天皇皇后両陛下 輪島市を訪問 「朝市通り」焼け跡に深く一礼(2024年3月22日『NHKニュース』)

 皇室

 

天皇皇后両陛下は、能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県の輪島市を訪れ、被災した人たちを見舞われました。

両陛下は、午前11時前に特別機で石川県の能登空港に到着し、午後、自衛隊のヘリコプターで輪島市の中心部に入られました。

両陛下が発生から間もない自然災害の被災地を訪問されたのは、天皇陛下の即位後2回目です。

住民らが沿道で歓迎 

石川県輪島市では、住民などが沿道に立って天皇皇后両陛下が到着されるのを待ちました。午後1時半ごろにバスが通過すると、集まった人たちは手を大きく振って歓迎しました。

両陛下も窓を開けて笑顔で手を振られていました。

野球をしているという輪島市の12歳の女の子は「すごく元気づけられたし、みんなも笑顔になったのでよかったです。グラウンドの状態が悪いけど野球を続けたいと思います。これからも頑張ります」と話していました。

また、生後4か月の子どもを連れて訪れた輪島市の女性は「こんな機会はないのでよかったです。地元が少しずつ復興していってくれればいいと思います。元気をもらえてよかったです」と話していました。

輪島市では、災害関連死の疑いを含め102人が亡くなり、「朝市通り」で大規模な火災がありました。

倒壊したビルや家屋など地震の爪痕が残る市街地を車で通り、火災があった現場に到着した両陛下は、坂口茂市長から当時の状況について説明を受けたあと、焼け跡に向かって深く一礼されました。

両陛下からねぎらいのことばをかけられた輪島市消防団の副団長の山吹英雄さん(64)は、「朝市通り」で起きた大規模な火災で消火活動にあたりました。

山吹さんは「地震で道路が寸断されたり消火活動に使う水がなくて戸惑ったりしたことをご説明すると、『大変でしたね』というおことばをいただきました。市民もうれしく思っていますし、元気をいただいて復興につなげていけたらと思います」と話していました。

また、発災当初から被害状況の把握にあたり、安否不明者の捜索活動を指揮した輪島警察署の小坂裕署長(57)は、「『警察の活動としてどのようなことが大変でしたか』と質問され、元日で署員の数が限られる中で対応にあたったことをご説明しました。被災された住民の方々と同じようにねぎらいの言葉をいただき、大変感激しています」と話していました。

続いて両陛下は、100人余りが避難生活を送っている近くの公共施設を訪ねられました。

おふたりは、ひざをついて被災者と同じ目の高さになって「おけがとかは大丈夫ですか」とか、「お体をお大事にしてください」などとことばをかけられていました。

また、災害対応にあたった警察官と消防団員にもねぎらいのことばをかけられました。

自宅半壊の男性「たいへん心和む思い」

天皇皇后両陛下は、輪島市内の避難所を訪ね、30分あまりかけて被災者20人あまりと懇談されました。

このうち、自宅が中規模半壊し、80代の母親とこの避難所に身を寄せている新谷満さん(60)は、「両陛下から、『おけがはなかったですか』とか『自宅は大丈夫ですか』などと聞かれました。母と私は、地震後非常に不安な生活を送っていましたが、両陛下にお会いして優しい言葉をかけられて、たいへん心和む思いがします。勇気づけられました。2階のすべての方々にお声がけをされて、すごいなと思っています。優しい目元でお声がけされていたので、みんな心和んでいました」と話していました。

輪島市の男性「前を向いて頑張っていこうと」

石川県輪島市では、両陛下が避難所で被災した人たちを見舞ったあと、再び市の中心部を通られた際にも、沿道に多くの人たちが集まりました。

訪れた人たちは「ありがとうございます」などと言いながらバスに向かって手を振り、両陛下も窓を開けてにこやかに手を振られていました。

自宅で被災した輪島市の70代の男性は「両陛下が来られて励みになりました。家の片づけなどがありますが、なんとかやっていこうと思います」と話していました。

また、自宅が壊れて傾いているという輪島市の60代の男性は「被災地に来られて私たちの気持ちに寄り添っていただけて、本当にうれしく思います。1月1日からの3か月はあっという間でした。来ていただいたことを励みに、前を向いて頑張っていこうという気持ちになれました」と話していました。

輪島市長「復旧復興に向けて頑張っていく」

輪島市の「朝市通り」で火災や地震による被害の状況について説明した坂口茂市長は、「元日に起きた火災はなかなか鎮火せず、周辺で15人の方が亡くなったことを両陛下にお伝えすると、黙礼をされました。朝市のともし火を消さないために金沢市で『出張朝市』が始まることをご説明すると、皇后さまからは『1日も早く復興できれば良いですね』とおことばをいただきました。復旧復興に向けてさらに頑張っていくための良いきっかけになったと感じています」と話していました。