詩人の愛したオキナグサ(2024年3月24日『宮崎日日新聞』-「くろしお」)

 ことしも宮崎市高岡町の和石(よれし)地区にあるオキナグサの自生地で咲き始めた花を見学した。重そうな頭をのっそりもたげて地表に現れた花は、厳しい冬に無言で抗してきたような強さと慎ましさを感じさせた。

オキナグサ [毒] | 山菜図鑑

 日向市東郷町出身の詩人高森文夫(1910~98年)が故郷のこの花に深い愛情を抱いていたことを、詩誌「第二次ピアニッシモ6号」に載る三尾和子さんのエッセーで知った。高森が「翁草(おきなぐさ)自生地復元同志会」趣旨書に敗戦後のシベリアでの抑留を回想している。

高森文夫

 中国やシベリアでは「迎春花」と親しまれているとして「零下30度か40度の日が毎日続く殺人的冬がようやく過ぎ、カチカチの凍土が溶けて黒い土が顔を出し、その土から緑の草の芽がもえだし、その草が可憐(かれん)な花を咲かせるのだから、どんなに愛(め)で慈しんでも足りない」。

 ともすれば絶望しそうな捕虜の境遇の中で、幼い日に古里で慣れ親しんだオキナグサの思い出が精神を支えていたのだろう。東郷では「オネコヤンブシ」という方言で呼ばれていたという。1990年代に高森は耳川の自生地が砂利採集で絶滅の危機に瀕している現状を嘆き、保護運動に関わった。

 「遠い祖先から受け継がれてきた貴重な草木を根絶させては申し訳ない」と述べ「子々孫々に残さなければならない」と訴える。自生地は開発や盗掘で全国的に激減しており、今や絶滅危惧種だ。愛らしい花を見ていると詩人の晩年の叫びが痛切に身に染みた。