「脅された」と言われた検事は取調べでの脅迫や利益誘導を認めず。プレサンス元社長冤罪事件国賠で証人尋問(2024年6月17日『Yahooニュース』)

赤澤竜也作家 編集者
キャプチャ
会見に臨む山岸忍氏(中央)と中村和洋弁護士(左)、秋田真志弁護士(右) 筆者撮影
自分が取調べた被疑者・被告人から刑事事件の公判で、
「そこにいる人に脅されたから」
と指さしながら叫ばれた検察官は日本広しと言えども末沢岳志検事だけだろう。
法廷でその内容を当人から全否定されたのち、検察は末沢検事の取った供述調書の証拠採用を求めた。しかし裁判所は「信用性には疑問が残る」としてもっとも重要な1本を却下。
そしてプレサンスコーポレーション元社長・山岸忍さんに無罪判決が言い渡され、検察は控訴すらできなかった。
6月14日、山岸さんの逮捕・起訴の根拠の柱となる取調べを行った末沢検事が国に対する賠償請求訴訟の大阪地裁法廷に姿を現した。末沢検事は供述をねじ曲げ、冤罪を作った責任をどう説明したのだろうか。
特捜部は最初から山岸さんをターゲットにしていた
2019年7月20日毎日新聞の朝刊に「資金流用疑惑 21億円不明の疑い」という記事が掲載された。
大阪にある学校法人明浄学院は用地の一部を不動産会社プレサンスコーポレーションへ売却していたのだが、その際に入金された手付金21億円が消えているというのだ。
12月5日、大阪地検特捜部は元理事長O氏、プレサンス子会社社長A氏、不動産会社社長B氏など5人を逮捕する。
捜査陣のターゲットは最初から決まっていた。
元理事長が学校法人へもぐり込むために使った18億円の出所であるプレサンスコーポレーション元社長山岸忍さんをこの巨額横領事件の主犯格だと考えていたのである。
ただ山岸さんは元理事長O氏に会ったことはおろか、電話で話をしたことすらない。そのうえ山岸さんの関与を示す物証は一切なかった。
特捜部は山岸さんの部下A氏と不動産会社社長B氏を「落とす」ことに注力した。そのうえで山岸さんをパクろう考えたのである。最初に山岸さんの関与を供述したのはB氏であり、その取調べを行ったのが末沢検事だったのだ。
録音録画が暴いた取調べの実態
2019年6月より逮捕後の特捜部の事情聴取は可視化対象となったため、同年12月5日以降の末沢検事の取調べもすべて録音録画されていた。
それを見ると、B氏は当初、山岸さんの関与を明確に否定。「山岸さんには明浄学院への貸付けを依頼しただけで、元理事長O氏個人に貸すなどと説明していない」と言い続けていた。しかし、その旨を録取した供述調書は作成されていない。
ちなみにどちらへ貸すと言っていたのかが重大な争点であり、B氏が「元理事長に貸す」と山岸さんに説明していたならば、共謀が成立することになっていた。
12月8日の午後5時28分から行われた取調べにおいて、末沢検事は、
「何度も言うように、山岸さんの関与が本当にあるんやったら、それ言わへんかったら、今のこの立ち位置だけからしたら、(元理事長)Oと同じくらい、Bさん、すごくこの件に関与した、非常に情状的にはやっぱりかなり悪いところにいるよ」
と告げた。
取調官から主犯である元理事長O氏と同等の刑事責任になると示唆されたことに恐怖感を抱いたB氏は、助けを求めた。末沢検事は山岸さんの関与を否定する供述は裁判所に信じてもらえないと暗示し、山岸さんに対する敵対心をあおったうえ、B氏の仕事を手伝っていた親族の刑事責任も供述内容によって変わってくると示唆。そのうえで、
「もう端的に言うと、山岸さんの関与も含めて全部しゃべりますというような腹づもりになっているのかな。なっているというふうに聞いていいの?」
とたたみ掛けたところB氏は、
「全部しゃべります。全部協力してしゃべる。助けてください」
と嗚咽しながら叫んだ。そこから検察官の見立てに沿った供述が押しつけられていくのである。
「誘導させられて言ったように感じた」とB氏は語っていた
B氏が「落ちた」の同じ2019年12月8日、別の取調室では山岸さんの部下A氏に対する田渕大輔検事の事情聴取があり、机を叩いて延々と罵詈雑言を浴びせかけるすさまじい取調べが行われた。翌9日、部下A氏もB氏と同様の話をしはじめた。山岸さんの事件への関与を示す物証はひとつもなかったが、お互いに支え合うふたつの「有罪の証拠」が出来上がったと特捜部は考えた。
ところがである。
12月16日午後3時43分から行われた取調べの冒頭でB氏は、
「結局ずっと考えていたんですけれども、昨日おとといの供述は全部なし」
と言い、14日、15日に署名押印した供述の撤回を申し出た。
録音録画の文字起こしからは、その後の緊迫した雰囲気が伝わってくる。
末:いや、それでいうとね、すると山岸さんに対しては学校に貸すという話が、S社(元理事長O氏側の会社)になったんですという話は説明したのかな。
B:それは説明してないです。
末:なぜそれ説明しないの。
B:それはもう一緒のもんだと思ったから。
末:いやそれは一緒のもんだから。
B:それはあなたに怒られる筋合い、問題じゃないと思いますよ。それは。
末:なぜ、そんなに供述態度というか今の言いぶりも含めて。
B:それ、怖い顔されるのはねボクもね。なんかね、脅されているように感じるんですよ。脅されているような。
末:なんかそういう風に話しが変わることがあったのかな。
B:違う違う。昨日ずっと一生懸命考えていてね。山岸さんにその学校に貸す言う話がね、ボクも最初から言うてる思ってたんだけども、こう、断定的にこう変えられたら、山岸さんに、あの、S社、あの、(元理事長である)O氏一派に金貸せ言いに行ったいうことをなんか誘導させられて言ったように感じたからね。
というような激しいやり取りが続いている。この取調べの最後、B氏は、
「せやから、あれ変えてください、昨日の供述のやつ」
と再度、訂正調書の作成を願い出たのだが、末沢検事は、
「それはちょっと考えますんで一回中断します」
と返答するにとどめた。
山岸さんの逮捕状請求後に重要証言がひっくり返っていた
末沢検事はなぜ2019年12月16日の取調べの際、これほど動揺したのか?
本年6月14日に行われた中村和洋弁護士による尋問において、
「山岸さんの逮捕をいつ、(主任として捜査の指揮を執る)蜂須賀検事から聞かされたんですか?」
と問われ、
「16日の朝か昼か。どちらにしても(午後3時43分から大阪拘置所ではじまった)事情聴取へ行く前です」
と答えた。山岸さんの有罪を立証するための証拠はプレサンス子会社社長A氏と、末沢検事が担当したB氏の供述しかない。その一本がB氏の「全部なし」発言で消えかかっていた。末沢検事はどうしたのか。陳述書には、
「わたしは取調べを中断してすぐに、蜂須賀検事に対し、B氏が原告(山岸さん)への説明部分について供述を変遷させ、撤回する旨主張していることを報告したうえで、『原告の逮捕は待った方がいいと思います』などと意見を述べた」
とある。
結局、同日の午後5時57分、山岸さんは逮捕されてしまったのだった。
なおB氏が何度となく申し出た供述の訂正調書は作られていない。
なぜなのか。
末沢検事が提出した陳述書には、
「B氏の訂正調書を作成した方がよい旨を進言しました」
「しかし、わたしは、蜂須賀検事から『撤回申し出前の供述の方が信用できる。変遷の経過は録音録画に残っているので訂正調書を作成する必要はない』旨の指示があったことから、最終的に訂正調書を作成するには至りませんでした」
とある。
14日の中村弁護士による尋問において、
「蜂須賀検事に訂正調書を作成した方がいいと申し出られたのはいつですか?」
と問われると、
「12月17日か18日に一度伝えたところ、『検討する』と言われ、23日か24日にも再度、申し出たところ『必要はない』と言われた」
と、二度にわたって訂正調書の作成を捜査の蜂須賀主任検事へ願い出たと明かした。
聞かれたことに答えない検察官
秋田真志弁護士からは、
「(末沢検事の山岸さんの主導、もしくはプレサンスの意向でやったと言うんやったら責任の重い軽いは変わってくるという言葉を聞いて)山岸さんの関与があると言った方が情状はよくなるとB氏が受け取るとは考えませんでしたか?」
「(末沢検事から元理事長のO氏と同じくらい悪くなる可能性があると言われ)山岸さんの関与を話す方が、情状が大きく変わると、B氏がとらえるのではないかと意識していましたか?」
と末沢検事の誘導尋問によって、B氏の気持ちがどうなるか考えていなかったのかと何度も問いただされたのだが、
「B氏の心情はわかりません。そうならないよう事実をキッチリ話すようにと言っています」
「そうではなく、ここで言っているのは、関与があるんだったら、事実を話してくださいねということです」
と返答するなど、問いと答えが噛み合わない。
ちなみに末沢検事の名誉のために言っておくと、彼は取調べの最中に、
「それは事実をキチッと話して、悪いことしたという風に思っているのやったら、それはもう話してもらわなしょうがないと。それしかわたしは言いようがない」
「事実話す以外にないんじゃないか」
などと、「事実を話すこと」を求めていた。
そう言いながらも、みずからが望む答えを得るために巧妙な質問を続けたため、B氏は「末沢検事の求める“事実”」を話してしまったのである。
末沢検事は証人尋問において、取調べの手法や内容について細かく問われ続けた。しかし、最後まで非を認めることはなかった。
B氏は「心が折れてしまった」と話した
末沢検事がB氏にウソをつかせようとしていたわけではないことは重々承知している。ご本人は当時、事実を語らしめたと思っていたのだろう。しかし、意図していなかったとはいえ、法廷で簡単にひっくり返され、裁判所から撥ねつけられるようなねじ曲げられた供述調書を作成してしまい、冤罪を生むことに加担してしまったのもまた事実である。
取調べは被告人の言っていることを虚心坦懐に受け止めるものではなかった。実際、B氏は取調べにおいても、公判廷でも「脅されているように感じる」「脅された」と言っている。
わたしの取材に対しても、
「(取調べで突然、家族の話を振られた際)年頃の娘がふたりいますので心が張り裂けそうになりました」
「なんでOさん(元理事長)と同じ罪をボクが背負わなくてはならないのか。目の前が真っ暗になりました」
「山岸さんの関与を話したら楽になれるんかなと。罪も軽くなるんかなと思ったんです。Oさんと同罪と言われているからね」
「もう完全に心が折れてしまっていましたね」
とみずからの意図に反した供述に追い込まれる際のこころの動きについて語ってくれている。
なぜ事実と異なる調書が作られてしまったのか。取調べのどこがいけなかったのか。
証人尋問では冤罪が生まれるに至った真相を解明すべく質問が重ねられたのだが、噛み合わない答えしか返ってこない。
「いま振り返って捜査のあり方に不十分なところがあったと思ってないんですか?」
という秋田弁護士からの最後の問いかけに対しては、
「捜査のあり方はわたし個人が答えるべきことではない」
と回答を拒んだ。
組織の歯車としての言葉しか聞かれない
末沢検事の本心がどうなのかはわからない。
彼は蜂須賀検事に対し「逮捕を待った方がいいのでは」と進言したと言っている。大阪高検の決裁まで取り、逮捕状まで請求した一部上場企業現役社長の逮捕を「一度、立ち止まって考える」ことが彼らの組織のなかでいかに難しいか、誰よりも知ったうえで直言しているのだ。「訂正調書を作った方がいい」と、二度も上司に願い出ているともいう。
誠実で真っ直ぐな方なのかもしれないと感じる部分もあるし、そうであると信じたい。
でも証人尋問では何度も訟務検事の方へ目を向けるなどしていて、自分の言葉で話していたとは到底思えない。
2回の尋問を通じ、国(検察庁)がプレサンスコーポレーション元社長冤罪事件に向き合うつもりがないことだけは確信できた。
関わった検事、誰ひとりからも、ひとりの人間としての言葉が洩れることはない。
鉄のような組織が決めた防衛ラインから一歩もはみ出ることはなく、核心に迫ろうかという質問にはペラペラと関係のないことを話し続けてはぐらかし、時には忘れたと述べ、追い詰められると「証言を拒否します」と言ってのける。
彼ら彼女ら本当に公益の代表なのだろうか。あまりの歯車っぷりに、背筋が寒くなるような思いさえ抱いた。
 
赤澤竜也
作家 編集者
大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業後、公益法人勤務、進学塾講師、信用金庫営業マン、飲食店経営、トラック運転手、週刊誌記者などに従事。著書としてノンフィクションに「国策不捜査『森友事件』の全貌」(文藝春秋籠池泰典氏との共著)「銀行員だった父と偽装請負だった僕」(ダイヤモンド社)、「内川家。」(飛鳥新社)、「サッカー日本代表の少年時代」(PHP研究所・共著)、小説では「吹部!」「白球ガールズ」「まぁちんぐ! 吹部!#2」(KADOKAWA)など。編集者として山岸忍氏の「負けへんで! 東証一部上場企業社長VS地検特捜部」(文藝春秋)の企画・構成を担当。日本文藝家協会会員。