高齢化と労働条件
2025年の大阪・関西万博の開催が近づくなか、運営する日本国際博覧会協会(万博協会)がシャトルバスの運転手確保に難航している。府内のバス会社への協力要請が思うように進まず、万博輸送計画の大きな壁となっている。
万博協会の輸送計画では、ピーク時の来場者数を1日あたり最大22.7万人と想定。交通機関の分担率は、会場に直結する大阪メトロ中央線新駅「夢洲」が54.6%、駅シャトルバス等は11.5%と試算されている。地下鉄駅は、増発しても混雑率は140%程度になることが予想されるためシャトルバスの利用は重要視されている。しかし、このバス運転手が確保できるかは、不透明なままだ。
万博協会は大阪府、兵庫県の主要10駅に設けるシャトルバス乗り場のうち、会場に近いJR桜島駅から70台分の運行協力を府内のバス会社に打診。しかし、2023年11月までに、必要な運転手約180人のうち100人が足りず「さらなる不足も予想される」との回答が続出し、運転手不足があきらかになった(『読売新聞』電子版2023年11月21日付)。
そこで、万博協会は、2023年11月に対策として全国の貸し切りバス会社や旅行会社から運転手を「出向」させるスキームが提示し参加する事業者の募集を始めた。それでもなお必要人員の確保は厳しい状況が続いている。
当媒体でも多くの記事で言及しているとおり、バス運転手の人手不足は深刻だ。国土交通省によると、2021年のバス運転手は約11万6000人で、2016年から約1万7000人も減少している。大型二種免許保有者の高齢化に加え、長時間労働・低賃金といったイメージから新規就業者も減少しており、平均年齢は53歳と高齢化が進んでいる。
また、残業時間の上限規制強化も運転手不足に拍車をかけている。2023年に日本バス協会は2022年の輸送規模を2024年以降も維持するには2万1000人の運転手が不足すると推計している。
万博協会の甘い見積もり
京阪バス(画像:写真AC)
2024年1月に地域公共交通総合研究所が公表した全国308のバス事業者を対象に運転手不足に関するアンケートを実施し、応じた事業者の99%が『不足』と回答した(『毎日新聞』2024年1月12日付朝刊)。全国、どこのバス会社も万博シャトルバスに人員を割けるだけの余裕はないのが実情だ。
そもそも、こうした状況は最初から想定されていたはずだ。関西圏でのバス運転手の不足はコロナ以前より既に深刻なものになっていた。
『朝日新聞』2019年8月27日付朝刊では、バス会社各社が、待遇を大幅に改善して運転手確保に躍起になっていることが報じられている。この記事では
としている。
こうした待遇改善が実施されながらも、依然として運転手不足は続いていた。しかし万博協会が2022年10月に示した「大阪・関西万博来場者輸送具体方針(アクションプラン)初版」では、運転手不足の問題には触れられていない。運転手不足があきらかになった2023年11月に示されたアクションプランの第三版でようやく
と言及している。万博協会の見積もりは、あまりにも甘かったといわざるを得ない。
給与水準横並び
阪急バス(画像:写真AC)
現在、運転手確保のために新たな人材募集も行われている。
大阪メトロでは「万博バスドライバー超募集!」として車内広告を実施するなど、大々的な募集を行って話題になっている。その待遇面は、どうだろうか。同社が行っている募集は臨時・契約・正社員の三種の雇用形態。給与はいずれも
「月収30万円以上も可能(基本給+諸手当を含む)」
となっている。大型二種免許取得費用も一定条件下で会社が負担するなど、一見すると手厚い待遇に見える。しかし、この正社員採用の給与水準を他社と比較すると、それほど大きな優位性は見られない。ほかの大阪府内で路線バスを運行する会社の募集広告を見てみよう。
阪急バスの初任給は月額20万円以上で、別途「時間外手当、休日出勤手当、深夜手当」など各種手当が支給され、賞与も年3回、計4か月分以上が支給される。一定条件で二種免許取得費用も支給される。
ほかの会社も見てみたが、南海ウイングバス泉南でも、月給19万6000円以上に加え、一律手当を含めた月収例は約30万円としている。つまり、どの会社も諸手当を含めた給与は、月額30万円程度でほぼ“横並び”だと考えられる。「万博バスドライバー超募集!」の広告を見て、転職を決意する人も想像できない。
「万博開催期間終了後、路線バス以外の運行業務をご担当頂く可能性がある」
「万博開催期間終了後の所属は、今後の当社グループ組織改編により変更となる可能性がある」
としており、いささか将来性に不安も感じる。このように、インセンティブのない状況では、人材の確保は困難だろう。
大阪市営バスは、2018年に民営化された。その背景には、長年にわたる経営難があった。バス事業会計は2012年度まで30年連続の赤字で、2015年度末時点では794億円もの累積赤字を抱えていたのだ(『朝日新聞』2017年3月28日付夕刊)。
市バス民営化の影響
大阪モノレール号(画像:写真AC)
1970(昭和45)年に開催された大阪万博では開催期間中だけの鉄道が建設され輸送を担っている。当時、会場の千里丘陵には鉄道が乗り入れていなかった。そこで、国が仲介に入り、大阪市営地下鉄を江坂まで延伸し、そこから万博会場までを阪急主体の新会社「北大阪急行電鉄」が建設・運営するという形で実現にこぎつけた。
このように、わずか数か月の期間限定とはいえ、新たな鉄道会社を設立してまで輸送力を確保しようとしたのは、万博の成功が国家的なプロジェクトとして位置づけられていたからだ。万博の失敗は許されない、という強い危機意識があったからこそ、ここまでの措置が可能になったのだろう。ところが今回は
「地下鉄を増発すれば何とかなる」
「不足分はバスで補えばいい」
そんな希望的観測ばかりが広まっているように見える。注目すべきは、2018年に実施された大阪市営バスの民営化がバス運転手不足に拍車をかけた可能性が高いことだ。
民営化によって、バス運転手という職業の将来性に対する不安が広がったのではないだろうか。安定的な雇用が保証されていた公営時代と異なり、民間企業となれば経営状況次第では解雇のリスクもある。加えて給与水準の引き下げによる生活の不安定さも重なり、バス運転手という仕事の魅力が大きく損なわれてしまった。
「安易な民営化」
によって、バス運転手という職業の将来性が揺らいでしまった。その結果、優秀な人材が次々と離職し、今や深刻な運転手不足に陥っているのである。
万博シャトルバス運転手不足の一因となっていることは考えすぎだろうか。経営効率化を優先するあまり、長期的な人材確保の観点を欠いていたことが、いま大きな問題として突きつけられているのではないか。もはや「民営化の呪い」といってもいいのではないか。
万博の成功のためにも、そして大阪の公共交通の未来のためにも、ここは一度立ち止まって、民営化のあり方を再考する必要がある。単なるコスト削減ではなく、持続可能な公共交通を支える人材の育成と定着。その視点こそが、いま求められているのだ。
新人どころか、ベテランや管理職すら辞めてしまい、「ドライバー超募集!」から「ドライバー長 募集!」とならないことを願っている。
樋口信太郎(バス・トラック評論家)