみな正しく、疑いは自分が未熟だから生じるのだと考える。「殺人も救済」とする恐ろしい論法も丸のみした。
権威に全てを委ねる「思考の放棄」は、私たちの日常からもさほど遠くないように思える。
■事件後の世界は
自身は人類の救済者だと主張する麻原教組は前世、来世、終末を語った。都合の悪い現実は「汚れた現代」のせいにして、武装化を進めて社会転覆を企てた。
公判で意味のある言葉を発しなくなり、裁判は一審で終わる。その内面が明かされることはなく、令和への改元を前に、実行犯ら12人とともに処刑された。
現在は後継団体などが公安調査庁による観察処分の対象となっている。被害者が求めた損害賠償は10億円余が未払いだ。
松本サリン事件から30年。私たちは今、どんな世界にいるのか。
「体感治安」は悪化している。SNSでつながる「匿名・流動型犯罪グループ」の特殊詐欺や強盗が横行。犯罪集団を形作る動機は、個々の物欲だ。
無差別殺人も相次いで発生している。疎外感や被害妄想を背景にして、個人が罪のない人々に理不尽な刃を向けている。
安全のためなら人権の制限もやむなし―。そんな空気はむしろ濃くなっているのではないか。
当時もオウム批判一色の世論を背景に例外的な権力の行使があった。警察は信者の別件、微罪逮捕を繰り返している。
政府や世論に追随するとも見られた公安審査委員会だが、97年に適用請求を棄却している。
■重い報道の責任
治安と人権、自由の両立には丁寧で粘り強い議論と検討が不可欠だ。公安警察が肥大化して、そのバランスが崩れていないか―。ことあるごとにチェックをしてゆく視点を忘れてはならない。
想像を超える事件や非常事態は突然起こる。恐怖や不安、怒りが高まると、社会は誰かを排除したり、攻撃したりすることで、安定を求める。松本サリン事件はまさにそういう事態を引き越す出来事だった。
そうならないよう警戒し、抑止するはずのメディアが、逆にあおってしまった。特ダネ競争に没頭し、都合のいい推論を重ね、不確かな情報を広げていった。
本紙も家宅捜索を境に河野さんを犯人視する報道を重ねた。毒物が化学兵器だと判明しても、軌道修正できなかった。
誰もが情報を発信できるネット社会が到来して久しい。生成AIの登場で本物そっくりの画像を簡単に作って流せるようにもなった。デマやウソを防ぐ仕組みはまだ整っていない。
激情が満ちている場面で裏づけのない情報を流す罪深さは計り知れない。事実を見極める報道機関の役割と責任は重い。
読み書きの能力を意味するリテラシー。最近はネットリテラシーの言葉も聞く。インターネットを使いこなす知識や能力をいうが、大切なのは情報が正しいかだろう。きょうはメディア・リテラシーの日。長野県松本市のテレビ局が定めている
▲かぎりなく黒に近い灰色だという予断のなかで、まるで「有罪」であるかのようなマスコミの大合唱にさらされた―。著書「命あるかぎり」に河野さんはつづる。嫌がらせや無言の電話が続き、脅迫の手紙も。報道陣にはフラッシュを浴びせられた
▲警察の動きや不確かな情報に引きずられたメディア。無実の人を犯人と大勢が信じた。約1年後、オウムに捜査が入るとテレビ各局は問題があったとして謝罪。新聞も謝罪記事を載せた
▲注意して「読む」よう、情報の受け手にメディアリテラシーは求める。だがまず正しい情報を「書く」使命がメディアにはあるはずだ。きょう改めて猛省し、発信していく。
【鹿児島県警】保身、隠蔽体質にメスを(2024年6月27日『高知新聞』-「社説」)
鹿児島県警で醜聞が相次ぎ、本来は恣意(しい)的、独善的に行使されてはならない警察権力が乱用された疑いも生じている。警察庁は特別監察に乗り出した。閉鎖的な組織にメスを入れ、実態を徹底調査し、警察全体で問題意識を共有する必要がある。
鹿児島県警では、前生活安全部長ら身内の逮捕者が続出し、それに関連して不適切な捜査も疑われるなど混迷が続いている。不祥事が多発する統治の緩さはもちろん問題だが、組織防衛のためになりふり構わない県警の姿勢も表面化している。
男性のサイトは、捜査資料の写真などを掲載しながら県警に批判的な報道を続けており、県警はパソコンや携帯電話を押収。この押収品を端緒に、前生活安全部長が県警内部の不祥事を外部に漏えいした疑いをつかみ、逮捕した。
情報源の秘匿は報道機関の生命線でもあり、それが保証されなければ国民の知る権利も損なわれる。権力の暴挙と言われても仕方のない一線を越えた対応であり、捜索を認めた裁判所も含めて、対応が厳しく問われるべきだ。
前生活安全部長の情報漏えい事件でも県警の保身が疑われる。前部長は、不祥事をまとめた文書を札幌市のライターに郵送したとして起訴されたが、その動機については、野川明輝本部長が「県警職員の犯罪行為を隠蔽(いんぺい)しようとし、許せなかった」と説明している。
野川本部長は否定したが、隠蔽を指摘されている盗撮事件は認知から逮捕まで半年近くを要しており、扱いに不自然さが残る。県警ではそれまで不祥事が続いており、本部長が事件を隠したがったのではないかとの見方は否定できない。
事件は、隠蔽行為が疑われている当事者の警察が調べた形になっており、捜査結果をうのみにすることは難しい。前部長の行為は、不祥事を明らかにしようとした公益通報とみなされ、摘発対象にならない可能性もある。県警の最高幹部まで上り詰めた人物がなぜ守秘義務を破ってまで情報を漏らしたのか。徹底して掘り下げることが必要だ。
鹿児島県警ではこれ以外にも、不信を抱かせる事案が判明している。捜索を受けた男性のサイトによれば、事件の再審や国賠請求で県警が不利にならないよう、捜査資料の早期廃棄を促す内部文書を作成していたという。
事実究明よりも県警の立場を優先した極めて不適切な内容だ。組織のゆがんだ風土、隠蔽体質を物語っているのではないか。警察庁の特別監察が甘いものになってはならない。