1月17日で阪神・淡路大震災から30年を迎えた。この間、2011年の東日本大震災や16年の熊本地震など、数々の災害が日本列島を襲った。そして、高齢化率が5割に達するような人口減少地域で起こった令和6年能登半島地震は、日本の災害対応に依然として大きな課題が横たわっていることを私たちに突き付けている。
人口減少地域という意味では、東日本大震災の被災地も同様だった。しかし、あの震災後に私たちが目にしたのは巨大な防潮堤や高台移転など、過剰ともいえる「ハード整備」に重きが置かれた復興の姿だった。
一方、被災自治体の混乱に伴う被災者への生活支援・生活再建の遅れや床に〝雑魚寝〟の避難所運営など、ソフト面での支援は貧しいままだ。驚くべきことに、ほとんどの避難所の生活環境水準は、難民支援などの人道援助の国際基準(スフィア・スタンダード)をはるかに下回っている。戦前と現代の避難所の様子を比べても大きな変化がないのである。
日本は災害大国であるにもかかわらず、なぜ過去の教訓が生かされず、同じようなことが繰り返されるのか。背景には、根幹となる日本の災害法制が現代に至るまで適切に改正されず、基本構造が何十年と変わっていないことが大きい。
そこで、本稿では、人口減少時代における近年の災害が私たちに突きつけている二つの〝宿題〟ともいえる「持続可能なインフラ復旧のあり方」と「被災者支援の混乱」の改善策を提示していきたい。
発想の転換で持続可能なインフラ復旧を
まず、「持続可能なインフラ復旧のあり方」についてである。
これらは、災害対応組織や計画、ハード中心の復旧に重きが置かれている。大きな災害の場合、復旧の国庫補助率を大きくし、自治体の負担を少なくしてインフラ復旧を行う。しかし、どんな被災地でも「高度経済成長期型」で復旧してしまうことが問題になる。東日本大震災では、人口が流出しているにもかかわらず、被災自治体が今後数十年にもわたり経営しなければいけないインフラの大半が「元通り」に復旧された。
岩手県大槌町では従来から上下水道の維持管理が課題だったが、人口流出が加速する中でも、上下水道は原型復旧された。しかし、十数年たった今も人口流出は続き、水道料金は約25%、下水道料金は約45%値上げされる見込みだ。福島県では県営の復興公営住宅の空室率は2割近くになっている。中には3割近くの地域もあり、入居者ごとの共益費の負担が増えている。今後、公営住宅の維持費が料金収入で賄えなくなれば、自治体の一般会計から補填せざるを得なくなり、自治体財政を苦しめることになるだろう。
能登半島地震では高度経済成長期型のインフラ復旧とは異なる発想で、簡易水道や合併浄化槽への補助が模索された。石川県珠洲市では2025年度から、住宅や集落ごとに循環機器で水を再生利用する小規模な「分散型上下水道システム」の実用化に向けた検討が始められるという。これは「持続可能なインフラ復旧」といえる考え方だ。
また、これから新設する施設や設備を「小規模多機能化」していくことも重要だ。徳島県鳴門市では「道の駅」そのものを防災拠点として設計している。災害時には道の駅で販売している商品を非常食として避難者に提供できるよう在庫を多く持ち、遊び場空間が避難場所にもなる。これらにより、過剰な投資が必要なく、将来世代に負担を押し付けることを防ぎ、しなやかに地域を再生することができるようになる。
そして、この小規模で分散した復旧のかたちは、人口流出する地域でも過剰投資をせず、居住地や集落について、人口の増減に合わせて「持続させるのか」「閉じるのか」を判断しやすい。この復旧のかたちこそ、今まで実行されてきた「高度経済成長期型」への代替案を提示する。また、分散して暮らすとコストがかかるから無理やりにでも一箇所に集住すべきだといった形で必ず議論が出るものの、実際には住民全員が納得して土地を手放すことには手間や時間がかかりすぎて実行困難な「大規模集約型」の代わりにもなる。
インフラを全て「元通り」にすることを前提とする現在の災害法制を見直し、自治体が身の丈に合ったインフラ復旧のあり方を選択できるようなメニューを用意するべきだ。
被災者が被災者を支える素人任せの災害対応を変える
次に、「被災者支援の混乱」についてである。毎度のことだが、被災者支援は惨憺たるものである。
前述の通り、能登半島地震でも避難所の床で〝雑魚寝〟という状況は大きく変わらなかったし、罹災証明の認定業務に時間がかかり被災者支援・生活再建が遅れている。
この背景には、二つの構造的な問題がある。
一つは、災害を社会的課題と捉えた際の特殊性だ。環境問題や貧困、介護、障害者の生活環境などの社会課題は、全国津々浦々、常に存在している。そのため、課題解決に向けて様々な活動が生まれやすく、問題のある法制度の改正を求める世論も生じやすい。だが、災害は「ある地域にたまにしか起こらないもの」である。一部の地域、一部の住民の課題にとどまりやすく、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、政治家も行政も本気になれず、法改正に至らない。
もう一つは、公式的な支援者が行政、特に基礎自治体に限定され、ハード面での復旧が重視されていることだ。しかも、災害が発生した途端、企業やNPOなどが得意とする食品・生活用品や住居、福祉サービスの提供など、あらゆる被災者支援を自治体職員が担うことになる。彼らもまた、被災者であることが多く、生身の人間である。誤解を恐れず言えば、日本社会は構造的に、有事の対応の素人に近い被災自治体職員に、被災者支援を任せてしまっているのが現状だ。
この状況には、戦後すぐの1947年、連合国軍総司令部(GHQ)の下で「災害救助法」が制定された影響が大きい。GHQが経済統制を嫌い、地方自治を重視したことを受け、災害救助は国が財政上の責任をもち、民間に頼らずに自治体が中心となって執行するという役割分担がなされた。それが現在に至るまで見直されることなく続いているのだ。
以上を踏まえると、被災者支援の混乱を止めるためには次の二点を抜本的に見直し、「餅は餅屋の被災者支援」を実現しなければならない。
一つは民間企業やNPOといった政府・行政以外の担い手が「公的な根拠(財政面・体制面)」をもって自律的に災害対応に参画する「災害対応のマルチセクター化」を行うことである。平時において、人々の暮らしにかかわる財やサービスの多くは、行政ではなく、民間企業やNPOなどが供給している。例えば、日々、人々が得る食料品は、行政の配給ではなく、スーパーやコンビニで購入している。福祉サービスの多くも実際には社会福祉法人やNPO、民間企業などが提供している。
もう一つは社会保障の制度体系の中に被災者支援を位置付け、平時の社会保障の担い手が被災者支援を行う「社会保障のフェーズフリー化」だ。フェーズフリーとは身の回りにあるモノやサービスを、平時にも、有事にも役立てることができるように設計しておく考え方で、災害時は発電機・蓄電池として利用できるよう設計されているプラグインハイブリッド車(PHV)が代表例である。
これにより、介護保険法や生活困窮者自立支援法といった平時の制度を災害時にも使えるものにしておく必要がある。失業や家族問題をかかえることで生活再建が困難な「被災困窮者」など、支援が必要になる人を災害時に支える専門性を持つのは、平時の社会保障を地域で担う福祉の専門職のような人たちだ。
こうした考えのもと、大規模災害における初期対応において、被災自治体の職員が担う業務をできる限り減らし、政府や被災自治体以外の行政およびその道の「プロ」である民間に可能な限り担ってもらう世界観に発想を転換すべきだ。
当然ながら発災直後は、被災自治体の職員が災害対応に当たらざるを得ない。応援体制が整うまでには時間がかかるからだ。しかし、一定期間が経過した後は、「プロ」に移行させていくべきだ。
例えば、罹災証明書の交付には建物の損害査定調査が必要になる。現在は(素人に近い)被災自治体の職員が中心となり調査しているが、プロである民間の保険会社と協業すればスピードアップが図れるだろう。
また、避難所も、NPOやボランティア、被災経験のある他の自治体の応援職員を中心に運営した方が、避難所の環境改善が図れるはずである。学校の体育館に何カ月もとどまることは子どもたちの教育を受ける権利を侵害する。これをやめ、ベッドが整備された家族ごとに暮らせるテントや仮設の食堂、キッチンカーを政府が備蓄し、被災地の空きスペースに運搬して設置し、NPOを中心に運営する。食事も災害時のトレーニングを受けたプロのシェフが作る。この世界観は夢想ではなくイタリアで実施されているものだ。
さらに、救援物資の調達や避難所への供給については、スーパーやコンビニ、物流会社が得意としている。これを使わない手はない。現在、企業の社会的責任(CSR)の観点などで、民間企業が自主的に救援物資を支援する動きもあるが、これを「公的な根拠」に基づき事業として取り組んでもらい、不慣れな自治体職員の負荷を軽減すべきである。
これらは一例だが、今後は災害対応を「官民連携」から「官民協働」へと昇華させていかなければならない。災害法制の見直しはもちろん、政府や自治体が平時から民間組織と役割分担を決め、協定などを締結しておくことも必要になる。当然、「公的な根拠」に基づく業務であるため、公的な財源で賄い、「餅は餅屋」の災害対応を目指すべきだ。
現在も他の自治体職員が被災自治体に派遣される「対口支援」(応急対策職員派遣制度)はあるが、司令塔を担うのは被災自治体職員だ。被災自治体から危機対応の義務を省くという世界観に転換しない限り、同じ問題は繰り返されるだろう。
防災庁は中長期の視点で日本の災害対応を見直せ
昨今、防災庁の創設に向けた議論が進んでいる。これまでも同様の議論は繰り返されてきたが、日本社会は災害対応のうち救助やハード整備は得意であり、法制度の抜本的な見直しは不要に見え、防災庁は「屋上屋を架す」との議論が出た。しかし、被災者支援は不十分どころか生存権の保障すらままならない。
内閣府の防災担当は短期的な災害対応に主眼が置かれており、災害法制を体系的に見直していくうえでは、予算も人員も不足している。応急対応が落ち着き、中長期的な視点で災害対応を見直そうという機運が高まっても、その時には職員は出向元の他省庁に戻り、知見が蓄積されない。これらを踏まえると石破茂内閣の防災庁の構想は的を射ている。
防災庁に強い監督権を持たせ、「持続可能なインフラ復旧」の根拠となる制度を構築すること、生活者の視点から「餅は餅屋の被災者支援」を実現することなど、中長期の視点で日本の災害対応の見直しを期待したい。また、専門職員を配置して専門性を蓄積し、財務省との予算折衝をきっちりと行い、政策を実行することも重要だ。その際、生活者の視点から官民協働を実現するために、厚生労働省や経済産業省、デジタル庁との連携は必須である。
本稿で提示した取り組みは「被災者(被災自治体職員)が被災者を支える」という従来の日本の災害対応を根本的に変える試みでもある。
「本立ちて道生ず」という。日本の災害対応の〝根本〟の課題を改善することで、人口減少時代における新たな災害復興の道が切り拓かれることを期待したい。
菅野 拓