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2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。
介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務めた筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(髙口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。
より続く
新人介護士の頑張り
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体についていた脂肪はすっかり落ち、肋骨が浮き出ておなかが洞穴みたいにへこみ、あらゆる骨格がくっきりと浮かび上がって見えました。
その姿がなんとも痛々しくて、「奥さんがチューブは入れないと言ったときに、『じゃあ点滴もやめましょうね』とはっきり言ってあげたほうがよかったな」と、私は反省しました。
一方、ミカちゃんはそんな状態の岸田さんに、これまでと変わらずに接していました。
「さあ、今日も岸田さんのお風呂だ」
「岸田さん、お手洗いに行くよ」
「看護師さんが言ってたけど、骨がもろくなってるから気をつけなきゃね」
ミカちゃんは、ターミナルケアだからとか、もうすぐ亡くなる人だからていねいにケアするのではなく、大好きな岸田さんが少しでも快適に過ごせるようにと頑張っていたのです。
「一緒に生きる」ことを大切に
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私がミカちゃんに、
「岸田さん、あのとき海に行ってよかったね。あれが生涯最後の旅行になったね。あなたはそういう心に残ることを企画したんだよ。頑張ったね」
と言って褒めても、
「でもまだ奥さんと一緒に行けてないんです。岸田さんが海を見たときの嬉しそうな顔を奥さんにも見せてあげたい。岸田さんも奥さんと一緒だともっと嬉しいはずだから……」
と、相変わらず次の目標のことばかり口にしていました。
その話をした頃には、当の岸田さんにはほとんど反応がなく、もしかしたら今夜亡くなってもおかしくないという状態でしたが、ミカちゃんは岸田さんがもうすぐ亡くなるかもしれないという事実より、今、今日このときを一緒に生きていることを大切にしていたのです。
死を穏やかに受けとめる
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そして、やはりほどなくして最期のときが訪れました。奥さんと、施設からの知らせでかけつけた2人の息子さん、それぞれのお嫁さんに看取られて、岸田さんは息を引き取りました。奥さんは少し涙ぐみながらも、
「最後までここの皆さんと過ごせて、本当によかったです」
と笑顔を浮かべて言いました。脳卒中を患って20年、そしていよいよだと言われてからの1ヵ月を経て、家族は気持ちの整理ができていたのでしょう。息子さんたちも岸田さんの死を穏やかに受けとめていました。
そんな中でひとり泣き崩れていたのがミカちゃんでした。
「岸田さん、目を開けて!ええー、死んじゃうのー。もう一度海を見に行こうよ!」
岸田さんのベッドサイドにしゃがみ込んで泣き続けるミカちゃんの背中に手を当てて、奥さんが慰めます。
「ありがとね。お父さんのためにこんなに泣いてくれて……。もう一度一緒に海に行ってあげられなくてごめんなさいね」
若い介護職員の存在の大切さ
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長い介護を通して病院での治療も施設での生活も経験し、二度と回復することはないという事実を深く受けとめ、心の整理がついている家族は、決して冷たいわけではないけれど、もはや泣くに泣けない状態になっています。そのせいで非難されることは何ひとつないけれど、涙の出ない自分たちに何かしらわだかまっていた家族の心を、泣きじゃくるミカちゃんが解放したような気がしました。そういう意味で若い介護職員の存在はとても大事です。
ミカちゃんにとって岸田さんは、おそらくはじめて最期を看取った人でしょう。看取りという感覚もなかったかもしれません。かなり弱っているとか、いつ様子が変わるかわからないから夜間の巡回はこまめにとか、そういう情報や知識は頭の中に入っていても、今日も明日も明後日も、岸田さんを介護する日々が続いていくと信じていたことでしょう。
ターミナルケアなどという意識的な関わりではなく、大好きな岸田さんに毎日会えることが楽しい。それがミカちゃんの介護でした。そのまっすぐな気持ちは、“汚れちまった悲しみ”がすっかり身に染みついてしまった私のようなおばさんには、残念ながらどこを探しても残っていません。
貴重だった最後の1ヵ月
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岸田さんが亡くなったとき、
「こんなに痩せられてしまって、さぞ痛々しく感じられていたでしょう。点滴のことをもう少しはっきりお伝えしたほうがよかったでしょうか」
と申し上げたら、奥さんはこう答えました。
「20年も寝たきりで苦労した主人だから、もう何もしないと、私は半分強がりのように言いました。でも、いつ死ぬかわからないと言われてから点滴で命を延ばしてもらった1ヵ月のあいだに、ずいぶん心の整理もさせていただいたし、自分の判断は間違っていないという確信ももてました。それに、寝たきりになってから主人がどんな気持ちで過ごしてきたかをゆっくり聞くこともできたから、私にとってこの1ヵ月はとても貴重でした」
おそらく会話らしい会話はできなかったと思います。けれど声は聞けなくても、気持ちの中ではたくさんのお話ができたのでしょう。
岸田さん本人にとっては、もしかしたらつらい1ヵ月だったかもしれません。けれど、岸田さんの家族、中でも奥さんにとって、最後の1ヵ月は決して無駄な延命ではなかったと、私たちは思っています。