「もういいです」と言い放った少年の顔に浮かぶ”失意と諦め”…経験豊富な元裁判官が”唯一悔いを残した事件”(2025年1月20日『現代ビジネス』)

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「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。
 
残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。
裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。
『絶望の裁判所』 連載第43回
『「本当は最後まで戦いたいのに」「納得できない!」…裁判官が「望まない和解」を強要してくる「衝撃的」な理由』より続く
悔いを残した事件
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私の経験から一つ補足しておきたい。
私は、裁判官として、全体としては、まずまずきちんとした判決を出し、そのような和解、訴訟指揮を行い、国家賠償請求事件等についても偏見なく取り組んできたと思うが、判決で一つ、和解で一つ、悔いを残した事件がある。
判決のほうが、第1章で触れた嘉手納基地騒音公害訴訟事件である。和解のほうは、特別に大きな事件ではなく、中学生の少年が原告の交通事故損害賠償請求事件であり、自転車の少年と自動車の運転手の双方が、自分の対面の信号は青であったと主張していた。警官の調書では、少年は、「対面の信号は赤でした」と述べているのだが、調書作成には両親が同席しておらず、少年は、その時には運転手が気の毒だと思って虚偽の調書作成に応じてしまったのだと主張していた。
こうした事件では、通常、証人と当事者の尋問を行えば、いずれの言い分が正しいかは大体わかる。だが、この事件では、いくら聴いても的確な心証が採れなかった。
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。
同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
当事者が望まない和解
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そこで、私は、和解を勧めていたのだが、ある時、私がいくぶん強く少年の両親に説得を行うと、少年が、横から、「わかりました。もういいです、和解でいいです」と、はっきりと発言したのである。
後から考えてみると、その時少年の顔に浮かんでいたのは、失意とあきらめであった。
もちろん、証拠上は、過失が疑わしい程度の立証の場合には原告の負けとなるのが民事訴訟の原則であり(このことを、民事訴訟法学では、「被告の過失について原告に証明責任がある」という)、少年に不利な調書や実況見分調書しか存在しないその事件では、少年の形勢は悪かった。また、実際には、信号の変わり目の事故であった可能性が大きく、少年の言葉をほぼ信じたとしても、完全勝訴にすることは難しい事案であったと思う。さらに、たとえ少年を勝訴させたとしても、控訴審で覆される可能性も大きかっただろう。
しかし、少年には、また、彼の両親には、判決を求める自由と権利、そしてその判決が間違っていると思うなら最後まで争う自由と権利があったことは間違いがない。
この事件の後、私は、たとえ事案の解決としてはそれが適切であると思う場合であっても、当事者が望まない和解を強く勧めることはやめた。強い立場にある裁判官が当事者の自由と権利を踏みにじることになりかねないと気付いたからである。
『司法は国民を守ってくれない…“国家賠償請求訴訟”で明らかに「おかしい判決」がまかり通る日本司法の闇』へ続く
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。
同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)