全盲精神科医は語る「私は患者さんの心の支援者。患者さんは私の視覚の支援者」 美唄の福場将太さん(2024年5月4日『北海道新聞』)
 
キャプチャ
座右の銘は「運命は変えられないが、人生なら変えられる」。インタビューに答える福場将太さん。写真はいずれも、舘山国敏撮影
 
 全盲精神科医美唄市にいる。「美唄すずらんクリニック」副院長の福場将太さん(43)。東京医科大学の在学中、視力が徐々に低下する「網膜色素変性症」と診断された。医師国家試験を受けるか思い悩み、医師になって、見えなくなってきた時には引退も頭をよぎった。視覚障害を抱え、日々患者に向き合う福場さんに思いを聞いた。(くらし報道部編集委員 荻野貴生)
 ――東京医科大学に進学した理由は何だったのですか。
 「父が歯科医で、親族に医師が多かったことから、医療に興味があり、受験しました」
 ――目は小さいころから悪かったのですか?
 「夜、よく見えない夜盲症や視野が狭いという症状がありました。暗い所だけが見えないという認識で、大学生の中ごろまでは普通の生活をしていました」
 
 ふくば・しょうた 1980年広島県呉市生まれ。広島大学附属中・高校を経て、2005年東京医科大学医学科を卒業。翌年医師免許を取得し、江別すずらん病院(江別市)の前身「美唄希望ケ丘病院」に着任。現在は系列の美唄すずらんクリニックの副院長を務める傍ら週に1度、江別すずらん病院に勤務。趣味は音楽と文章を書くこと。所属する医療法人のコラムや「点字毎日」の連載を執筆し、自身のホームページでも情報を発信している。
 
 ――大学時代に指導医に病気を指摘されたそうですね。
この後、福場さんの目の症状や北海道に来た経緯などを紹介します
 「医学科5年生の時、各診療科を回る実習で、眼科で診察の練習をした際、指導医が網膜色素変性症の所見を発見し、病気が分かりました。小さいころから眼科に通っていたんですが、告知は初めてでした。医学書を調べて『人によっては失明する難病指定疾患。治療法はない』と書いてあったので驚きました。ただ、その時は見えており、『個人差が大きい』とも書いてあったので、何とかなるだろうと楽観視していました。不思議なもので、診断が付くと視力が悪化、6年生のころには見えにくくなりました。最終学年なのに勉強に身が入らず、目が見えなくなるのに『医師を目指す意味はあるのか』と自問自答しました。最初の国家試験は落ち、卒業後の2回目で合格しました」
 網膜色素変性症とは 目の網膜に異常を来す進行性の病気。初期には暗い所でモノが見えにくくなったり(夜盲)、視野が狭くなる。進行は個人差があり、30代で視力が低下する人もいれば、70歳でも視力1・0を維持している人もいる。4千人から8千人に1人の割合で発症するとされ、遺伝子の変異で起こる。半数は遺伝性で、残りは不明。確立した治療法はない。
 ――北海道に来た経緯は何だったのですか。
 「精神科医を希望し、就職活動をして雇ってくれる病院を探していて美唄に来ました。目の障害があってもいいという所は少なく、新天地でやってみようとの思いでした」
 
キャプチャ2
「私と同じように見えない医師も仕事をしていて、勇気をもらいました」と話す福場さん
 ――当時の視力はどうだったのですか。
 「視力は落ちていましたが、人の顔は分かりましたし、文字も読めました。32歳くらいで見えなくなりました。現在は周辺視野で光を感じられる程度。正面は見えず、モノの認識はできません」
 ――「視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる、本部・東京)」を知ったことが転機となったそうですね。
 「大阪の全盲の医師が中心になって2008年に立ち上げた組織です。目が見えなくなると医療の仕事ができなくなるというのが昔の常識で、私も引退しかないと思っていました。ゆいまーるの会合に参加し、多くの医師や看護師がいて、仕事を続けていることを知り、勇気をもらいました。仕事を続けていく決心がつきました」
 ――カルテはどうしているのですか。
 「中学の時にパソコン部だったので、ブラインドタッチ(キーボードを見ずに入力できる)を習得していたので、音声読み上げソフトを使い、書いています」
 ――患者の診察はどのようにされていますか。
 「精神科はもともと話を聴く科なので、見えなくなった分、患者さんの声色、リズム、言葉の選び方、たてる音をよく聴いて診断しています」
 ――患者は先生に視覚障害があると知っているのですか。
 「知らない人も結構います。患者さんが不安になったらよくないので、昔は障害を隠していましたが、ここ5年はオープンにできるようになりました。といっても積極的に伝えているわけではなく、尋ねられたら『そうです』と答える感じです。私の目が見えていないことを患者さんが気づけるかどうかも、心の余裕を知る上で大切なポイントです。障害を伝えることが患者さんの学びや励みになると判断した場合は私から伝えることもあります。心でも視覚でも障害の伝え方は本当に難しい。言わなければ誤解が生まれるし、言うにしてもどういう言葉、タイミング、表情で言うか。中途失明で伝え方に苦労した自分の経験は心の医療でも大事なテーマだと思っています」
 
キャプチャ3
「スタッフや患者さんに支えられ、今の仕事ができています」と話す福場さん
 ――医師としてのモットーは何でしょう。
 「支援者が支配者になっては駄目ということです。とかく医師はワンマン、傲慢(ごうまん)になりがちです。そうなってはいけない。精神科は分からないことが多いので、スタッフとの連携が大切です。その面では目が悪いことが役立っていて、『今の患者さん、どういう雰囲気、表情だった?』と聞いたり、処方箋やカルテの内容を一緒に確認したりすることが、自然な情報共有・意見交換になっている。温かいスタッフと患者さんに支えられて仕事ができている。診察室では医師ですが、外に出ると助けてもらう当事者。週に一度診察する江別の病院は広いので、患者さんが診察室まで誘導してくれることもあります。心に関しては私が支援者ですが、視覚に関しては患者さんが支援者。私の持っている医師免許はみんながいることで成立しているんです」
 
キャプチャ4