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2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。
介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務めた筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(髙口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。
『「終の棲家」をアピールしながらも退院直後の「衰弱した高齢者」はつっぱねる…介護施設の「身勝手すぎる実例」』より続く
人間としての尊厳を保ちながら亡くなる
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「父がターミナルステージを迎えたら、延命につながることは何もせず、できるだけ自然に穏やかに最期を迎えさせたいんです。そのことはこれまでに父とよく話し合ってきましたから、迷いはありません」
ターミナルケアには迷いがつきものだという話をすると、こんなふうに答える人がいます。最近は無駄な延命治療はせず、人間としての尊厳を保ちながら亡くなりたいという考え方の人が増え、この家族のように「最期は何もしなくていい」という声をよく聞くようになりました。
では、果たして一切の延命処置を受けずに死を迎えることはできるのでしょうか。
延命処置の中でもわかりやすいのは、止まった心臓に電気ショックを与えて再び動かし始める、呼吸不全に陥った際に人工呼吸器を装着する、確実に吸引・吸痰をするために気管切開をするといったことです。このような場合には、「そこまでして生かしていただかなくても結構です」と明確に答える家族は多いでしょう。
広い意味での延命
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でもこうしたわかりやすい延命処置だけでなく、広い意味で延命につながる医療行為はほかにもたくさんあります。
呼吸が浅く苦しくなってきたときに酸素吸入をする、食べられなくなったときにチューブを入れ、そこから栄養剤を補給する、その栄養剤さえ吸収できなくなったときに点滴をする、おしっこが出なくなったとき尿道にカテーテルを入れる、といった行為がこれに該当します。
こうした処置を受けるかどうか。さらに言えば、酸素吸入は1日に何リットル行うか、点滴は1日に何cc行うか、点滴の内容に抗生物質やビタミンを入れるか、さらに高カロリーの輸液にするかなど、施設でもある程度充実した医療や介護が受けられるようになった現在ならではの細かい選択を迫られることになります。
「何もしなくていい」という本人の明確な意思表示があっても、苦しむ本人を目の前にしたとき、「少しでも楽になるのなら、できることはしたいけれど……」と家族の心は揺れます。それは揺れて当然なのです。