なぜ「袴田事件」のような冤罪はつくられ続けるのか?  "冤罪弁護士"の著者がその理由を解き明かす!(2025年1月7日『週プレNEWS』)

キャプチャ
「長期勾留の常態化、自白への依存、警察や検察官の強引な取り調べなど、冤罪の背景にはさまざまな要因があるのに個人の問題に矮小化され、将来の冤罪を防ぐための取り組みにつながっていません」と語る西愛礼氏
1980年に最高裁で死刑判決が確定してから実に44年を経て、再審で無罪が確定した通称「袴田事件」。司法の誤りによって袴田巌さんという無実の人の人生を奪い、長期にわたって死の恐怖にさらし続けたこの事件は、死刑判決の冤罪という絶対にあってはならない過ちの恐ろしさと、それを生んだ日本の司法制度の問題を浮き彫りにした。
「冤罪」はなぜつくられ続けるのか。それを防ぐ方法はないのか。冤罪事件に取り組む若き弁護士が、冤罪を生み出すメカニズムを解き明かし、過ちから学ぶ道を示すのが西愛礼氏の『冤罪 なぜ人は間違えるのか』だ。
* * *
――元裁判官でもある西さんが冤罪という問題に向き合おうと思われたきっかけは?
西 直接のきっかけは弁護士として「プレサンス元社長冤罪事件」という事件を担当したことでした。
2019年12月、大阪に本社を置く東証1部上場(当時)の不動産会社「プレサンスコーポレーション」の創業社長(当時)である山岸忍さんが、ある学校法人の移転に伴う用地買収に関して「業務上横領」の共犯として大阪地検特捜部に逮捕、起訴され、248日間にもわたる身体拘束を受けた事件です。
しかし、裁判の過程で検察側の無理な「見立て」や、それに合わせた強引な取り調べの事実が次々と明らかになり、2021年10月に山岸さんの無罪が確定しています。
それ以前、私がまだ駆け出しの裁判官として刑事事件を担当していた頃から、無罪判決が出たときに冤罪を生んだ原因を検証する制度が存在しないことには疑問を感じていました。
しかし、実際に弁護士として山岸さんの冤罪事件に関わり、なんの落ち度もない人が逮捕され、自由を奪われ、犯人扱いされて名誉も汚され、自分が育ててきた会社までも失ってしまう......という冤罪事件の悲惨さ、理不尽さを改めて実感しました。
二度とこうした事件を起こしてはいけないという思いから、冤罪の救済や冤罪の研究に取り組むようになったのです。
――本書を読むと、そのプレサンス元社長冤罪事件でも、冤罪を生んだ検察側から謝罪や反省の言葉はなく、自分たちの過ちを認めてすらいないように感じます。正当な理由もなく、人の財産や権利を奪う行為は、普通「犯罪」と呼ばれますよね?
西 そうですね。そこで、取り調べの録画などから、大阪地検特捜部の取り調べには机を叩く、怒鳴るといった威圧的、脅迫的な行為があったとして、担当の検察官(当時)を刑事告発しました。しかし、これを大阪地検が不起訴としたため、改めて刑事裁判で扱うよう裁判所に付審判請求を申し立て、これが認められました。
ちなみに、同じ大阪地検特捜部が起こした冤罪事件として知られる「郵便不正・厚生労働省元局長冤罪事件」(村木事件)では、証拠のフロッピーディスクを改竄した検察官と、それをかばった上司がそれぞれ証拠隠滅と犯人隠避で有罪判決を受けていますが、検察官の不適切な取り調べが「刑事事件」として扱われるのはこれが初めてです。
――その大阪地検特捜部がプレサンス元社長冤罪事件で冤罪を繰り返した。また、警視庁公安部と東京地検も「大川原化工機事件」では3人の会社役員を冤罪で逮捕して長期間にわたり勾留。そのうちのひとりが勾留中に適切な病気の治療を受けられずに亡くなるという、悲惨な出来事も起きています。なぜ冤罪は繰り返されてしまうのでしょうか?
西 本書にも書いたように、"人質司法"と呼ばれる長期勾留の常態化、警察や検察側の見立てに合わせた強引な取り調べと自白への依存、階層化された組織の中で異論が排除される傾向や思い込みによる「確証バイアス」など、冤罪が生まれる背景にはさまざまな要因があります。
しかし、実際に冤罪事件が起きると、例えば「あれは大阪地検特捜部の問題だ」といったように、特定の組織の問題や検察官、裁判官といった個人の資質の問題に矮小化されてしまい、それに対する批判は起きても、司法全体として「過去の冤罪から学び、将来の冤罪を防ぐために生かそう」という意識や取り組みにつながっていない。
例えば、村木事件も担当検察官を処罰し、大阪地検特捜部の問題だと矮小化され終結してしまいました。取り調べの録音・録画のような再発防止策が講じられても、すぐに形骸化してしまっています。その結果、プレサンス元社長冤罪事件という同じような過ちが繰り返されてしまいました。
もうひとつ、私がこの本でも強調しているのが「人は誰でも間違える」という現実を前提に考えることの大切さです。どんなに優秀な人も、どんなに努力している人も間違える可能性があるという大前提に立てば、刑事事件における冤罪を完全に防ぐことは不可能です。
ところが日本の司法の中には一種の「無謬性神話」というか「自分たちに与えられた国家権力は国民の信頼に支えられている以上、絶対に間違ってはならない」という意識があって、それが「冤罪という過ちから学ぶ」という反省と学びにつながることを妨げている面もあるように感じます。
――司法だけでなく、メディアや、その報道に触れる人たちにも冤罪を生んでしまう要因がありそうですね。
西 そうですね。「推定無罪」や「疑わしきは被告人の利益に」という原則があります。それは、私たち法律家だけでなく、メディアの報道やそれを受け取る人たち、さらにSNSなどを通じて個人的に発信する人たちも同じで、「人は誰でも間違える」以上、誤認逮捕や冤罪も起こりえるのだから「逮捕」=「犯人」ではないという前提で考える必要があります。
――袴田巌さんの無罪が確定した今、この冤罪事件が日本の死刑制度を巡る議論にもつながってゆくのでしょうか?
西 徐々にそうした議論が広がっていくのだと思いますが、まだまだ足りないと感じます。
袴田さんは世界一長く収監された死刑囚としてギネスの認定記録にもなっていて、その人が再審で無罪になり、死刑判決の決め手となっていた証拠が捜査当局の捏造だったと裁判所が認定したという、本当にトンデモない事件。そんな事例を生んでしまった日本でこそ検証や研究を率先して行ない、その議論を世界中に広げるべきだと考えます。
 
■西 愛礼(にし・よしゆき) 1991年生まれ、神奈川県川崎市出身。一橋大学法学部卒業。裁判官を経て弁護士に転身。後藤・しんゆう法律事務所(大阪弁護士会)所属。プレサンス元社長冤罪事件弁護団、角川人質司法違憲訴訟弁護団日弁連再審法改正実現本部委員などを務める。イノセンス・プロジェクト・ジャパン、刑法学会・法と心理学会所属。守屋研究奨励賞・季刊刑事弁護新人賞。初の著書『冤罪学』(日本評論社)は専門書ながら、多くの読者から注目された
■『冤罪 なぜ人は間違えるのか』インターナショナル新書 1056円(税込) 最高裁の死刑判決から44年の時を経て、ようやく無罪が確定した袴田事件。司法の誤りによって無実の人の生活を奪い、最悪の場合、命すら奪いかねない「冤罪」の悲劇はなぜ繰り返されてしまうのか? 実際に「プレサンス元社長冤罪事件」などの冤罪事件を担当し「冤罪学」の必要性を提唱する若き弁護士、西愛礼氏が、冤罪の生まれる背景やメカニズムを解き明かし「過去の冤罪から学び、将来の冤罪を防ぐ道」を示す一冊
キャプチャ2
 
冤罪 なぜ人は間違えるのか (インターナショナル新書) 新書 – 2024/12/6
西 愛礼 (著)
 
袴田事件」で国民的関心を集めた司法の失敗──。
無実の罪が相次いで産み出される真の原因を「冤罪の科学」が解き明かす!
司法関係者のみならず、すべての人が自戒すべき教訓の数々
◎人間は間違いから逃れられない
◎人の心には「盲点」がある
◎黒の捜査、白の捜査
◎なぜ「直感的判断」は危険なのか
◎ノーベル経済学者が指摘した「結論バイアス」のリスク
ジェンダー・バイアスが生んだ冤罪事件
◎裁判官も陥ってしまう偏見と差別
◎正義感が冤罪をもたらすわけ
◎人間は自己正当化する生き物だ
◎「引き返す勇気」は持てるのか
◎「集団浅慮」のリスク
◎失敗が放置される「現状維持バイアス」のトラップ
【本書の目次】
序章 人は誤る
第1章 冤罪とは何か
第2章 「負けへんで!」山岸忍さんの戦い
第3章 なぜ人は間違えるのか
第4章 組織もまた誤る
第5章 なぜ人は同じ間違いを繰り返すのか
第6章 「冤罪」はこうして生まれる
第7章 なぜ冤罪は繰り返されるのか
第8章 冤罪学から死刑廃止論を考える
第9章 イノセンス・プロジェクトという試み